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  • 第五位:第一次九州遠征(2号線の旅)
    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
  • 第四位:ハワイのんびり旅行
    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
  • 第二位:中欧旅行
    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

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2008年6月

2008年6月30日 (月)

新春奈良遠足(その1:法隆寺西院伽藍)

平成20年1月4日。新春早々奈良に遠足に行った。今回は平成18年11月に訪れたコースに習い、奈良を巡ることにした。

今回は、JR大和路快速を利用し、法隆寺駅に着いた。

法隆寺駅から法隆寺まで前回は歩いたが、たまたまバスが都合よく来たこともあり、バスで行くことにした。あっという間に着いた。前回の苦労はなんだったんだろう・・・?

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相変わらず、ここから見る法隆寺は雅である。

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それにしても人が少ない。まだ1月4日やで?大丈夫か、奈良?せんとくん効果はまだでていないようだ。

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国宝中門である。ここの仁王像は日本最古のものである。

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あっ、じゃ~んけん・・・

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死ねぇ!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1,000円払って、Go!

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五重塔(国宝)である。この五重塔は日本最古のものらしい。

・・・ってか、ここには日本最古と国宝しかないのかい!?

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五重塔の前には礼拝石がある。かつて、五重塔の内部には僧侶であっても、おいそれと入れなかったようだ。で、礼拝石の前で拝むという行為があったらしい。

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金堂(国宝)である。

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金堂の前にも五重塔と同様に礼拝石がある。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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大講堂(国宝)である。

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大講堂の薬師三尊である。

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東側の回廊の一角に鐘楼がある。国宝である。

回廊自体も国宝なので、そもそも国宝しかないようだ。

以上が西院伽藍と呼ばれるエリアである。法隆寺探検は次回へ続く。

2008年6月29日 (日)

宗像大社辺津宮

  平成20年4月某日。ドライブで宗像大社辺津宮にやってきた。

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宗像大社は、福岡県宗像市にある旧官幣大社である。今回訪れた辺津宮の他に、大島に中津宮、沖ノ島に沖津宮があり、この3宮で宗像大社である。宗像大社のご祭神は、宗像三女神という玄界灘の守り神で、古くより大和朝廷から重視された社である。古事記や日本書紀にもその名を留めている。辺津宮は三女神のうち市寸島比売命(イチキシマヒメ)を祀っている。厳島神社のイツクシマの語源でもあるらしい。

まあ、講釈はこのへんで・・・。

いずれ、残りの宮もと思うが・・・。沖津宮の沖ノ島は普通行けないところなので、行けるかどうか・・・。

早速、参拝する。

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本殿が見えた。

ところで、宗像大社は海上交通にご利益があるとされ、海上に限らずとも交通安全のステッカーが飛ぶように売れているらしい。福岡にいると、やたらステッカー付きの車が目立つ。私的には、福岡に住んでいて、宗像大社のステッカーは面白くないので、私の車には霧島神宮のお守りをぶら下げている。どうでもいい話だ。

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ま、交通安全を祈願しときましたがね。

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・・・・・・・・・・

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末社も数多く並んでいる。

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御神木があった。樹齢550歳らしい。

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おお、なんか知らんがすごいぞ!

苔むして、草が生えちょる。。。

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本殿の裏も末社だらけだ。

それにしても福岡県は大社が多い。官幣大社は3つもある。ここ宗像大社に、筥崎宮、香椎宮である。こっちに来て、寺には残念なことがおおいが、神社は違う。歴史的に中央から重視されていたということか・・・?

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最後に本殿よりでかい社務所と駐車場である。交通安全ステッカーのご利益であろう・・・。

2008年6月28日 (土)

金刀比羅リベンジ(その6:善通寺)

金刀比羅リベンジを無事に達成し、まだ時間があるので、四国霊場第75番札所善通寺にやってきた。

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南大門である。

真言宗善通寺派の総本山で、山号を五岳山という。なんとスーパースター生誕の地に建立された寺である。広大な境内を有しており、東院と西院からなる

まずは東院である。

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五重塔である。何度も倒壊したが、現在の塔は明治に再建されたものである。

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正面に金堂がある。本尊は薬師如来で、かなり立派な仏像であった。

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金堂前には子授修行大師像があった。なんかよくわからんが、また弘法大師の伝説がモチーフになっているのであろう。。。カリスマですからっ!

