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    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
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    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
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    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

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2008年4月

2008年4月27日 (日)

京都迷宮入りⅢ(その14:東・西本願寺)

東寺を後にして、てくてく歩く。

西本願寺までやってきた。

まずは、唐門を見学する。

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国宝のこの唐門は、なんでも伏見城の遺構で、桃山文化の結晶なのである。

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あいにく現在、御影堂は改修工事中である。それにしてもでかい寺である。

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せっかくなので、東本願寺にも行ってみた。

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こちらも立派な寺である。

本願寺は、東西に分かれている。徳川家康時代に東西に分かれたのが、徳川が真宗の勢力を弱めるために分けたという話を聞いたことがある。

まあ、真相はどうかしらん。

ほぼ日没コールドということもあり、しっかり見ることができなかった。

今回の京都散策は、かなり慌しかった・・・

あまりにも多くのお寺に行き過ぎて、すっかり寺酔いをしてしまった・・・。

おしまい

2008年4月25日 (金)

京都迷宮入りⅢ(その13:教王護国寺)

JR稲荷駅から電車に乗り、京都駅に着いた。

京都駅前と言えば、京都タワー・・・、もとい、東寺である。

駅前と言えど、歩くと何気に距離があるのだ。

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南大門をくぐる。

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いつ来ても、立派な寺だ。ただ交通の要所に位置しているので、少々騒々しい。

東寺の正式名称は教王護国寺である。嵯峨天皇が、スーパースター弘法大師のために建てた寺で、国家鎮護の中心的なお寺なのである。京都の玄関口を守るといったところか・・・。ちなみに鬼門の位置には、比叡山がある。

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かの有名な五重塔である。木造塔日本一の高さを誇るらしい。今回は、特別拝観で内部を見ることができた。柱を中心にして壁に曼荼羅とかいろいろ書いてあり、薄暗かった。

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金堂と講堂である。金堂には、国宝級の仏像がごろごろしており、凄まじい。そもそも東寺の建物自体が凄まじい文化財なのだが・・・。

以前両親と来たときには、観智院という塔頭?で宮本武蔵の絵を見た。

正直言って、完全に風化しており、意味が分からなかった。

この寺は、じっくり見れば見るほど、いろいろ発見できそうだが、何故か落ち着かない寺である。やはり騒々しいのか?

2008年4月20日 (日)

京都迷宮入りⅢ(その12:石峰寺)

伏見稲荷からてくてく歩き、妙な住宅地に迷い込みながら、石峰寺にやってきた。

黄檗宗のお寺である。黄檗宗の親分と言えば、萬福寺であり、中国ちっくなお寺が多い。

ということで、ここ石峰寺も真新しい中国風の赤門がお迎えしてくれる。

門をくぐると、特に特徴的なお堂があるわけでもない。

ここの醍醐味はかの江戸時代稀代の画家伊藤若冲が下絵をし、石工に彫らせたという五百羅漢像である。

裏山?に上る。

早速現れた。

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壮大に石ころが転がっているが、どうにもいじりにくい・・・。

伊藤若冲の作品なのか?

私は伊藤若冲の展覧会を何回か見たことがある。ちなみに友人のJINは若冲LOVEである。シュールな絵や、なんか適当に描いたような絵がおおかった。

絵は色あいが素晴らしく目を引いたが、石になってしまっては、色もないので、わけが分からなくなっている。

さ、次いこ!

京都方面に戻った。

2008年4月15日 (火)

京都迷宮入りⅢ(その11:伏見稲荷大社)

東福寺駅から電車に乗り、稲荷駅で下車した。

目的地は伏見稲荷大社である。すぐに伏見稲荷に着いた。

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ここ伏見稲荷は稲荷社の総本社である。楼門は、天正17年に豊臣秀吉により建てられてそうだ。楼門の前には狛犬の代わりに狛狐がいる。

早速テンションがあがり、ダッシュする私・・・。

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本殿である。ここにも狛狐がいる。参拝を終え、いよいよあれを通ることにした。

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そう千本鳥居である。テンション上がりまくりである。

私は伏見稲荷に来たのが、初めてである。前から行きたいと思っていたところである。

ある意味ワンダーランドである。鳥居立てすぎやろ!

