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  • 第五位:第一次九州遠征(2号線の旅)
    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
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    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
  • 第二位:中欧旅行
    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

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2008年5月

2008年5月30日 (金)

ボルネオ探検記(その4:ちょっとブルネイまで・・・)

平成18年10月10日。ボルネオ3日目開幕である。

今日は、なんと、隣の国、ブルネイ・ダルサラームに行くのである。ボルネオ行き一週間前に、JINと向こうで何をするか打ち合わせたとき、二日目はすぐに決まって、三日目に悩んだ。で、出した結論が奇しくも二人同じであった。それが、ブルネイ行きである。

「確かあのへんにブルネイがあったよなぁ?」

という、軽いノリである。

決まってしまうと、そこは、異常なJINの行動力である。ロイヤル・ブルネイ空港に問い合わせて、ものの見事にコタキナバル~バンダルスリブガワンの航空券を押さえてしまった。

ともあれ、空港に着いた。

ロイヤル・ブルネイの飛行機に乗り込む。

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むむ?日本人がいない・・・。

離陸前にテレビ画面にメッカの映像が流れる。そして、コーランの一説が流れる。何を言っているのかは、分からないが、なんだかありがたそうなので、聞き入る。

ってか、こんなところで騒いだら、どうなるものか・・・

離陸した!・・・と、思ったら着陸した。30分くらいしか飛んでなかったのではなかろうか?

ブルネイの空港では、スルタンご夫妻がお出迎えである。

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空港からバンダルスリブガワンの中心までは、バスで行く。なんか適当なわりに上手く着いた。

最初にタムというマーケットに行ってみた。

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断食月のせいか、品物が少ないような気がする。

そうそうブルネイはイスラム教の国である。イスラム教の国の王様は、スルタンと呼ばれる。このへんは、世界史でおなじみだろう。

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どうみても、汚い川に船が浮かび、魚を売っている。ちなみに、この川で一瞬、テッポウウオを目撃した。

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旧国会議事堂である。つい最近新しい国会ができたようだ。この当時は、まだ現役だった。

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それから、ロイヤル・レガリアにやってきた。

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何かというと、スルタンの秘蔵のコレクションを展示した博物館である。

お宝とか、ASEANにスルタンが出席したとき使った椅子とか、スルタンの私物が惜しげもなく展示されている。非常にありがたいものである。

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中から天井を見ると、こんな感じである。

ロビーには、

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こんなのが置いてあった。

肝心の秘蔵は、写真撮影禁止になっている。ありがたや、ありがたや・・・。

2008年5月29日 (木)

ボルネオ探検記(その3:テングザルを見に行こう!)

サピ島から戻ってきた。

ホテルの部屋に戻り、しばらくすると、次の目的であるクリアスリバークルーズのお迎えがやってきた。

予定よりだいぶ早いお迎えで、まだ用意しきれていなかったJINはたいそうご立腹だった。とにかく出発である。お迎えの車の中には、何人か日本人の客がいた。ガイドは現地人で当然マレー訛りの英語しか話せない。細かいところは、いつもどおりJINに任せる。

しばらく車を走らせると、東南アジアらしいスコールになった。日本人的感覚ならば、こんなん絶対中止やん!という勢いの雨である。ガイドは能天気に車を飛ばした。それにしても、飛ばしすぎでは・・・?どうもコタキナバルの人は、スピード狂のようだ。午前中の渡船もあまりの爆走っぷりに私のお腹が悲鳴を上げたのだから・・・

結構な時間を車に乗られ、リバークルーズの出発点に着いた。

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まだ、雨が降っている。とりあえず、雨もちも兼ねて、軽食を食べ、のんびりティータイムである。

そもそもこのリバークルーズに参加したのは、テングザルを見るためである。テングザルとは、鼻の妙に長い妙ちくりんな猿である。子供の頃、図鑑でその存在を知り、大層衝撃を受けた。ある意味、憧れの生き物である。このボルネオ旅行に出る前に、コレだけは絶対見ると、JINに断言し、手配も自分でした。まさに執念である。

クルーズ参加者の中には、一緒にきた某旅行会社のオプションツアーとして参加している方もいた。私たちは、現地手配したので、正直彼らよりかなり安い価格で参加している。

そうこうしているうちに雨も上がり、出発時間となった。

一応、レインウェアを着込む。先月行った尾瀬縦走のために購入したものだが、尾瀬はぴーかんだったので、思わぬところで使うことになった。

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うむ。ボルネオっぽい。第二次世界大戦では、こういうところで戦争をしていたのかと思うと、やり切れない気持ちになる。

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船は進む。ってか、やっぱ飛ばしてますな

途中、何度も船は止まり、テングザルを捜すが、なかなか見つからない。

ブタオザルやカニクイザルはもうええっちゅーねん!