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金堂の右手には、常行堂がある。

そして・・・・

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!東院の周囲には、五百羅漢が並んでいるのだ!

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すげー!感動ものである。

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こんな人いそう・・・

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乙女チックですなぁ・・・

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敗訴っ!

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ジョジョ?

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そして、こちらが500番目の羅漢である。

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仁王門をくぐり、西院にいく。

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御影堂である。弘法大師生誕の佐伯家の宅地にあるお堂である。

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子供時代の弘法大師もいる。

さっそく御影堂を参拝する。

戒壇巡りがあった!早速巡る。暗い・・・

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ありがたい。。。

暗闇を抜けて、地上にでた。そのまま奥の敷地に進む。

産湯井なるものがあった。

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ここで弘法大師の産湯をとったということか?

他にも、

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聖霊殿や、

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護摩堂があった。

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再び東院に戻り、いよいよ日も暮れてきた。

善通寺参拝は以上で終わりだが、帰りのフェリーまで時間がある。

讃岐うどんを食べに行こう!

山田屋についた。

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食った。

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うまかった

フェリーに乗り、帰路につく。

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明石海峡大橋である。

おしまい。

2008年6月26日 (木)

金刀比羅リベンジ(その5:絵馬殿)

奥社から本宮に戻ってきた。

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本宮の裏手には、神庫や神輿庫がある。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

三穂津姫社である。

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さあ、今回の裏のメインである絵馬殿に赴く。

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ここの絵馬殿は、私のフェイバリットサイトである珍寺大道場で紹介されている。

ワンダーゾーンへようこそ!

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いつのバリカンやねん!

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ワニ~ どうやらガビアル系のようですな。

!?

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!!!!

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これですよ!噂の病気平癒記念の絵馬!こんぴらさんのおかげで九死に一生を得た図らしい。でもどう見ても、死・・・・

そのほかにも自衛隊の船やら海保の船やら淡路の漁師やら、某宇宙飛行士の絵馬が飾ってあった。

珍寺大道場で見た光景を目の当たりにし、に浸り、金刀比羅宮の階段を下っていった。

余談:

ワニの絵馬があったのは、こんぴらの語源がインドのサンスクリットでワニを意味するクンビーラに由来することからと思われる。クンビーラはガンジス川の神である。さらにガンガーの乗り物であることから、日本で水上交通の神となったようである。

2008年6月25日 (水)

金刀比羅リベンジ(その4:奥社)

奥社へ向けて、いよいよ出発する。

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じゃじゃじゃ~、、、行きますよぉ~!

しばらく歩くと、常盤神社があった。

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今度は、白峯神社である。白峯神社のご祭神は崇徳天皇である。京都にある白峯神宮は、幕末に孝明天皇が崇徳上皇の霊を鎮めるため、京都に神霊を呼ぼうとしたが、志半ばに崩御されたので、明治天皇が後を継ぎ、建立したものだ。

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他の末社と違って、ここはやはり垢抜けている。

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世紀の怨霊が祀られているということで、なんとなく厳かだ。

次は、菅原神社である。

讃岐は、菅原道真が最初に飛ばされた地である。その後、横暴を極めた藤原基経を文書で批判したことが、宇多天皇に気に入られ、帰京した後、大出世を遂げるのである。まー、その後、藤原時平&醍醐天皇にはめられ、大宰府に左遷・・・。

あっ、こっちも崇徳上皇に負けず劣らずの大怨霊やん!伝説では、清涼殿に落雷を落としたりしている。京都の北野天満宮は、道真の怨霊を鎮める神社なのである。

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まさか、日本怨霊史のツートップがここに鎮座しているとは・・・

・・・・・・・・・・・

それにしても、まだつかないのか・・・?

かなりしんどくなってきた。

さすが、奥社は侮れない。

まだかな?