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途中で分岐があった。どちらにいこうか迷う。

無限回廊になっているかも・・・

そういうときは、下→下→下→上→上→上と行くか(3つ目の下はしゃがみ抜け)、6番目の鳥居を壊すと脱出できるかもしれない。

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あいにく無限回廊にはなっていなかった。

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鳥居を抜けると、奥社奉拝所と「おもかる石」があった。

願い事をし、石灯籠の頭(置いてあるだけなのだ。)を持ち上げる。思ったより軽かったら、願い事が叶うらしい。

やってみた。

「結婚!」

石を上げる。チェスト~!

軽っ!

これで私の恋愛運はうなぎ上りである。←ご利益ないな・・・

この奥にもエリアが広がっており、奥社となっているようだが、時間に追われていたので、退却した。いずれリベンジしなければ・・・。

2008年4月13日 (日)

京都迷宮入りⅢ(その10:東福寺)

東福寺にやってきた。

東福寺は臨済宗東福寺派の大本山で、京都五山の第四位である。Img_1696

この橋は通天橋といい、東福寺のシンボル的存在である。紅葉のシーズンには観光客が嬉しそうにこの橋を渡り、一面の紅葉を楽しむシーンがニュース等で流れるのだ。

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伽藍はこんな感じである。

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先ほどの通天橋を渡る。

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開山堂である。かなり独特である。こんな開山堂は見たことがない。

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庭はこのようになっていた。なかなか見事だ。

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通天橋を戻り、散策していると三門があった。かなり立派な三門である。

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今回、浴室と東司を見ることができた。

浴室は、何と京都最古の浴室である。昔のお風呂と言うのは、現在と異なり、スチームサウナのことである。中に入ると、ガイドが講釈をたれていた。適当に聞きながら、いろいろ見ていた。結構ガイドが邪魔だった。

東司とは、トイレのことである。現在は使われていない。室町時代唯一の東司の遺構らしい。中に入ると、いっぱい穴があった。う○こさんがおられないか確認したが、跡形もなかった。

東福寺をぶらぶらと散策し、次の目的地に向かった。

2008年4月12日 (土)

京都迷宮入りⅢ(その9:三十三間堂、泉桶寺)

三十三間堂にやってきた。

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正式には、蓮華王院本堂という。妙法院というお寺の境外仏堂である。元は後白河法皇が離宮内に建てた仏堂だったそうである。本尊は千手観音である。

お堂正面の柱間が33あるということから三十三間堂というが、33という数字は、観世音菩薩の33化身に由来するようだ。

とりあえず、中に入る。靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。

入ると、ひたすらまっすぐ通路があり、右手に仏像が所狭しと並んでいる。あまりの驚愕映像に興奮の色を隠せない。

しばらくいくと、なんと結婚式をやっていた。

祝福するぜ!

しかし、こういうところで結婚式とは・・・。私ならば落ち着かないがね。

お堂を抜け、外に出た。

どのくらい長いかを実感しようと歩いてみた。

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長っ!