当たりもかなり暗くなり、もうダメかと諦めていた。

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なんかいる?ガイドが騒ぐ!

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遠くにかすかに鎮座されるは、テングザル様では?

肉眼では結構きつい。

こういうときはスナイパーJINの一眼レフが役に立つ。ってか、私のコンパクトデジカメでは映りませんでした。ということで、テングザルの画像は全てJINさんのです。ありがとう!心の友よ!

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肉眼でも見えるくらい近くでも見れた。うーむ、なんてふてぶてしいんだ。

腹がこっぽり出てて、ちょっとメタボ体型で、片膝ついてすわるところなんか、おっさんですやん!

こんな奇妙な生き物がいるとは、知っていたが、実際見ると感動ものである。

小学校以来の夢が叶ったといっても過言ではない。

次は、アフリカで野生のキリンさんが見たいのだぁ

まあ、そんなことはどうでもよくて、かなり興奮を覚え、船は帰路に着く。

途中、ワニを探していたが、見つからなかった。まあ、それは、ナイル川に行くときに、とっておこう。

夜になり、蛍の木を見る。木に蛍が大量に止まっているので、クリスマスツリーのようだ。実際の蛍を見ると、日本の蛍よりさらにちっこい、米につく虫みたいだった。

ゴールに帰ってきた。

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帰ってくると、ディナーが用意されていた。バイキング方式で腹いっぱい食った。JINはお気に召さなかったようだが、私の口には割りとあった。

ホテルに帰る。帰りも猛スピードだ。JIN曰く、一般道で160キロでていたらしい。

恐るべし!

2008年5月26日 (月)

ボルネオ探検記(その2:サピ島)

  平成18年10月9日。ボルネオ二日目開幕である。

朝方窓を開けたら、JINに虫が入ると怒られた・・・。

・・・・・

ホテルの朝食はなかなかマレーっぽかった。JINは不服だったようだが、私はそれなりに食えた。

今日は、トゥンク・アブドゥル・ラーマン海洋公園のサピ島へ行く。

ステラハーバーからサピ島への渡船が出ている。タクシーに乗ってやってきたが、何故か車内は中国語のラジオがかかっていた。

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これに乗っていく。手続きをしたら、厠に行こうとしていたが、そんな暇もなく出港となった。

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船が猛スピードで走る。さすが、ヤンマーの船外機だぜ!

・・・・・・・・・・・・・

む。むむむ・・・。

船が波にぶつかるたびに、私の腹にこたえてきた。

やばい!

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もうすぐだ!がんばれ!俺!

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着いた!もうすぐ!

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なんか入島手続きがある。早くしろ!

やっと、すんだ!JINに後を託し、厠を係りの人に聞き、猛ダッシュ

なんか生まれそうになりながら、トイレに駆け込んだ。それにしても長かった。

普通、手続きする小屋にあるやろっ!

一息ついて、気がついた。

紙がない・・・

見ると、蛇口とホースが設置されている。これは・・・?

・・・・・・・・・・・・・・・

数分後、すっきりとした表情でJINに再会する私がいた。

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天気は曇りだが、水はきれいだ。喜び勇んで海に入る。

とにかく、魚が濃い!

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なんでも餌付けしているそうだ。ちょっと興ざめだが、いないよりいいだろう。

ナマコとかと遊び、泳ぎ疲れた。

それにしても皮膚がピリピリするのは、何故だろう?不思議だ。

しばらくすると、帰りの船が来た。

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そういや、今年は海で泳いだの、これが初めてか?とか考えながら、島を離れた。

2008年5月25日 (日)

ボルネオ探検記(その1:序章)

  平成18年10月8日。

昨年12月のハワイ以来の海外旅行に出かけた。行き先はボルネオ島である。台湾、ハワイに続いて生涯三回目の海外旅行である。昨年の8月の台湾が初海外とかなり遅いデビューであったが、結構なハイペースである。

同行人はお馴染みのJINである。今回は、JINが忙しく、珍しくも私がかなり手配することになった。

そもそも何故ボルネオかというと・・・。男のロマンでしょう!?

まあ、某格安旅行会社のキャンペーンに入ってたのもあるんですが・・・。今回の旅行はフリーツアーとなっているので、現地情報やら、現地ツアーの手配とかをネットを駆使した。

いやぁ、ネットで便利よねぇ?