!?

なんか見えてきた!奥社か?

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休憩所かい!

いいかげんにしなさいよ!

またまた階段を上るはめになった。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今度こそ見えてきた。

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ここまでに要した階段の数は1368段である。心臓に負担がかかる。全く私が偽の王子だったら今頃、心臓が割り避けていることだろう。。。

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奥社は巖魂神社というらしい。金刀比羅本教教祖を祭る神社とな。。。

戦国時代の別当であった宥盛が祀られているらしい。宥盛は、死の直前に天狗になったいう伝説もあるらしい。

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おっ!?なんかある。

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天狗やん!

右が天狗で、左が烏天狗と看板に書いてあるが、左はイワオでは?

最後に、奥社から見下ろす大展望を、とくとご覧あれ!

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左の形のいい山は讃岐富士と思われる。

絶景に感激したところで、本宮に戻ることにした。

2008年6月24日 (火)

金刀比羅リベンジ(その3:旭社~本宮)

  書院を終え、再び金刀比羅制覇に向けて歩き出す。

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祓戸社なるものがある。ここで穢れを祓っていけというノリらしい。天皇陛下が幣帛(へいはく)されたらしい。

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旭社である。天保8年に建立されたもので、神仏分離前には寺の金堂だったらしい。なんでも、江戸時代に森の石松が本堂と間違って、ここを参拝したのみで帰ったという伝説があるらしい。

お賽銭箱には、餅が無理矢理ねじ込まれていた。いくらお正月といっても・・・。

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旭社から再び本宮に向けてGO!ここまでくればもうすぐである。

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賢木門をくぐる。

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やっと本宮に着いた。ここまでに785段の階段を上ったことになる。

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ご祭神は大物主神と崇徳天皇である。海上交通や漁業にご利益があるということで名高い。

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それにしても崇徳上皇といえば、稀代の怨霊として名高い。今際の際に呪いの言葉を吐いたという話を聞いたことがある。崇徳上皇はここ讃岐に流され、没している。。。

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この本宮前は、いろいろと見るところがあるが、とりあえず置いておいて、いよいよ奥社を制覇するため出発する。

2008年6月23日 (月)

金刀比羅リベンジ(その2:書院にて・・・)

いよいよ境内に突入である。

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むむむ。。。テンション上がってきた。

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普段非公開の奥書院公開され、伊藤若冲の絵が見学できる。若冲の絵を見ることが、今回の旅の目的であった。私も若冲は好きではあるが、JINはかなりの若冲好きである。私は蕭白とか芦雪の方がいいのだけどね。

芸術鑑賞の前に・・・

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船のペラのようだ。こんなの奉納してどうするのか?いくら金刀比羅が海上交通にご利益があるといっても・・・。

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アフリカ象・・・

では書院にGO!

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書院は、表書院、奥書院、白書院からなるようだ。

表書院には、丸山応挙の虎などの襖絵がある。さすがは応挙ではあるが、個人的には長沢芦雪の丸々した虎が好きである。

白書院には、現代画家が椿の障壁画を描いており、まだ製作中であった。あまり和な感じがせず、違和感があった。

奥書院は、岸岱や今回の目的である若冲の「花丸図」がある。

あいにく写真撮影禁止なので、お土産で買ったポスターで紹介する。

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ご覧のように、金色をバックにむやみやたらに花の絵が描いてある。何か法則性があるのかと注意深く見たが、まったく分からなかった。こういう自由なところがいかにも若冲である。たぶん、自分が書きたいものを手当たり次第に描いたのだろう。それにしても、この部屋で一日過ごしたら精神衛生上よくなさそうである。

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庭などをみて、書院を出てきた。

これでJINの目的は、八割がた達成されたが、私のリベンジは奥社制覇なのである。

戦いは、まだまだ続くのである。

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ひひ~~~ん!