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こんな庭園もあった。

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ここがお堂の中央部のようである。

凄まじい仏像群を想像し、悦にひたりながら、次に移動した。

京都駅から一駅だけ電車に乗り東福寺駅に着いた。

東福寺に行く前に、泉涌寺(せんにゅうじ)にいくことにした。

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予想以上の道のりを越え、やっと三門までやってきた。

中に入る。

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写真は、手前が仏殿で、奥が舎利殿である。

泉涌寺は真言宗泉涌寺派の総本山で、本尊は阿弥陀如来(過去)、釈迦如来(現在)、弥勒如来(未来)の三世仏である。

古くから皇室と深い結びつきがあり、菩提寺であった。また、御陵が多くあることから、「御寺(みてら)」と呼ばれる。ここには、天智天皇以降の歴代天皇の位牌がある。

それにしてもここは真言宗のお寺にも関わらず、伽藍の形式が禅宗っぽい。

伽藍が一直線に並んでいるからだ。しかも三世仏が本尊というのも不思議である。真言宗であれば、普通は大日如来だからだ。なんとも不思議なお寺である。

解せぬ・・・

京都迷宮入りⅢ(その8:六道珍皇寺、六波羅蜜寺、豊国神社等)

清水寺からてくてく歩き、六道の辻と呼ばれるエリアにやってきた。六道とは、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の世界のことであり、つまりあの世とこの世の交差点という意味である。

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六道珍皇寺にやってきた。門の前には、「六道の辻」の石碑がある。

この六道珍皇寺は小野篁の縁の寺である。小野篁は、平安時代に活躍した官人である。この人は、オカルトファンにとっては、かなりメジャーな人である。

あまりの優秀さに毎夜井戸を通って、地獄に降り、閻魔大王の補佐をしていたとか・・・。

この井戸が、この珍皇寺に存在する。

また、境内には閻魔堂があり、いかつい閻魔大王像が祀られている。

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この井戸が地獄の入り口である。この井戸の先には、おそらく五重のリングに六騎士が待ち受けているのだろう。

小野篁に関するなぞなぞである。

1 「無悪善」

2 「子子子子子子子子子子子子」

これを読んでみよう。答えはぐぐったら出てくる。

続いて、六波羅蜜寺にやってきた。

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開基は空也である。この寺で有名なのは、やはり空也像である。歴史の教科書には必ず出てくる。がりがりの坊さんが口から仏を吐いているやつである。

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このあたりにはかつて平家の屋敷「六波羅殿」があった。そのため、ここには平清盛と言われる像もある。

かなり小さな寺で、建物自体にはこれといって見るべきものもないが、とにかく仏像がすごい。空也像を見たとき、猛烈に感動した。

六波羅蜜寺をでて、何気なく歩いていると、豊国神社を発見した。

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豊国神社は、豊臣秀吉を祀る神社である。ここの他にも大阪城内などにある。

豊国大明神は、徳川家康の政治的圧力により、神号を廃されていたが、明治になり、幕府を作らなかったことが評価され、再興されたのである。

豊国神社の前に、妙な塔があった。

なんだろう?と近づくと、

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耳塚であった。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、敵の首をとる代わりに、耳や鼻を削いだのだが、それを葬った塚である。鼻塚ともいうらしい。

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ちょっと京都国立博物館によってみた。

中は今までに何回も見ているので、建物だけ見て、次にすすんだ。

2008年4月 8日 (火)

京都迷宮入りⅢ(その7:清水寺)

高台寺からてくてく歩き、二年坂・産寧坂を通り、清水寺にやってきた。

ちなみに産寧坂で転ぶと三年以内に死ぬというが、もう5年以上生きている。

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清水寺は、元々法相宗のお寺であったが、現在は独立し、北法相宗という清水寺ONLYの宗派を名乗っている。山号は音羽山で、本尊は十一面千手観音で秘仏である。

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清水寺と言えば、清水の舞台である。舞楽などを奉納する正真正銘の舞台なのである。

ちなみに奥の建物が本堂である。

「清水の舞台から飛び降りるつもりで・・・」

と、よく言うが、実際に江戸時代にバンジージャンプが流行ったそうな。生存率はかなり高かったようだ。私は高いところが苦手なので、飛び降りるなんてとんでもない。近づいただけで、びびりまくりである。

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境内にある地主神社に行ってみた。清水寺の鎮守社で、主祭神は大国主であるが、そんなことより、何故か縁結びの神様として、異様に有名である。