というわけで、関空である。ちなみに関空までは、神戸空港から出てる船で、少し酔いながら来た。いささか気持ちが悪いが、出国審査等を済まし、いつもスタバでコーヒータイムである。

で、ここでJINと二人で親とか友人とかにメールしまくりである。うーむ、妙な習慣がついてしまった・・・。

ボルネオ島はグリーンランド、ニューギニア島に続いて世界で三番目にでかい島である。国もマレーシア、インドネシア、ブルネイがある。

今回は、マレーシアでボルネオの玄関口?であるコタキナバルまで行く。直行便のない日なので、クアラルンプール経由となった。

関空をいよいよ離陸する。この頃の私は、飛行機になれていなかったので、非常にびびっていた。

クアラルンプールに着いた。

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めがっさ広いと思わない?

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空港内も電車も走っている。

しばらく空港を堪能する。

・・・・・・・

堪能しすぎた。

コタキナバル行きは国内線なので、途中で入国審査である。つつがなく終了。

で、離陸。

・・・・・・・

着陸。

でも、コタキナバルではないのだよ!

ここは一歩手前のラブアン島なのである。

途中停車のある飛行機など初めてだ。

空港に降りることができた。

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なんもねぇ~

離陸時間になり戻る。

それからすぐにコタキナバルに着いた。

クアラルンプールで既に入国しているのに、再び入国審査があった。

なんでもコタキナバルのあるサバ州はかなり自治力が強いため、こういうことになるらしい。なんだかよくわからん。

もう夜中である。空港に巣くう全長30センチメートルほどの白いヤモリが印象的だった。それから妙にテンションの高い地元ガイドに連れられ、ホテルに着いた。とりあえず、寝よう!

・・・・というJINではなかった。

なぜかホテルの周りを散策した。JINはすでにホテル周辺2キロメートルくらいの地理情報を手に入れたようだ。

相変わらず、体内にGPSでも搭載されているのか?

私といえば、道路に歩行者信号がないので、決死の覚悟で突っ走らなければ、道路の反対側に渡れないことしかわからなかった。

2008年5月19日 (月)

長野闘痔の旅(その3)

平成18年11月5日。三日目開幕である。

本日は、夕方に帰神予定ということで、それまでマル氏とノンベンダラリンとドライブすることにした。

マルの提案で蓼科へ。まずは蓼科湖に来た。

蓼科湖は人造湖であり、しょぼかった。特に景色もよくなかったので、ここでは取り扱わない。そもそもしょぼすぎて写真など撮っていない。

で、白樺湖にやってきた。

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こちらは大変きれいな景色である。かつて湿原だったようで、こちらは天然の湖である。

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所々紅葉している。それにしても真っ赤で美しい。

白樺湖の散策を終え、そのまま霧ヶ峰にドライブすることにした。

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大自然!これぞ、信州ですな。

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クールですねぇ

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最後に八島ヶ原湿原にやってきた。

ここはマル氏推奨スポットである。なんでも外国の研究者が来たときに、連れてきたらたいそう喜んだそうな。

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木道が整備されており、ミニ尾瀬といった雰囲気だ。

もうすぐ、信州は雪に閉ざされる。で、住みたいとは思わないが、たまに行くならいいところである。なんでもマル氏曰く、マイナス10度になるとか・・・

そうこうしているうちに、時間になった。

諏訪から再び高速バスに乗り、帰路に着く。終着駅は大阪。

窓越しに手を振るマル氏が見えた。私は涙で何も見えなかった。というのは嘘よん。

おしまい。

2008年5月18日 (日)

長野闘痔の旅(その2)

平成18年11月4日。

長野二日目である。切れ痔もすっかり治った。本日は、志賀高原に行くことにした。

志賀高原といっても、広大な面積なので、当然、少し散歩しようというだけである。

マルに車を出してもらって、一路志賀高原を目指す。途中で野生の猿に遭遇し、興奮したが、マル氏は日常茶飯事の一言で片付けてしまった。

現地の観光案内所に行くと、いろいろなトレッキングコースが提案されていた。その中から、1時間程度のサンシャイントレールコースを選択した。

まずは、蓮池出発である。

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ここから地図を片手に散策する。

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それにしてもさすが長野の高原である。生えている木の植生がまるで違う。木の表面が白い木は白樺でいいのかな?

