英国旅行記(その18:セント・ポール大聖堂)
平成20年2月11日。五日目開幕である。
今日も、早朝から行動である。まずは、District LineでTempleまで行くことにする。ダヴィンチ・コードで登場するテンプル教会を見学したいからである。ところが、電車がTempleを通過。私は、意味が分からず、パニックである。近くの人が、次の駅で逆方向の電車に乗ればと止まると教えてくれた。で、実際その通りであった。うーむ、ロンドンの鉄道ルールは訳が分からない。
Templeで降りると、テンプル教会の場所が分からない。
しばらくすると、こんな建物を発見した。
初めは、Temple教会かと思ったが、どうやら裁判所のようだ。
今日は、なにか重大な法廷があるのか、報道陣が集まっていた。
裁判所には、こんな親父たちが陳列されている。どちら様かは分からない。
近くには、こんなモニュメントが・・・。
ドラゴンですやん!
で、こっちが本当のテンプル教会(Temple Church)である。あいにく、今日は、内部が見学できなかった。ダヴィンチ・コードによると、この中には、テンプル騎士団有力者のお墓が並び、かなり怪しい・・・。
テンプル教会は秘密結社?テンプル騎士団のロンドンにおける拠点であり、1185年に建てられたロンドンで最も古い建物の一つである。
テンプル教会前には、テンプル騎士団のモニュメントがあった。
内部の見学は、今後の課題となった。テンプル教会を後にした。
てくてく歩きの末、セント・ポール大聖堂(St. Paul's Cathedral)にやってきた。
1666年のロンドン火災により、旧セント・ポール大聖堂は灰燼に帰した。現在のものは、チャールズ2世の以来によりクリストファー・レンが設計したものである。1675年から35年で完成させたのである。
でっかいドームが被さった形で、相当でかい。高さは、111メートルあるらしい。
早速、中に入る。あいにく、内部は写真撮影禁止であった。
どの大聖堂でも同じだが、ここも必然的にお墓めぐりになってしまう。しかし、ここのすごいところは、超ビッグネームが眠っていることだ。
中に入ると、身廊がまっすぐ伸びている。厳かな雰囲気である。ドームの下まで、やってきた。天井高っ!!!
ドームの上にも上れるので、後で行くことにした。
1階の展示を見て、地下室に下りた。
ここに、超ビッグネームが眠っているのだ。
ビッグ・ネームの前に、何の変哲もない石が置いてある。実は、これが、設計者クリストファー・レンの墓なのである。墓石には、ラテン語で、
「彼の記念碑を見たい者は、周りを見よ!」
と書いてあるらしい。
この大聖堂こそが、レンの記念碑というわけだ。
さて、ビッグネームであるが、まずは、ウェリントンの墓である。
でかいっ!
ワーテルローの戦いで、プロイセンと協力の上、ナポレオンに引導を渡した大英雄である。
そして、ネルソン提督である。彼の墓はでかい上に、きれいである。
ネルソン提督については、以前に記述したが、トラファルガー海戦の大英雄である。
そして、最後に、チャーチルの墓である。
チャーチルと言えば、第二次世界大戦でドイツの猛攻(バトル・オブ・ブリテン)に耐え抜き、勝利に導いた、ハッタリ屋大政治家である。
ドイツの空爆でロンドンが灰燼に帰しても、民衆を鼓舞し、アメリカが真珠湾攻撃を期に参戦するまで、耐え抜いたのだ。ちなみに、真珠湾攻撃の一報を聞いたとき、チャーチルは、
「これで我々の勝ちだ・・・。」
と、小躍りしたらしい。
また、勝利のVサインが彼の考案によるという説もある。
なぜ、ここまで、彼のことを詳細に書くかというと、まあ、敵ながらあっぱれというやつだ。
それにしても、当初、墓が分からなかった。
もらったガイドマップのところに行っても、何もない。
JINも訳が分からない様子である。
JIN「どこにあるんや?」
・・・・・・・・
!?
!!!!
私「あんた、踏みつけとーやん!?」
そう、地面に埋まっていたのだ。
JINは、恐れ多くも大政治家の上に立っていた。
そんなことがあって、いよいよドームを上ることになった。
階段の入り口に行くと、列が並んでいた。
しばらくすると、開門時間になった。ドームは三層構造?になっており、下から、囁きの回廊、石の回廊、金の回廊と登れるのである。
囁きの回廊までは、163段の階段を登る。前に、遅いのがいて、いらいらしたが、余裕でゴールした。一月前に金比羅を攻めたときに比べれば、楽勝である。
囁きの回廊からは、下の様子が丸見えである。おー、高い!
何故、囁きの回廊かと言うと、反対側でのこそこそ話でも、聞こえてしまう構造になっているということだ。で、実際は・・・。
聞こえん!
で、次は石の回廊である。
119段上る。結構きつい。せまい。
外に出た。
周りが石造りだから、石の回廊?
うーん・・・
くだらないので、先を急いだ。金の回廊である。
152段である。最初からすると、434段である。さすがに乳酸が溜まるが、それより、ここの階段は、いわゆる金属製の階段で、下が見えている。
私は、プチ高所恐怖症なので、やめてほしい・・・
恐怖の末、着いた。
金の回廊も外である。何故金かは分からない。
金の回廊からの風景である。何やら、霞んでいる。これが霧のロンドンというやつか!?
うーむ、光化学スモッグ?
まあ、どおりで、喉はヒリヒリするし、鼻は黒くなるはずである。
この橋は、ミレニアム・ブリッジ(Millennium Bridge)という。文字通り、2000年に開通したが、すぐに人が通ると、橋が揺れすぎるという理由で閉鎖された。
んな、アホな!
2002年から、再び利用できるようになっている。
高所に恐怖しながら、ロンドンの風景を堪能したので、降りることした。
急な階段でびびる私を置き去りにし、JINはもくもく降りる。
JINさん、俺を置いていけ!とは、言ったものの、少し寂しい・・・。
どんなけ急かというと、こんな感じである。
画像は、イメージです。
やっとのことで、降りる。セント・ポール大聖堂を出ると、JINはポール大聖堂前のPaulでパンとミルフィーユを買っていた。
俺を踏み台にした!?
後で、ミルフィーユのおすそ分けをもらったが、非常に美味であった。
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