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その原因はこれである。

離れた位置にもう一つある。一方の石の前で目を閉じ、そのまま歩いて、もう一方の石までたどり着けば、恋が叶うとの都市伝説がある。あまりにも有名である。

以前挑戦して、玉砕した記憶がある。リベンジしようかと思ったが、一人でそんなことをしていたら、あまりにも痛い子なのでやめた。

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清水寺と言えば、音羽の滝も有名である。

やたらに長い柄杓で水を汲み、水を飲む。柄杓は、紫外線殺菌されている。日本人の穢れをやたら嫌う性質も異常である。洗えば、いいじゃないか!?私も少し潔癖症のところがあったが、インドに行ったら、そんなもん関係なくなった。まあ、幼少の頃は、道端の草とか食ってたのだが・・・。

三つの滝には、それぞれご利益があるというのは、観光用の都市伝説である。そもそもご利益とか関係ないみたいである。あくまで、身を清めるという意味らしい。

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清水の舞台を下から見上げる。高っ!!

よくこんなところを飛び降りて、命があるものだ。

次に向かうため、清水寺を後にした。

観光客だらけで、うっとおしい面もあるが、私は結構清水寺が好きである。たぶん舞台が面白いのだろう。

2008年4月 7日 (月)

京都迷宮入りⅢ(その6:高台寺)

建仁寺から高台寺にやってきた。

たかだいでらではない。こうだいじである。もっとも私はたかだいでらと親しみを込めて言っているが・・・。

山号は鷲武山(じゅぶさん)である。

豊臣秀吉の菩提を弔うために、北政所が建立した寺で、臨済宗建仁寺派のお寺である。北政所の院号が高台院であるので、高台寺というのだろうが、その名のとおり高台にあるのだ。

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高台寺前から八坂の塔が見える。法観寺の五重塔であるが、塔のみがやたら目立ち、寺は完全に忘れられている。

では、高台寺に入る。

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ここの特徴は、だだっ広い庭に建物が点在していることである。まあ、なんとなくまとまりがないのだ。以前来たときは、ライトアップ拝観であった。紫とか緑とかの光線を当てて、たいそう憤慨した記憶がある。昼間見ると、どういう感じか、結構楽しみであった。

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なんじゃ?こりゃ?

やっぱり訳が分からない寺である。意図が分からない。

珍寺でもないし、雅でもない。

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こっちの庭は普通である。

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開山堂である。

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階段を上ると、霊屋があった。中央に大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を、左右に北政所像、秀吉像を祀っている。まあ、高台寺のメインのようなものである。

この後は、順路に従い、竹林を歩かされたりする。なかなかヘビーな内容だ。拝観料もなかなかだ。

そういう訳で、私はあまり好きな寺ではない。まあ、それなりに楽しめたが、変なライトがあったり、妙なオブジェがあったり、中途半端で精神的に疲れるのである。

高台寺を後にした。

2008年4月 6日 (日)

京都迷宮入りⅢ(その5:建仁寺)

平成19年3月10日。二日目開幕である。

白石先生は、この日用事があるので、別れ、私一人で京都巡りである。

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初めにやってきたのは、建仁寺である。

臨済宗のお寺である。栄西を開山とし、源頼家の寄進により、建仁2年(1202年)に建立された。元号を寺号としている。なお、山号は東山である。

室町時代に京都五山が制定され、建仁寺は、第三位となっている。

画像は本坊である。

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方丈に入ると、枯山水の庭があった。

方丈を散策し、法堂に行こうとすると、妙な仕掛けに出くわした。

有料区域の通路がいったん遮断されている。無料の通路が横切っているためだ。

小さな扉があり、説明書きがある。扉の開け方と暗証番号が書いてあるのだ。

扉を開けて、無料通路を横切る。有料通路の反対側の扉前で、暗証番号を押す。

すると、扉が開いた。どうやら、なかなか儲かっているらしい。

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法堂に入ると、釈迦如来が祀られていた。天井を見ると・・・。

