武雄、吉野ヶ里探検記(その2:吉野ヶ里歴史公園)
吉野ヶ里歴史公園にやってきた。
途中で、公園の下をトンネルで通過したのには、驚いた。遺跡の下を走るのかよっ!?
吉野ヶ里歴史公園は、ご存知のとおり、弥生時代の遺跡である吉野ヶ里遺跡を保存しているだけでなく、当時の建物を復元している大テーマパークなのである。
弥生時代は、現在、紀元前3世紀から紀元3世紀の600年間続いたと考えられている。ここで、現在とわざわざ前置きした理由は、今後変わるかもしれないからである。古代の定説は、かなりの頻度で変わるから・・・。
ここ、吉野ヶ里遺跡は、日本最大の弥生時代の遺跡で、弥生時代の全ての時期の遺構・遺物が見つかっている。
1986年からの発掘で発見されたのだが、子供の頃の記憶に痛烈に残っている遺跡で、私にとっては、憧れの地であった。
では、入る。
南内郭にやってきた。
手前に展望台?があり、それに上ると、遺跡が一望できる。うむ、いい眺めだ。
そのとき、うっちょが不思議そうな顔をした。
う「・・・?あれ、Sさんじゃないですか?」
Sさんとは、私たちの同期社員で別部署にいるのだが、ほとんど会うことはない。
私「そんなわけないやん!そんな都合よく・・・。!?」
Sさんであった。しかも彼女を連れている。
うっちょがS氏を呼び止めると、向こうも驚いた。
楽しいデートを破壊するのも忍びないので、少ししゃべると、解放した。
では気を取り直して、見学である。
物見櫓に上った。
物見櫓を上るときは言いものの、降りるときは微妙に怖い。
物見櫓を降りると、とある建物に入った。
ここ南内郭は、吉野ヶ里の最盛期に支配層が暮らしていたようだ。周りも杭で囲まれ、防備は万全である。
王の住まいらしい。
左の貧相なおっさんが王らしい。右のおばはんが王妃か?
別の建物に入った。
ここにも不気味なデク人形が・・・。
別の建物には・・・。
うむ、まったく時代設定がむちゃくちゃである。しかも、使用禁止?
煮炊屋では、土器でお茶を入れてくれた。
別のところに移動すると、高床式倉庫が現れた。
ちゃんと鼠返しがついている。うっちょがやけに嬉しそうである。鼠返しごときで・・・。
といいつつ、私も興奮していたのだが・・・。
北内閣にやってきた。
このでっかい建物は主祭殿である。クニ全体の重要な会議を行ったり、神事に使われたようだ。入ってみた。
のっぺらぼうの大群である。
三階に上がると・・・。
取り込み中であった。
降りる。
斎堂という。祀りの道具を保管したりする建物らしい。
北内閣を移動し、甕棺墓列にやってきた。
甕棺が行列しているの、壮絶な光景だ。
ちょっと形が・・・。卑猥である。
北墳丘墓である。吉野ヶ里の歴代の王が埋葬されていると考えられている。
手前の道は、墓道である。墓参りに環濠の外からやってくる人のための道である。
環濠とは、ムラの周りに彫られた濠で、迷路のように張り巡らされているのである。
ここで、またS氏を見つけた。
何故か、彼女と並んで、同じ角度から同じ建物を撮っている。
不思議な光景だ。
なにはともあれ、二人の世界を構築しているので、離れて見守った。
倉と市と呼ばれるエリアにやってきた。要するに繁華街である。神戸で言えば三宮、福岡で言えば天神なのである。
市の中心的な建物である。
こうして、公園内の散策を終えた。
うっちょと二人、弥生時代の歴史について深く勉強した。
そして、かなり不思議な男女関係についても勉強できた。
温泉といい、充実した一日であった。
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