志賀高原を十分散策した後、ドライブで県境を越えた。途中で日本国道最高点を通過し、ついた先は群馬県は草津白根山である。

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ここには湯釜と呼ばれる火口湖がある。その水の色がなんとエメラルドグリーンなのだ。写真で見て、絶対行きたいとマルに駄々をこねた。

駐車場に着くと、あいにくのガスである。それにしても、とてつもなく寒い。

火口まで来た。

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かすかにエメラルドグリーンの水色が見える。本当はもっときれいな景色が見たかった。残念である。

目的を果たしたが、時間的にまだ観光地を回れる。

マルの提案で善光寺に行った。

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小学校以来の善光寺である。

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山号は定額山である。善光寺には宗派というものがない。一応、天台宗と浄土宗の別格本山にもなっているが、無宗派であり、オンリーワンの存在なのだ。なんでも日本で宗派が別れる前から存在するかららしい。

まあ、とにかくとてつもなく歴史的、宗教的に貴重なお寺というのは間違いないだろう。

そんな歴史の重みは置いておいて、小学校のとき、ここの戒壇巡りを体験し、たいそう興奮したのを覚えている。考えてみたら、私の戒壇巡り初体験である。まさか、そのときは、全国各地で戒壇巡りをすることになるとは・・・。

このときは、しなかった。昔の記憶では、真っ暗な中を進むと、最後にごろごろ回る石か何かがあったはず。輪廻を表しているとか、解説されていたような・・・。

善光寺を参拝し終えて、さすがに日没が近づいてきた。

しかし、無謀にもあと1箇所回ることにした。

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戸隠神社中社である。本当は天の岩戸がある奥社に行きたかったのだが、それは今後の宿題となった。それにしても真っ暗でほとんど何も見えん!

お土産で蕎麦を買って帰った。

2008年5月16日 (金)

長野闘痔の旅(その1)

平成18年11月3日。

早朝の阪急梅田前バスターミナルに私はいた。ここから高速バスに乗り、信州に行くのである。信州には、私の大学時代の親友マルがいる。彼に会いに行くのが目的である。

マルとは奈良で学び舎を共にした。私は真面目学生で、毎日大学の講義を睡眠学習していた。マルは、自宅で度重なる怪奇現象にもめげず、睡眠を果たしていたものだ。テスト前になると、マルの交友関係は広かったので、真面目っ子グループから借りたノートをコピーし、二人でよく勉強した。

そんな彼も信州で大学院に行った。前回訪問したときは、ちょうど2004年のアテネオリンピックが開催中であった。ちなみにそのときは、青春18切符で攻めた。

さて、話を当日に戻す。まだ時間がある。車中は長いので、今のうちにトイレットを済ましておくか・・・。

個室で一息いれ、ある異変に気づいた。

こ、これは・・・。

私の体にとんでもないことが起こっていたのだ。

こんな状態で長野に行って大丈夫か・・・?

少し、ショックもあり、気がめいる。

しかし、マルが待っている。友情パワーっ!

意を決めて、バスに乗り込んだ。

隣には、OL風のご婦人が座った。出発である。私は少し寝入ることにした。

・・・・・・・・

高速道路走行中。

?異変に気づいた。

隣のご夫人が足を組んで寝入っている。その組んだ足を私のほうに向けているので、見事に私のパンツにご夫人のいつ犬の糞、あるいは、馬糞、牛糞、人糞を踏んだか分からないような靴の裏が当たっていた。

私は、優しくご婦人のおみ足をインサイドキックした。

「貴方の臭い足の裏が私に当たっているのです。弱小超人にはご遠慮願おうか・・・。」

すると、ご婦人は理解を示し、後部の開いていた座席に移動した。

そんな日常的風景がありながら、諏訪に着いた。

マルの用事が終わるまで、私一人で観光することになった。

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まずは、諏訪大社下社秋宮である。諏訪大社には、上社が二つ、下社が二つある。幼少の頃と前回2年前に上社の二つを訪れているので、今回、秋宮と春宮を行けば、制覇である。

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若いカップルに写真を撮ってもらったり、老夫婦の写真を撮ってあげたり、かなり参拝客が多く、にぎやかである。

秋宮を参拝し終え、途中で塩羊羹を食し、春宮にやってきた。

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こっちは客も少なく閑散としている。

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春宮の近くの川沿いに万治の石仏がある。

江戸時代のものらしい。かの岡本太郎氏も芸術的に影響を受けたらしい。

諏訪湖のほとりまで帰ってきた。

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片倉館という温泉施設である。ここの名物は千人風呂である。しかも、湯船が深く、立ったまま入るのである。何でも、昔、一日中働かせた女工さんを効率よく入浴させるため、そういう構造になっているそうな・・・。マルに聞いたがほんまかいな?