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龍である。禅寺にはよくある手法だ。だいたい一匹の龍であるが、ここは双龍である。

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本尊から一続きに写真を撮ると、なかなかクールな写真になった。

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法堂を外から見たバージョンである。

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これが、三門である。

禅寺おなじみの三門、法堂、方丈が一直線に並ぶ様式である。

なかなか味のある寺であった。

2008年4月 5日 (土)

京都迷宮入りⅢ(その4:上賀茂神社)

運よく、すぐにバスが来た。

上賀茂神社にやってきた。

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正式には、賀茂別雷神社という。ご祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)である。豪族賀茂氏の祖先を祀った神社で、下鴨神社とあわせて、賀茂社という。

下鴨神社と同じく、葵祭の舞台であり、両者とも世界遺産である。

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細殿の前には、立砂(円錐状に盛った砂)がある。御神体である神山を模したもので、清めの塩の起源らしい。

白石先生は、この立砂に興味津々であった。盛んに疑問に思っているらしい。私などは、こういうものを見ても、不思議にも感じない。この辺が、研究者と馬鹿との違いらしい。

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土屋というらしい。

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舞殿らしい。

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楼門の奥に本殿があるが、楼門からは立ち入り禁止になっていた。けちけちしやがって。

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この奥が本殿らしい。

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楼門前に架かっていた橋にて。

なかなか見事な神社だが、見れないところが多く、いまいちだ。

世界遺産に来たという達成感のみを残し、すごすごとバスで再び帰った。

一度、白石先生とともに母校に遊びに行き、夕食を白石先生いきつけの店でとった。

そして、白石邸で宿泊。

次回は、二日目である。

2008年4月 4日 (金)

京都迷宮入りⅢ(その3:下鴨神社)

叡山電車で出町柳に帰ってきた。

まだまだ時間的に余裕があるので、下鴨神社に行くことにした。

下鴨神社へは徒歩で行った。

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俗に下鴨神社と呼ばれるが、正式には、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)という。平安京以前に京を治めていた豪族賀茂氏の氏神ということだ。糺(ただす)の森の中にある。初めは、糺すが読めなかった。

立派な楼門がお出迎えである。

下鴨神社と言えば、5月の葵祭りである。下鴨神社から上賀茂神社まで、行列が練り歩くのである。おかげで、葵祭り開催中は京阪電車が込み合って、うざかったものだ。

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ご祭神は 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)である。上賀茂神社のご祭神の親にあたることから、賀茂御祖神社というらしい。

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末社の一つ、井上社である。災難避けの神様らしい。私の災難を取り去ってくれよ

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大炊殿というお供え物を煮炊きする台所である。

それにしても摂社や末社などもかなり多く、すさまじくでかい神社である。こういうのを見ると、神戸の神社などは、本当に小さい。さすが京都である。

下鴨神社を見たら、上賀茂神社が見たくなった。

夕刻に近づいていたが、白石先生と相談の上、行くことにした。

上賀茂まではバスで行くことにした。

2008年4月 3日 (木)

京都迷宮入りⅢ(その2:貴船神社)

鞍馬寺奥の院魔王殿から山道を延々と歩き、貴船にやってきた。

貴船は夏になれば、川床が現れ、涼をとりながら贅沢な料理を食らうことができる。京の奥座敷といったところである。ちょっと小金を持ったマダムたちがよく訪れるが、こんな3月の寒空では観光客も少ない。

私は純粋に寺社仏閣巡りをしているので、川床がなくとも構わないのである。

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貴船神社にやってきた。

本宮を簡単に参拝して、先に奥に進んだ。本宮はかなり新しい建物であった。

まず、中宮である。

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ここは結社(ゆいのやしろ)ともいい、磐長姫命を祀っており、古来より縁結びにご利益があるとされている。

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本宮にある結び文を結ぶことでご利益がある。早速、本宮で購入した結び文を結ぶ。願い事は、当然、恋愛成就である。今のところご利益ないな~

