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2008年7月 8日 (火)

播磨の旅(その1:姫路城)

平成19年3月17日。播磨地方の名所を探検することにした。というのも、4月から福岡に引っ越すことが決まっていたので、今のうちに近場の名所を巡っておきたかったからだ。3月に固めて京都を探検していたのも、同じ理由である。

播磨といえば、まずは国宝姫路城である。

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1993年に法隆寺とともに日本で初めて世界遺産に登録された名城である。ちなみに、国宝に指定された城には、姫路城の他、松本城、犬山城、彦根城、二条城がある。

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別名白鷺城と呼ばれる。由来は諸説あるが、白漆喰の美しい城というのが有力説であろう。

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戦国時代には、羽柴秀吉が毛利攻めの拠点にしていたこともあったが、現存する城は、江戸時代初期のものである。

そんな薀蓄はさておき、我々の世代では、名古屋城と合体し、格闘城として、関が原に舞い降りたことで有名である。ちなみに、リングの下の抜け穴は、超人墓場につながっている。

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菱の門を抜け、天守閣に向けて、いざ出陣~♪

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姫路城内は迷路のように入り組んでいる。攻められたときに、敵を攪乱させるためだそうだ。

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西の丸を進む。

徳川家康の孫の千姫は豊臣秀頼に嫁いだ。大阪の陣で秀頼が自刃したあと、本多忠政と結婚した。忠政が姫路城主だったとき、千姫もここで過ごしたようだ。ところで、この人形は、千姫かね?

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・・・・・・・・・・・・・

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壁にまる、三角、四角の穴が開いている。これは狭間(さま)と呼ばれ、射撃用の穴である。他の城でも四角のものは見られるが、様々な形の狭間を装飾的に配列しているのは非常にユニークだそうだ。

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いよいよ天守閣に突入である。

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こ、これは雰囲気ありすぎでしょう?

どこの城でもそうだが、様々な文化財の展示をしており、博物館のようになっている。ただ、名古屋城や大阪城のようにコンクリート造りのエレベータ付きという興ざめはない。

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鉄砲が架かっている。

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最上階に上がってきた。

刑部大神が祀られている。刑部大神といえば、宮本武蔵が姫路城天守に住む妖怪を退治すると、美しい姫として刑部大神が現れ、礼をしたという伝説がある。我々妖怪マニアには、非常に有名な話である。興奮のルツボで、鼻血がでそうである。

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最上階からの眺めは素晴らしい。

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天守閣を降りてきた。

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最後にお菊井戸である。

播州皿屋敷に出てくる井戸と言われている。番町皿屋敷ではない。

内容は似たようなもので、お菊が毎晩皿を1枚、2枚数え、1枚足りないという、あれである。

皿屋敷伝説は、播州、番町の他にもいろいろあるようだが、有名なのは、この二つである。どれが元祖かはよくわからない。

お菊井戸をのぞいたが、何もなかった。ちょっと期待していたのだがねぇ・・・

さ、次に行こっと。。。

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