前回は諏訪に着いて、早々入ったが、今回は、夕食後、マルと入った。

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諏訪湖畔にやってきたが、すっかり暗い。そうこうしていると、マルから連絡が入る。無事再開を果たした。

夕食は、前回私が舌を巻いた、マル御用達の鳥屋さんである。ここの鳥わさと釜飯が格別なのである。福岡でも数人に食いにいこうぜと誘ったが、鳥を食うために諏訪まで行こうというチャレンジャーはいない。

マルの部屋でくつろぎながら、近況報告や、ハワイの話などしていたが、私は機を見て、告白をした。

今朝、トイレに行ったら、血便でた

すると、マルは即答した。

まっちゃん、それ、切れ痔やで

俺もあったで

おー、心の友よ!

私の心は、不安から安心に変わったのだった。

2008年5月15日 (木)

筑前海岸物語Ⅱ(志賀島探検)

  平成20年4月某日。

今回の筑前海ドライブは志賀島である。

博多湾を蓋するように海ノ中道があり、その先に、志賀島がある。

志賀島と言えば、漢倭奴國王の金印発見の地として有名である。

海ノ中道から志賀島は砂で埋まっているため、島と言うより半島になっている。

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志賀島に渡り、金印ドッグ(道端に露店で売っているホットドッグ)には目もくれず、海沿いを走る。←もっとも海沿いしか道はない。

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野鳥がいた。

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初めに訪れたのは、金印公園である。ここで金印が発見されたのだ。

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早速、階段を上り、海側を見る。

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金印の印字である。

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海を見ると、漁労作業中であった。この辺は、わかめが名物(金印わかめ)なので、その養殖作業中であろうか?

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さらに奥にいくと、変な地図発見!

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この妙なオブジェは、金印のようですが・・・。

金印公園からさらに車を走らすと、蒙古軍供養塔が建っている。

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ここ博多湾は、蒙古襲来の舞台である。文永の役で捕虜となり、処刑された蒙古軍兵士を弔うために建てられたものである。

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福岡西方沖地震までは、こちらが供養塔だったらしい。

道路を挟んで西に歩くと、万葉歌碑がある。

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その山側の階段を上ったところにかつて蒙古塚があった。

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今は日蓮上人が鎮座されている。

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首切塚というらしい。

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蒙古塚から志賀島を一周し、元に戻ってきた。

最後は志賀海神社である。

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伊邪那岐命の禊祓によって出生した底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)・仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)・表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)の三柱を祀っている。

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またもや万葉歌碑である。思わず防人の歌を思い出す。

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この石造宝篋印塔は県内最古である。神仏習合のなごりである。

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ここ志賀海神社は、全国の綿津見神社の総本宮(海神の総本社)である。

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早速境内に入る。

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参拝。

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鹿角堂とある。何かな?

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うげっ!鹿の角やん!

キモイです。

その昔、神宮皇后が対馬でハンティングを楽しんだそうな。で、ぶっ殺した鹿の角を奉納したのが起源らしい。ちなみに鹿だけに志賀島かとおもったら違うようです。

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「「近い島」がチカシマ→シカシマ→シカノシマと訛ったものです。」と半切れ気味に書いてある。

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亀石というらしい。亀石というと飛鳥のあれを思い出すのは、私が奈良LOVEだからであろう。

三韓征伐の際、志賀大神が亀に乗って現れたという伝説にあやかっているらしい。

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思ったより、立派な神社で興奮して、志賀島を出発した。

2008年5月13日 (火)

奈良世界遺産巡り(その5:東大寺)

世界遺産巡りもいよいよ最後である。オオトリを飾るに相応しい寺院は、東大寺である。

どう考えても奈良といえば、東大寺の大仏様なのである。東大寺は、華厳宗の総本山である

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とりあえず、奈良公園内を歩く。遠くに若草山が見える。

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南大門が見えてきた。

東大寺と言えば、聖武天皇が建てたということが、日本史の教科書でも出てくる。このとき、聖武天皇は全国に国分寺を建立するが、その総本山でもある。

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いよいよ大仏殿はすぐそこだ。

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右手に雅な池があった。

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大仏殿である。20世紀以前に世界最大の木造建築物であった建物である。

スケールがでかい。20世紀とあえてことわりを入れたが、20世紀以降にはこれを上回るものがあるらしい。

では入る。

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大仏様である。正式には盧舎那仏座像という。

子供のころに見た印象というのは、たいていオーバーであるが、これは全くオーバーではなかった。でかい!