2008年6月22日 (日)

金刀比羅リベンジ(その1:金刀比羅への道)

平成20年1月5日。

JINが行きたいというので、香川県の金刀比羅宮に行くことにした。

早朝に、神戸のポートアイランドからフェリーに乗り込んだ。

香川に着くまで、ぐーすか寝ることにした。

着いた。

琴平町までやってきたが、凄まじい車の数である。なんとか駐車場に止めて、いざ出じ~ん♪

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さあ、記念すべき一段目の階段である。あまりにも有名だが、金刀比羅宮にお参りに行くには、恐ろしいほどの階段を上らなくてはならない。本宮までが785段で、奥社まで行くと、1368段だそうだ。

以前、金刀比羅宮に行ったときは、九州一次遠征の帰りで寝不足ということもあり、体力的に本宮までしか行けなかった。親父様にそのことを告げると、

「なんや!?奥社まで行けへんかったんか?ワシはいったぞい!そんもんも行けへんのか?こわっぱがぁ~!」

と、馬鹿にされたものだ。

そういうこともあり、今回は絶対に奥社に行くことを誓ったのだ。

そう、私は、リベンジャー、否、Avengerとなったのだ。

まあ、そんな私の回想録はどうでもいい、、、

じゃじゃじゃ~、行きますよ!JINさん!

一歩目を踏み出した。

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参道には、お土産屋さんなどが、立ち並ぶ。

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おっ?100段目である。楽勝!

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なんか飽きてきた。むー、肉体的ダメージより前に精神的ダメージを受けるとは、マジックハンマーでMPを削られたような気分だ。このままでは、自爆もできないままストーリーが展開してしまう。。。

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なんじゃ?この親父は?

琴陵宥常という親父らしい。本地垂迹説により、神仏がぐちゃぐちゃになっていたのを、明治時代に神社に直したのだが、そのときの宮司さんらしい。

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大門が見えた。この門をくぐると、境内である。

???

まだ、境内じゃなかったのか

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もう、こんなに上ったのに・・・

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右手には、金刀比羅本教の本部がある。

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鼓楼である。中にある太鼓は、今も朝夕に鳴らされているとな。

さあ、大門である。

大門には、こんな人たちが鎮座されていた。

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誰ですかな?

いよいよ、やっと?境内に突入である。

2008年6月20日 (金)

京都迷宮入りⅣ(その5:竜安寺)

   竜安寺にやってきた。

竜安寺といえば、石庭である。ちなみに山号を大雲山といい、臨済宗妙心寺派のお寺である。

境内はかなり広い。山門をくぐってから、石庭のある方丈まではかなり距離がある。

方丈に入る。早速石庭のお出ましだ。

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意外に小さい?

それにしても人多っ!

静かなところで一人石庭を眺めていると、頭がおかしくなって、小宇宙(コスモ)が見れそうだが、あいにくのこの賑やかさでは到底無理だ。

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石庭前の廊下はこんな感じである。

ぎーさん曰く、石庭というのは本来、この板戸の内側から眺めるものらしい。そうすると、この奥行きの全くない庭が、奥行きがあるように見えるとな。。。

そういえば、テレビジョンで見るときは、座敷からの映像のような・・・。

まあ、思っていたとは違うかったので、ちょっと拍子抜けである。これを見て、何か感じるセンシティブな私ではないわ!

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方丈の裏側に回った。こんなものがあった。蹲踞(つくばい)というらしい。

蹲踞とは茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のことらしい。真ん中の穴が「口」で、その周囲にへんやつくりが書いてあり、全体として、「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)と読めるのだ。ちなみにレプリカだそうだ。

そうこうしていると、方丈が終わった。

あれっ!?これだけ?

なんと、仏殿等は非公開らしい。

・・・・・・・・・・・。

なんかお寺っぽくない。庭やん!

