フォト
2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

リンク

訪問国

  • スリランカ民主社会主義共和国
  • ペルー共和国
  • カンボジア王国
  • フランス共和国
  • オランダ王国
  • オーストリア共和国
  • ハンガリー共和国
  • チェコ共和国
  • ドイツ連邦共和国
  • バチカン

伝説の旅ベスト5

  • 第五位:第一次九州遠征(2号線の旅)
    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
  • 第四位:ハワイのんびり旅行
    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
  • 第二位:中欧旅行
    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

« 英国旅行記(その17:ロンドン街巡りⅡ) | トップページ | 英国旅行記(その19:ロンドン塔~帰国) »

2008年3月12日 (水)

英国旅行記(その18:セント・ポール大聖堂)

平成20年2月11日。五日目開幕である。

今日も、早朝から行動である。まずは、District LineでTempleまで行くことにする。ダヴィンチ・コードで登場するテンプル教会を見学したいからである。ところが、電車がTempleを通過。私は、意味が分からず、パニックである。近くの人が、次の駅で逆方向の電車に乗ればと止まると教えてくれた。で、実際その通りであった。うーむ、ロンドンの鉄道ルールは訳が分からない。

Templeで降りると、テンプル教会の場所が分からない。

しばらくすると、こんな建物を発見した。

London_841

初めは、Temple教会かと思ったが、どうやら裁判所のようだ。

London_843

今日は、なにか重大な法廷があるのか、報道陣が集まっていた。

London_842

London_844

裁判所には、こんな親父たちが陳列されている。どちら様かは分からない。

London_846

近くには、こんなモニュメントが・・・。

ドラゴンですやん!

London_847

で、こっちが本当のテンプル教会(Temple Church)である。あいにく、今日は、内部が見学できなかった。ダヴィンチ・コードによると、この中には、テンプル騎士団有力者のお墓が並び、かなり怪しい・・・。

テンプル教会は秘密結社?テンプル騎士団のロンドンにおける拠点であり、1185年に建てられたロンドンで最も古い建物の一つである。

London_848

テンプル教会前には、テンプル騎士団のモニュメントがあった。

内部の見学は、今後の課題となった。テンプル教会を後にした。

てくてく歩きの末、セント・ポール大聖堂(St. Paul's Cathedral)にやってきた。

London_858

1666年のロンドン火災により、旧セント・ポール大聖堂は灰燼に帰した。現在のものは、チャールズ2世の以来によりクリストファー・レンが設計したものである。1675年から35年で完成させたのである。

London_874

でっかいドームが被さった形で、相当でかい。高さは、111メートルあるらしい。

London_876

早速、中に入る。あいにく、内部は写真撮影禁止であった。

どの大聖堂でも同じだが、ここも必然的にお墓めぐりになってしまう。しかし、ここのすごいところは、超ビッグネームが眠っていることだ。

中に入ると、身廊がまっすぐ伸びている。厳かな雰囲気である。ドームの下まで、やってきた。天井高っ!!!

ドームの上にも上れるので、後で行くことにした。

1階の展示を見て、地下室に下りた。

ここに、超ビッグネームが眠っているのだ。

ビッグ・ネームの前に、何の変哲もない石が置いてある。実は、これが、設計者クリストファー・レンの墓なのである。墓石には、ラテン語で、

「彼の記念碑を見たい者は、周りを見よ!」

と書いてあるらしい。

この大聖堂こそが、レンの記念碑というわけだ。

さて、ビッグネームであるが、まずは、ウェリントンの墓である。

でかいっ!

ワーテルローの戦いで、プロイセンと協力の上、ナポレオンに引導を渡した大英雄である。

そして、ネルソン提督である。彼の墓はでかい上に、きれいである。

ネルソン提督については、以前に記述したが、トラファルガー海戦の大英雄である。

そして、最後に、チャーチルの墓である。

チャーチルと言えば、第二次世界大戦でドイツの猛攻(バトル・オブ・ブリテン)に耐え抜き、勝利に導いた、ハッタリ屋大政治家である。

ドイツの空爆でロンドンが灰燼に帰しても、民衆を鼓舞し、アメリカが真珠湾攻撃を期に参戦するまで、耐え抜いたのだ。ちなみに、真珠湾攻撃の一報を聞いたとき、チャーチルは、

「これで我々の勝ちだ・・・。」

と、小躍りしたらしい。

また、勝利のVサインが彼の考案によるという説もある。

なぜ、ここまで、彼のことを詳細に書くかというと、まあ、敵ながらあっぱれというやつだ。

それにしても、当初、墓が分からなかった。

もらったガイドマップのところに行っても、何もない。

JINも訳が分からない様子である。

JIN「どこにあるんや?」

・・・・・・・・

!?

!!!!

私「あんた、踏みつけとーやん!?」

そう、地面に埋まっていたのだ。

JINは、恐れ多くも大政治家の上に立っていた。

そんなことがあって、いよいよドームを上ることになった。

階段の入り口に行くと、列が並んでいた。

しばらくすると、開門時間になった。ドームは三層構造?になっており、下から、囁きの回廊、石の回廊、金の回廊と登れるのである。

囁きの回廊までは、163段の階段を登る。前に、遅いのがいて、いらいらしたが、余裕でゴールした。一月前に金比羅を攻めたときに比べれば、楽勝である。

囁きの回廊からは、下の様子が丸見えである。おー、高い!

何故、囁きの回廊かと言うと、反対側でのこそこそ話でも、聞こえてしまう構造になっているということだ。で、実際は・・・。

聞こえん!

で、次は石の回廊である。

119段上る。結構きつい。せまい。

外に出た。

周りが石造りだから、石の回廊?

うーん・・・

くだらないので、先を急いだ。金の回廊である。

152段である。最初からすると、434段である。さすがに乳酸が溜まるが、それより、ここの階段は、いわゆる金属製の階段で、下が見えている。

私は、プチ高所恐怖症なので、やめてほしい・・・

恐怖の末、着いた。

金の回廊も外である。何故金かは分からない。

London_881

London_885

金の回廊からの風景である。何やら、霞んでいる。これが霧のロンドンというやつか!?

うーむ、光化学スモッグ?

まあ、どおりで、喉はヒリヒリするし、鼻は黒くなるはずである。

London_871

この橋は、ミレニアム・ブリッジ(Millennium Bridge)という。文字通り、2000年に開通したが、すぐに人が通ると、橋が揺れすぎるという理由で閉鎖された。

んな、アホな!

2002年から、再び利用できるようになっている。

高所に恐怖しながら、ロンドンの風景を堪能したので、降りることした。

急な階段でびびる私を置き去りにし、JINはもくもく降りる。

JINさん、俺を置いていけ!とは、言ったものの、少し寂しい・・・。

どんなけ急かというと、こんな感じである。

London_872

画像は、イメージです。

やっとのことで、降りる。セント・ポール大聖堂を出ると、JINはポール大聖堂前のPaulでパンとミルフィーユを買っていた。

俺を踏み台にした!?

後で、ミルフィーユのおすそ分けをもらったが、非常に美味であった。

« 英国旅行記(その17:ロンドン街巡りⅡ) | トップページ | 英国旅行記(その19:ロンドン塔~帰国) »

イングランド」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。