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大仏様の周りにも何体か仏様がいる。

大仏殿の柱に穴が開いているものがある。この穴は結構有名だが、くぐるとご利益がある。本当は、風水的な作用があるらしい。

私がくぐろうかと思うと、台湾人?ご一行様が楽しんでいた。ちょっと残念だが、遠いところからよ~こそ、よ~こそ、わ○つ○のや○~ なのである。

大仏殿を見学した後、三月堂に行った。

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この近くには、四月堂とお水取りで有名な二月堂がある。

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ここが二月堂かと感慨に耽った。お水取りを見たいと思ったが、未だ実現せず・・・。

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今回は、奈良を巡ってお腹一杯である。しかし、まだまだ見ていないところがたくさんあるのだ。それは、また次の機会で・・・。

最後に帰り際、奈良公園を歩いていると、こんなものを見つけた。

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宝蔵院跡?

おぉ、宮本武蔵で有名な槍の宝蔵院ではないか!?

胤栄である。胤舜である。

結構興奮して奈良を終える。

2008年5月12日 (月)

奈良世界遺産巡り(その4:春日大社)

春日大社に行くことにした。

春日大社の鳥居をくぐってから、随分歩いた。しかし、着かない・・・。

鹿がいた。

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動物を見ると、妙に興奮する私。雄山羊様以外は、好きである。雄山羊様は敵ですから!

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何か言いたそうである。私に「さんかく」を捜させる気だろうか?あいにく、私には、美人で歴オタの彼女はいないのである。

しばらく歩くと、やっと見えた。

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春日大社は当然旧官幣大社であり、藤原氏の氏神である。

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鹿が神使とされる。だから奈良公園は鹿だらけなのである。

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春日大社は歴史の途中で興福寺に取り込まれていくが、明治に復活したのだ。

それにしてもでかい。ここに来るのは、小学校以来ではなかろうか?

おみくじでも大吉をゲットしたので、ほくほくである。

春日大社の裏山は、春日山原始林と呼ばれ、世界遺産になっている。

聖域として伐採が禁止されたため、千年以上手付かずであったのだ。

ちょっと行ってみた。

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紅葉には少し早かったようだ。ここはまだ原始林の序の口である。というか、本当に行こうとしたら、一日仕事でしょう・・・。

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こんなのとか・・・。

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こんなのとか、原始林っぽいのでは?

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しばらく行くと、寺があり、ちょっと見学した。これ以上行ったら戻れなくなりそうなので、引き返すことにした。

帰り際、途中で圧倒的に抜いた小父様にあった。

「君、早いな!しかし!」

「いえいえ私などミジンコみたいなものですよ。42キロ走る直前にお好み焼きを食って、42キロ中ひたすら食い続けて、42キロ筋肉走りで完走する漢(おとこ)を私は知っています。」

という、会話はなかった。

ま、マジで足の速さにはびびってたけどね。

猛スピードで山を下ると、春日大社が見えてきた。

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それにしてもでかい神社であった。

2008年5月11日 (日)

奈良世界遺産巡り(その3:興福寺、元興寺)

奈良公園にやってきた。

呑気な鹿を見ながら、興福寺にやってきた。

南都六宗の一つ法相宗の大本山であり、かの有名な藤原氏の氏寺である。

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この興福寺という寺は、奈良公園を歩いていると、何の予兆もなく、突然あらわれる。なぜかといえば、境内が既に奈良公園の一部になっているからだ。かつて、広大な領地を持っていたことが、伺える。

奈良、つまり、大和国は、武士が治めた鎌倉以降も守護地頭が存在しなかった。その役目は興福寺が担っていたからだ。戦国時代も事実上、戦国大名として君臨していた。僧兵の立ちの悪さでは、京の叡山と南都の興福寺が有名である。

ちなみに大和国は、織田信長時代には、松永弾正が治めたり(反乱を起こして信貴山で爆死?)、筒井順慶が治めたりしている。筒井は、興福寺の宗徒あがりであったりする。

まあ、それはおいておいて、ここもお宝の宝庫である。凄まじいものが普通においてあるとこが、すごい。

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猿沢の池より興福寺五重塔を望む。

アオミドロの繁茂する汚い池でも、こういう風に見れば、なんとも雅である。

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続いて、元興寺にやってきた。

途中、住宅街のようなところを通ったりしたので、本当に道があってるか不安だったが、なんとか着いた。

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蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺が前身ということで、たいそう由緒正しい寺である。

それにしてもこじんまりした寺である。何故世界遺産に登録されているのか、よくわからなかった。

かつては大寺院だったらしい。本堂は極楽堂と称し、国宝である。

まあ、なんとなくほっとする寺であった。

奈良世界遺産巡り(その2:唐招提寺、薬師寺)

法起寺から奈良交通の路線バスに乗り込み、うとうとしていたら唐招提寺に着いた。

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あいにく金堂が大修理中で解体されていた。2009年に修理完了予定のようだ。またリベンジを果たさねば・・・。