もっと線香臭く、坊さんのお経などを期待していた私は、すっかり意気消沈である。まあ、禅寺では、そういうの見たことないな・・・。

いじけて、方丈の外にある庭を散策する。

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なかなか美しいですな。

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この池は、鏡容池という。かつては、石庭より有名で、竜安寺のメインだったようだ。

まあ、でかい池なんやけど・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

竜安寺を出た。

これで、京都シリーズ第四弾は終了である。最後に・・・・、

竜安寺はりゅうあんじではありません!りょうあんじです。

おしまい

2008年6月19日 (木)

京都迷宮入りⅣ(その4:妙心寺)

妙心寺にやってきた。

妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山で、妙心寺派というのは、臨済宗寺院の半分くらいが所属するという大派閥だそうだ。

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妙心寺の境内は広大で、三門、仏殿、法堂、方丈などが一直線上に並ぶオーソドックスな禅宗の伽藍である。境内の割には、伽藍の規模が小さい。。。

その広い敷地の中には、これでもかというほど塔頭が建っている。

いったいどれだけ立てれば気がすむのか?と疑問に思ったが、

お前は今までに食ったパンの枚数を覚えているのか?

という答えが返ってきそうなので、考えるのをやめた。

・・・・・・・・・

法堂に入ってみた。

天井には、狩野探幽筆の雲竜図が描かれている。八方睨みの龍なので、ぐるぐる回ったら、龍の目が追っかけてきた。おそらく、ぎーさんのオツムに興味が行ったのであろう。。。

また、ここには国宝の鐘がある。かつては、鐘楼に架かっていたのだろうが、保存のため、法堂に展示されていた。

ちなみに往年の音色を録音したテープも聞けた。まぁ、ありがたみはないわな・・・。

美術鑑賞好きな私にとっては、探幽の絵は興奮しまくりであった。妙心寺を後にした。

2008年6月17日 (火)

京都迷宮入りⅣ(その3:仁和寺)

神護寺から仁和寺にやってきた。

看板に吉田兼好法師縁の寺と大々的に宣伝していたのをみて、ぎーさんが一言。

「徒然草で仁和寺の坊主はくそくそに書かれとるやん!」

・・・・・・・

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早速、仁王門のお出迎えである。京都三大門の一つらしい。残りの二つは、南禅寺の三門と知恩院の三門だとか・・・。

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仁王門をくぐる。かなり境内は広い。境内には御室桜という低木の桜が群生している。お花見のシーズンになると、仁和寺はかなりすさまじいことになるのだ。京都で生活すると、観光シーズンの春と秋は本当にうざい・・・。余談だが、大学院時代は、葵祭りに泣かされたものだ・・・。

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金堂である。国宝である。桃山時代の御所の紫宸殿を移築したものらしい。現存するし神殿の遺構では最古のものだとか・・・。

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本尊は阿弥陀三尊である。

ところで、仁和寺といえば、真言宗御室派総本山なのに阿弥陀仏が本尊とはちょっと不思議である。大日如来ではないのね?

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御影堂である。こちらは江戸時代に御所の清涼殿の材を使い建築したものである。

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観音堂である。

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五重塔である。

続いて、御殿を見学することにした。

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中に入る。

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御殿を中心に、白書院とか庭があるのだが、画像を見れば、特にコメントはいらんでしょう。

さすが、仁和寺ということだ・・・。

2008年6月15日 (日)

京都迷宮入りⅣ(その2:神護寺)

高山寺から神護寺にやってきた。

神護寺の山号は、高雄山であり、京都で紅葉といえば、高雄というくらい秋に観光客の多いところである。そんなところにぎーさんと二人初春の3月に来たものだから、駐車場の親父が不思議がっていた。

紅葉は好きだが、別に寺がメインだからいいのだよ・・・。

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こういった山寺にめがっさ長い石段は避けては通れない。いわば、不健康なじじばばをふるい落とす関門なのだ。

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なかなか立派な三門ですな。桜門というらしい。

神護寺は、高野山真言宗遺跡本山であるらしい。なんかよくわからん・・・。

開基は和気清麻呂だとのこと・・・。

和気清麻呂といえば、弓削道鏡事件のとき宇佐八幡までご神託を聞きに行った親父である。そういえば、夏に宇佐まで行ったばかりだったので、感慨深い。

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で、これが、和気清麻呂の御廟らしい。桜門をくぐると、すぐ近くにあった。

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鐘楼である。ここにかかっている梵鐘は国宝なのだが、一般公開されていない。損した気分になる。ぎーさんなどは、ショックのあまり・・・。

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高山寺と違い、こちらは伽藍らしい伽藍である。

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この谷に向かって、かわらけ投げをする。厄除けの土器の皿を投げるのだ。

悪霊退散!

