東北旅行記(その5:中尊寺)
早朝、いつもどおり、早起きの末、風呂に行く。ちょっと頭が立ち上がるのに時間がかかる。湯船に入ってれば、目が覚めるだろう。風呂に入り、体を洗う。ちょっと起動してきた。湯船に浸かると、おっさんが話しかけてきた。
おっさん:昨日は、どこにいかれました?
私:ええ、土砂降りでほとんどいってないどすえ。ホテルに着いて早々、酸ヶ湯温泉に行ったくらいです。
おっさん:私も昨日行きました。数多くの温泉に行きましたが、酸ヶ湯が一番です。
私:ほお・・・。結構温泉に行かれてるのですか?
おっさん:まあ、東北がほとんどですけど・・・。毎年、八甲田ホテルに泊まっているんですよ。帰り際に来年の予約をするんです。
私:昨日は雨の中、酸ヶ湯以外にどこか行かれましたか?
おっさん:恐山に行きましたよ。
私:おぉ!恐山は非常に興味がある。どうでしたか?
おっさん;イタコがいると思ったんですが・・・。5月くらいのお祭りのときだけらしいですよ。
こんなふうな世間話を交わし、風呂を出た。それにしても、恐山情報はなかなか・・・。
帰り際にくっぺちゃんに会った。
朝からたっぷり飯を食い、八甲田ホテルを出発する。
山ということで、しばらく私が運転である。
地獄沼に惹かれ、急停車。
白く濁った温泉の沼でエキサイティングであった。
再出発した。
やがて、車を岩手県に入った。
中尊寺にやってきた。
入り口でお地蔵さんが出迎えてくれる。
結構道のりがある。
中尊寺の山号は関山(かんざん)である。天台宗のお寺であるが、そんなことより、奥州藤原氏縁の寺として名高い。中でも金色堂は、藤原清衡が贅の限りを尽くしたもので、教科書でお馴染みの金ぴかのお堂である。
鳥居があった。奥に進むと、弁慶堂がある。
地蔵堂である。
薬師堂である。
観音堂である。
○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*
ここから中尊寺本坊である。今までのは塔頭だったらしい。
本堂である。明治の建物らしい。
本尊は阿弥陀如来である。
奥に進む。
不動堂のようだ。
確か薬師堂である。
鐘楼である。
讃衡蔵である。ここでは、数々の文化財が展示されている。かなり微妙な小物に国宝が多かった。仏像もここに安置されている。今までお堂を拝んできたのは何だったのか!?
いよいよ金色堂である。
金色堂は、この覆堂の中に保管されている。
入る。金ぴかの金色堂にうっとりした。くっぺちゃんの顔が金色に輝いていた。
金色堂をでると、松尾芭蕉の句碑があった。
五月雨の降り残してや金色堂
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
経蔵である。
旧覆堂である。1962年まで500年もの間、金色堂を守ってきた。建築年代は、室町時代中期らしい。
・・・・・・・・・・・・
芭蕉像が不気味にたたずむ。
釈迦堂である。
白山神社能舞台である。
1853年に伊達藩により再築されたものである。
こちらが中尊寺の鎮守である白山神社である。茅の輪くぐりがあった。
ちなみにここまで、誰もついてこなかったので、一人で境内を闊歩した。結構寂しいよなぁ・・・(´・ω・`)ショボーン
最後のお堂は、弁才天堂である。
ところで、中尊寺も修学旅行以来である。どうにも金色堂以外に記憶がなかったのだが、行ってみて納得した。要するに、金色堂以外に見るところがないのだ。
中尊寺を降りてきた。
こんなもの発見。
武蔵坊弁慶の墓。
このちっこい石がそうみたいですな。。。
さあ、次に行ってみよう!
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