かなり広いお寺である。ご存知の通り、鑑真和上を唐から招いたときに開いたお寺である。南都六宗の一つ律宗の総本山である。名前の通り、戒律を重視する宗派である。

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いろいろ散策していると、開山御廟というところにやってきた。鑑真和上のお墓である。

御廟まで続く道は、素適に苔むし、聖地の様相である。

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京都の苔寺には行ったことがないが、それに匹敵しそうな苔むし具合である。

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これが御廟らしい。

唐招提寺を後にし、すぐ近くの薬師寺にやってきた。

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ここの名物は何と言っても、東塔、西塔のツインタワーである。東塔は、創建時から残る唯一の建物である。

金堂には国宝の薬師三尊が祀られている。ってか、普通に国宝がごろごろしているのは、やはり奈良である。

大講堂には、これまた国宝の仏足石がある。古代仏教は偶像崇拝を否定していたので、足跡だけを石に写し、そこに現れる仏を妄想したのだ。この仏足石は日本最古らしい。

ばたばたであるが、薬師寺から再びバスに乗り込み、奈良公園方面を目指した。

2008年5月10日 (土)

奈良世界遺産巡り(その1:法隆寺、法起寺)

平成18年11月18日。

私は大学時代を奈良で過ごした。しかしながら、まだそんなに寺に目覚めていなかった私はいつでも行けるという油断からすっかり奈良の文化遺産を見ることを忘れていた。

翌年4月から福岡で働くことが内定していた私は、この後悔を清算するために、奈良の寺を巡ることにした。それも世界遺産を巡る。

奈良までは私鉄の1デイチケットがお徳だった。

早朝に阪神から大阪地下鉄を経由し、近鉄に乗り込み、奈良駅で降りた。なぜか一路JRを目指す。朝が早すぎて、先に法隆寺に行くことにした。

法隆寺駅から法隆寺までは普通の人はバスで行くが、私は徒歩だ。

着いた。

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おぉ、なんかしらんが凄そうだ!

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ツアーガイドのご婦人が、

「ここから見る法隆寺が一番きれいなんです!」

と、断言していた。

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中門である。左右の仁王像は奈良時代のもので、日本最古のものらしい。

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そう!法隆寺は、日本初の世界遺産である。同時に選ばれたのは、姫路城、屋久島、白神山地である。

入場料は千円だが、あまりの凄さに十分元は取れる。

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いきなり五重塔である。

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金堂である。

国宝のオンパレードである。

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大宝蔵院には、法隆寺の文字通りお宝が展示されている。

この内容が恐ろしい。百済観音、玉虫厨子を代表に、国宝、重要文化財の無限増殖である。国立博物館級である。九博より圧倒的に上である。

あまりのことに鼻息荒く、夢殿に行く。

ここには秘仏救世観音がある。明治時代にフェノロサという西洋人とその一味(岡倉天心)が強引に覗いたらしい。学術的には成果があったが、オカルトマニアとしては見てほしくなかった。

法隆寺の隣には、中宮寺があり、ここには、木造菩薩半跏像がある。

学術的、芸術的に大層優れた仏像である。その微笑はアルカイックスマイル(古代的微笑)と評される。なんか妙に印象に残る。

アルカイックスマイルにすっかり魅了され、法起寺に向かった。

法起寺は「法隆寺地域の仏教建造物」として、法隆寺とともに世界遺産に登録されている。

どんなものか期待したが・・・。

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三重塔があるくらいで、とくに大したことはなかった。

法起寺から出ると、運よくバスに乗り込んだ。

2008年5月 8日 (木)

大阪城決戦!?

平成20年3月3日。

昨日は、3年連続篠山マラソンに出走し、見事完走した。

また、2年連続で、某古着屋の伝説を目の当たりにし、度肝を抜かれた。出走直前で食うか・・・、普通

昨日の興奮冷めぬまま、大阪城にやってきた。大阪城は恥ずかしながら、行ったことがなかった。遠くから見るばかりであったのだ。大学時代に大阪城公園前で半裸で騒いでいた紀州男子がいたが、そんなことはどうでもいい・・・。話を進める。

大阪城公園で降りたが、なかなか城が見えてこない。マラソン明けには非常につらいのだ。

私の足の筋肉は、

見よ!この筋肉!カッチカチやぞ!カッチカチやぞ!ゾックゾクするやろ!?

状態だからである。

やっとお堀に着いた。

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門が見えた。

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門をくぐる。

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天守閣はまだまだである。乳酸地獄である。

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ちょうど梅が咲いていた。

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美しいねー!なんだが、心が落ち着くのである。きもてぃーーーー!!!←G.G.佐藤?