かわらけがきれいなアーチを描く。

一方、ぎーさんはものの見事に失敗して、へろへろと土器が自由落下していった。

各地の観光地でよく見るかわらけ投げであるが、ここ神護寺が発祥とのことである。

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最後に金堂にやってきた。金堂は昭和の建物なので、かなり新しい。

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金堂から伽藍を眺める。

さあ、下界に下りるとしますか・・・。

2008年6月14日 (土)

京都迷宮入りⅣ(その1:高山寺)

平成19年3月16日。京都行脚シリーズも第四弾である。

今回は、ぎーさんと高山寺などを巡ることにした。高山寺までは、交通が不便なこともあり、車で行くことにした。

駐車場に車を止めて、いよいよ参拝である。いきなりの石段である。ちょっとした登山なのである。

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さて、高山寺であるが、山号を栂尾山(とがのおさん)という。真言宗御室派系のお寺らしい。かの有名な鳥獣戯画を所有するが、あいにくオリジナルは京都国立博物館が預かっている。

それにしても山である。ぽつぽつと建物があるだけで、見事に山である。伽藍というには寂しすぎるような・・・。

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石水院にやってきた。開基の明恵上人が後鳥羽上皇から賜った学問所ということらしい。国宝に指定されている。

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古いなぁ・・・、と思いつつ、いまいち国宝に指定された価値が分からなかった。

石水院を出て、山を散策する。

途中で、何でもないようなところに日本最古の茶園と石碑があった。

何でも栄西が持ち帰ったお茶を明恵上人がもらい、この地に植えたとのことである。

以来、室町時代ころには、お茶の産地として有名であったらしい。

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開山堂があった。

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明恵上人御廟である。

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仏足石じゃないくわぁ~

仏足石は、その上に仏が存在することを想像することで信仰の対象とする装置である。原始仏教は、偶像崇拝を否定していた。仏足石は、それが少し緩和されたものである。

写真に撮ってると、ぎーさんが、

恐れ多いことしよるな・・・

とつぶやいた。

気にしな~い

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金堂にやってきた。

これで大方見学したのだが、ただっぴろい境内にお堂がぽつぽつとあるだけで、本当に寂しい。何故、これが世界遺産なのか・・・?

所蔵しているお宝が凄いからか?日本の茶園の発祥地だからか?

数多く謎を残し、高山寺を後にした。

2008年6月 8日 (日)

ボルネオ探検記(その9:街巡り~帰国)

平成18年10月11日。四日目(最終日)開幕である。

今日はゆっくり過ごす。特に予定も組んでいなかったので、コタキナバルの市街を散策することにした。今日は、JINと別行動である。

とりあえず、ショッピング街に向けて、歩いた。お土産屋や本屋を物色した後、港までやってきた。

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漁船らしきものが停泊している。船には、マレーシア国旗が掲げられていた。

港の近くに、セントラルマーケットがあり、魚市場があったので、ふらっと見学した。

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現地人に紛れて見ていると、買って行けとアピールされたが、これから日本に帰る身で生ものを買う気はない。

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サメとか深海魚のようなものも並んでいる。

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どんなけエイを重ねれば気が済むんだ・・・

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カマスですな・・・。

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なんだか食欲を起こさせない色の魚だ、、、

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おっ!マグロ状態!