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奥宮に行く前に、川を見た。素晴らしい透明度である。この水なら川床もさぞ雅であろう。

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奥宮である。

元はここが本宮だったらしい。

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写真の左にある石積みは、船形石と呼ばれる。

上から見ると、船形になっている。変な石積みである。

玉依姫命が川を上るときに乗った船を石で隠したという伝説がある。

ここから貴船神社の名前がついたという話もある。

まあ、謎の石積みである。

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本宮に戻り、水占いをした。霊泉に浮かべると文字が浮かび、恋の行方が占えるのだ。

私の恋路は前途多難絶好調であった。

この水占いであるが、白石先生がかなり楽しみにしていた。結社の縁結びでは私を冷ややかに見ていたのに、水占いはノリノリである。

白石君、ご利益はあったかね・・・?

貴船口から叡山電車で出町柳まで戻ることにした。

2008年4月 2日 (水)

京都迷宮入りⅢ(その1:鞍馬寺)

平成19年3月9日。

いよいよ京都シリーズも第三弾である。今回は、白石先生参戦である。

京阪電車で出町柳まできた。ここで白石先生と待ち合わせである。そこから、叡山電車に乗り換え、鞍馬までやってきた。

目的地は鞍馬寺である。鞍馬と言えば、鞍馬天狗と牛若丸である。

鞍馬寺は、元々天台宗に属していたが、1949年に独立して鞍馬弘教の総本山となっている。う~む。怪しい。

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仁王門である。いよいよ鞍馬寺に乗り込む。鞍馬は京都の山中なので、今回はほとんど登山のようなものである。

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しばらく行くと、由岐神社があった。鞍馬寺の鎮守社である。ここでは、毎年10月に火祭りが行われる。実に勇壮らしいが、私は見たことがない。

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とりあえず、参拝である。

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参道に戻ると、源義経供養塔があった。ここぞとばかりに義経ゆかりを猛アピールだ。

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かなり山道を歩くと、中門にきた。やっと着いたかと思うと、まだまだボディブローのように山道が続いた。

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本殿金堂である。ここまで来る間に、3月初旬というのに、軽く汗ばんだ。

普通、本殿というと神社で、金堂というと寺であるが、鞍馬寺は両方をあらわすような表現である。ちなみに本尊も尊天という。変な寺である。尊天は、千手観音、毘沙門天、護法魔王の三身を一体としたものである。

本殿金堂から霊宝殿までの間の道で、白石先生が鞍馬寺の由来を書いている看板を見つけた。

一読して、

「鞍馬寺って、こんな怪しい寺やった?」

私も知らなかったので、びっくりである。

尊天の一人、護法魔王(←まず魔王というのがおかしい。)は650万年前金星から地球に降り立ったらしい。アダムスキー型できたのだろうか?

こんなに有名な観光地でこんなぶっ飛んだ宗派?の寺もないだろう。

霊宝殿(博物館であるが、寺自体は歴史があるので、なかなかなものもある。)を見学した後、奥の院に向けて歩き出した。

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この門から向こうが奥の院への道である。

ひたすら歩く。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かなり疲れる。

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木の根道にでた。鞍馬観光では結構有名なところだ。

それにしても、元気なじじばばでもここまでで相当を体力を消耗しているはずだ。グロッキー状態でこの木の根とくれば、根につまづき、顔面を強打あるいは、足を滑らし滑落・・・。

怖ろしい・・・。まさにじじばば殺し!

途中ででっかい根があった。白石先生はいつになくハイテンションで木の根にまたがっていた。だんじりファイターか?

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とうとう奥の院に着いた。その名も魔王殿!

精神的ダメージをくらう。

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こんなに苦労して、こんなちっぽけな祠だけとは・・・。

いや、金星人を祀ってるのだから、興奮ものである。

魔王殿を後にし、貴船方向に向けて、山道を下った。

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