梅とは違うが、何故か昔JINと行った造幣局の桜の通り抜けを思い出す。

あれは、拍子抜けであった。要するに、いろんな品種を植えていて、展覧会みたいだったからである。この梅もいろいろ種類あるなぁ。。。

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なにやら石山御坊縁の遺構らしい。もしもタイムマシンがあったなら、見てみたい城は、安土城と石山御坊である。

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豊国神社があった。

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太閤はんじゃありませんか!

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京都の豊国神社に比べると、しょぼいのである。

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ちなみに裏には、微妙な石庭があった。

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桜門である。いよいよ天守が近づいてきた。

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巨大岩石発見!こんなのが、ペルーあたりのジャングルにあったら、謎の古代文明とか言われるのかねぇ?

ちょっとよじ登りたかったが、足も痛かったのでやめた。

何故上るのかって?そこに石垣があるからさ!

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旧第四師団司令部庁舎である。こんなところに軍部を置いていたのだ。現在は、大阪歴史博物館になっている。

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やっとこさ、天守閣までやってきた。

では入る。

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金明水井戸というらしい。なかなか古いものだそうだ。

覗いてみた。

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汚ねぇ!

パンフレットを落とすなよ。。。てっきり、中に入ると、怪しげなコンピュータや五重のリングがあると思ったのに・・・。

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ロード・シルバー・カートリッジ!ってー!!!

さ、入ろ。

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おぉ!バッド・カンパニー?

一挙に最上階まで・・・

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いい見晴らしだ!

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こう見れば、大阪もなかなかの大都会ですな。

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さっき散策した梅林が見える。

下に降りる途中は博物館になっている。

有名な金の茶室も見学した。思ったよりしょぼい?

鎧の着用なんかできる。女性二人組みが着込んでいた。外国人男性が鼻息荒くして、写真を撮っていた。

外に出た。

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なかなか絶景である。

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天守閣前には、残念石なるものがあった。

江戸時代の大阪城修復の際、小豆島で砕石されたが、用材として叶わず、ほったらかしにされていたらしい。昭和56年に大阪と小豆島の青年会議所が運び込んだらしい。

ま、どうでもいい話である。

なんだか疲れたから帰ることにした。

2008年5月 1日 (木)

筑前海岸物語Ⅰ(糸島珍道中)

平成20年4月某日。

ちょっと糸島半島をドライブした。

糸島半島とは福岡県西部の玄界灘に突出した半島である。結構ダイナミックな海を見ることができる。

まずは、ちょっと糸島かどうか微妙な佐賀県境から・・・。

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二丈町にある包石である。昔から筑前と肥前の国境で、伊能忠敬の測量日誌にもでてくるらしい。

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実はこの包石、数年前に崩れていたのだ。今回、当然崩れていると思ったら、しっかり復興していた。奇特な方が復建したのだろう・・・。

ちなみにこのとき、地元民が野菜を洗っていた。漬物にでもするのだろうか?

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佐賀県境から東進すると、見晴らしのいいところに出た。

玄界灘だねぇ

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センサーが働いた。

箱島という。

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箱島には箱島神社がある。

どういう神社かは知らないが、とにかくこういうものを見つけると、探検したくなるってものだ。

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なかなかアグレッシブな道だ。

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しょぼ・・・

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だが、箱島から見る景色はなかなかよい。

志摩町にある船越という地区の漁港にやってきた。

変なもの発見!

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なんだろう?

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なんじゃ?このふてぶてしい親父は・・・?

ひょっとしてえべっさん?

・・・・・・。

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なんじゃこりゃ?

パゴダ?

あ・・・ありのまま今起こったことを話すぜ!

俺は糸島で漁村を満喫していると思っていたら、いつのまにか、ミャンマーでパゴダを見ていた。

な・・・何を言ってるのかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった・・・。

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どうやら、ここに海軍の基地があったようで、供養塔だそうだ。でも、何故パゴダ・・・?

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玄界灘だねぇ

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芥屋(けや)にやってきた。またまた神社発見!

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村社大祖神社と書いてある。

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なかなか古そうな本殿である。

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後で調べたら、なんでも9柱もご祭神がおられるそうな・・・。

おりすぎやな・・・。

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玄界灘だねぇ

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ちょっと展望台に上ってみた。山道を猛ダッシュだ・・・

この山?を海から眺めると、芥屋の大門(けやのおおと)が見えるはずである。日本最大級の玄武岩洞らしい。あいにく遊覧船に乗らないと、見えないのである。今回はスルーした。

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こうして糸島を満喫したのであった。

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