魚市場で悦に浸り、移動開始。

腹も減ったので、レストランに入った。

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マレーには、ニョーニャという料理がある。マレー風中華料理である。

麺類を食った。うまかった。

ぶらぶら買い物などをしていると、そろそろ頃合になり、ホテルに戻る。

だんだん天気が怪しくなる。

ホテルに入ったとたん、スコール開始。かなり危なかった。

JINは先に帰っていた。

しばらくすると、迎えのガイドがきた。

・・・・

空港に着き、出発である。

コタキナバルで出国審査をする。飛行機が離陸し、今度はラブアンで着陸することなく、クアラルンプールへ。

クアラルンプールで時間があったので、タイガービールとやらを飲んだ。特に美味しいとは感じなかった。

深夜にクアラルンプールを離陸し、早朝に関空に着陸した。無事帰国である。で、いったん帰宅したのち、昼から出勤した。本当にお疲れであった。

おしまい。

2008年6月 7日 (土)

ボルネオ探検記(その8:オールド・モスク夜)

  ニュー・モスクの見学を終え、ヤヤサンで買い物、食事などをしていたら、すっかり夜になった。ちなみに食事は中華系ファーストフードだった。ブルネイ・ドルを両替しようとして、緊張してたら、両替商のご婦人が怒ってると勘違いしたらしく、びびっていたらしい。JINに、怒ってるんじゃないかって、聞いてきたらしい。失礼な・・・。小心者やから青ざめてただけやのに。。。

夜には、オールド・モスクがライトアップされている。

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モスクから、妙ちくりんな歌が流れる。礼拝にこいよーという呼びかけのようだ。

ぞくぞくと人が入っていく。

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めがっさきれいと思わないかなっ?

写真をとりまくり、そろそろ時間になった。

帰りはタクシーである。

途中でニュー・モスクのライトアップも見れた。

空港に着いた。

スーパーで買っておいた謎の飲料を飲む!

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うまい!っのか?

なんとも微妙な味である。言葉では表現できない。あえて言うなら、口の中でしゃっきりぽん・・・

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閑散としているが、なかなかきれいなロビーである。

そして、飛行機に乗り込み、あっというまにコタキナバルに着いた。これでも国際線なのだから、不思議だ。

タクシーでコタキナバル中心部まで帰る。

前日までの散策でハイアットの近くにバーがあったので、そこに行くことにした。

目的地の近くで、JINが運転手に、

「Stop requsted.」

とほざいた。

まあ、意味はなんとなく分かるため、タクシーも止まった。

でも、それはハワイのザ・バスが停留所に止まる前に流れる放送ですよ・・・。

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よくわからない銘柄のビールを飲む。

これで、本日は終了である。おつかれさま・・・。

2008年6月 5日 (木)

ボルネオ探検記(その7:ニュー・モスク)

スコールが治まったので、移動を開始した。

次の目的地は、ニュー・モスクである。

ニュー・モスクは、現スルタンが建立したモスクで、正式名称は、ジャミヤシル・ハサニル・ボルキア・モスクである。長い・・・

ヤヤサン付近から、結構離れたところにあるので、バスで移動する。

着いた。

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画像ではよくわからないが、とてつもなくでかい!

近づくと、全体像が全くファインダーに収まらない。

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そして、装飾もただならない雰囲気である。

よくわからないが、とてつもなくゴージャスな作りなのでは?

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ぶらぶらと周りを散歩するだけでも、結構時間がかかる。

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時間も中途半端だったのか、中に入れないのでよくわからないながらも、礼拝者は少ないようだ。なんとなく閑散としている。オールド・モスクと違って、郊外にあるからだろうか・・・?

本当に廻りを回るだけで、再び中心地に向かって、バスに乗った。

2008年6月 4日 (水)

ボルネオ探検記(その6:カンポンアイール)

オールド・モスクを見学した後、ヤヤサンで昼食をとった。

中華っぽいやつを食った。ポット・ヌードルとやらで、要は鍋焼きラーメンである。

くそ暑い中、鍋焼きなんぞ食ったものだから、汗はかくは、口の中は火傷するは・・・

昼食後、カンポンアイールを見学することにした。

カンポンアイールとは、水上集落のことで、ここブルネイのものは、世界最大級といわれている。ついでにいうと、ネット検索していると、東洋のベニスなんて標語もある。ベニスは行ったことないが、なんか違うような気がする。。。

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で、これが、カンポンアイールである。

眺めていると、水上タクシーが交通網として発達している。水上タクシーといっても、船外機付きのちっこいボートである。それにしても競艇のようなスピードである。

タクシー同士でスピードを競っているようだ。捲くり差しとかモンキーターンとかでそうな勢いである。

景色を眺めていると、タクシーの運転手?が営業に来た。

ま、せっかくだし、のんびり遊覧でもしますかね

交渉はJINに任す。

交渉成立。

いざ、しゅつじ~ん!

おぉ。すごいスピードだ。おけつが痛い。

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奥に見えるのは、王宮とのことである。なんかメルヘンチックである。

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水上集落まで来ると、さすがにスピードは大人しくなった。

運転手?がいろいろ説明してくれるがマレー訛りの英語でよくわからん。

JINに通訳させる。

ここには、学校、警察、消防、モスクなど生活に必要なものが一通り揃っているらしい。

水は、無尽蔵のこの汚い水を使っているのか?

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電気はどうしているかというと、

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ちゃんと通っている。

しかし、洪水が起きれば、一挙に流れそうだ・・・。

そんなことを言ったら、水上集落自体がナンセンスか・・・。

よっぽど水害がないらしい。

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水上集落の人たちは、結構裕福な人が多いそうだ。テレビだって、普通に家庭にあるのだ。車は対岸においていたりするらしい。

家から、子供たちが川に飛び込む風景も見られる。

元気一杯に手を振ってくれたりする。ん~、すれてな~い。

インドだったら、やっぱ金がらみになるのかなぁ・・・

1時間ほど見学して戻ってきた。運転手に料金を渡した。

JINが何やらお礼を言っていたが、私はそそくさと岸に上がった。

JINも岸に上がり、お別れを言うと、運転手は満面の笑みである。

どうやら、観光客を一人捕まえると、相当ぼろいようだ。

仲間たちに自分の幸運を誇っていた。

ま、こっちも気分がいいので、喜ばしい光景だ。

そうこうしていると、いきなりスコールがやってきた。

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すさまじい雨だ。しばらく雨宿りですな・・・。

2008年6月 2日 (月)

ボルネオ探検記(その5:オールド・モスク)

ロイヤル・レガリアを見学して後、オールド・モスクを見に行くことにした。

途中、公園を横切ると、トイレのような建物の影に女性がうずくまっているのが見えた。

何気なく見ていると、サラダ?を嬉しそうにドレッシングと混ぜているようだ・・・。

????

何をしているのか分からなかった。

女性と目が合う。

すると、女性の顔色が見る見るうちに変わった。

み、見たな~~~~~~

犬神家の「たたりじゃ~!」のババアのようである。

そいうえば、今は断食月か!?

ということは、このおばはん、戒律を破ったな!

たわけっ!

おばはんが何か大声で吼えているが、無視した。

しかし、モスクの前で食わなくても・・・。

あっ、イスラム教は偶像崇拝とか否定しているんやったっけ?

まあ、どちらにしろ、つまらぬ者を見てしまった。

モスクに着いた。

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オールド・モスクの正式名称は、スルタン・オマール・アリ・シャイフディーン・モスクというらしい。長いな・・・。

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前国王時代(1958年)に建てられたものである。ヤヤサン・ショッピングセンターという日本で言えば、ジャ○コ見たいなところから、近い。立地条件ばっちりだ。

ちょうど、モスク内を見学することができた。警備のおじさんは、難しそうな顔で結構親切な人だった。中に入るときは、黒衣を着なければならないが、無料で貸してくれる。

内部は静寂に包まれている。礼拝者が何人かいるが、一心不乱にお祈りをしている。イスラム教は、偶像を否定しているので、モスク内は何にもない。私としては、少し物足りないものがあった。

見学を終え、黒衣を返す。モスク前で警備のおじさんに記念撮影を頼んだら、気さくに応じてくれた。ブルネイの人は、基本的に親切な人が多そうだ。インドだったら、この後、必ず、手のひらを見せるのだが・・・。

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比較的新しいモスクではあるが、オイルマネーの恩恵か?とてもきれいなモスクであった。私たちが、モスクを後にすると、ちょうどお昼のお祈りの時間になったらしく、礼拝者が殺到してきた。

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