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2008年3月

2008年3月31日 (月)

京都迷宮入りⅡ(その4:南禅寺)

南禅寺にやってきた。

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臨済宗の大本山で、正式には瑞龍山太平興国南禅禅寺という。なんと長い寺号であろうか。

ここは、何と言っても三門である。

石川五右衛門がこの三門の上で、「絶景かな。絶景かな。」と言ったとか言わないのとか・・・。

まあ、南禅寺三門は五右衛門の死後三十年以上たってからできたので、全くの創作話なのだけれども・・・。

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三門の下はこんな感じである。

三門に上ることにした。

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恐っ!

私は高いところが苦手なのである。しかも微妙に床が外側に傾斜している。ちなみに仏像が祀られていた。

下りる。

恐っ!

階段をまともに下りられないので、後ろ向きに下りた。

しかも、でかい声で「恐っ!」を連発していたら、観光中のマダムに苦笑された。

まあ、確かに一人で騒いでるわけだから、痛い子やな。

恐怖に慄きながら、無事地上に帰還した。

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法堂である。明治42年に再建されたが、前の建物は、炬燵の火の不始末で焼失したらしい。何やってんだか・・・。 まあ、過失だから金閣寺を故意に燃やした馬鹿より数段ましか・・・。

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釈迦如来、脇侍に文殊菩薩、普賢菩薩である。釈迦三尊というやつで、定番である。

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参道南側にある水路閣である。煉瓦造りで、琵琶湖疏水を通している。明治の建築物で、お寺にモダンな西洋風の建築物とかなりぶっとんでいる。現在は古くなり、周囲とそれなりの調和を醸し出しているが、当時は、違和感があったろう。

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方丈に行ってみた。

中は探幽らしき絵などがあり、なかなか贅沢である。

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六道庭という六道(天、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄)輪廻を戒める庭らしい。

はあ?

意味が分からないが、これを悟るのも臨済宗の修行の一環なのだろう。。。

臨済宗といえば、一休さんのとんちで有名な禅問答をする宗派なのだから・・・。

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方丈から出て、帰路につこうとした。

三門を抜け、もくもくと歩いていると、ビビビっと何か受信した。

はわわ・・・

金地院ではないくわぁー!?

金地院と言えば、金地院崇伝のお寺である。崇伝といえば、徳川家康のご意見番である。なんと、南禅寺の塔頭であったとは・・・。

武家諸法度や禁中並公家諸法度などに関係している坊さんである。家康の死後、家康を権現とする南光坊天海に対して、明神とすると真っ向から対立した。結果は、天海に軍配があがった。

まあ、そんなことはどうでもいい。

金地院に入ってみた。

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奥に進むと、なんと東照宮があった。

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なかなかちっこい東照宮だ。それにしても東照宮と言えば、日光だが、日光だけではなかったらしい。さすが、権現様だ。

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鶴亀の庭という。小堀遠州の作庭らしい。しかも唯一といってほど、小堀作であることが確かである。私的には、どこがいいのかはよくわからない。枯山水というやつは意味が分からない。こういうことは、JINの領域なのである。

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今回の京都散策はこれで終了である。最後に金地院で少しテンションが上がった。

次回の京都シリーズは、白石先生再登場である。

2008年3月30日 (日)

京都迷宮入りⅡ(その3:永観堂)

大豊神社から哲学の道に戻ってきた。

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また思索に耽ろうとかと思ったが、知恵熱がでそうでやめた。

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永観堂にやってきた。浄土宗のお寺で、正式名称は、聖衆来迎山禅林寺という。長い山号である。本尊は阿弥陀如来である。

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ここの伽藍は非常に面白い。各建物が渡り廊下でつながっているのだ。

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玄関から中に入ると、釈迦堂や御影堂などを通る。

ここまではいいのだが、開山堂までは、かなりの急勾配を上る。

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結局、開山堂まで行っても大したことはない。小さなお堂があるだけだ。

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そして、印象的なものが多宝塔である。写真左奥の山中にある。

多宝塔まで行ったが、ここでも急な階段を上った。やはりお寺めぐりは体力がいるのである。

神社仏閣巡りをじじ臭い趣味という輩がいるが、とんでもない話だ。

じじいにこの山は登れないのである。元気な爺さんはその限りでない。

手前の池には、真ん中に島があり、弁天島という。まあ、よくある趣向だ。

なかなかのお寺で感動したが、体力も削られた。

永観堂をでた。

2008年3月29日 (土)

京都迷宮入りⅡ(その2:真如堂、金戒光明寺、大豊神社他)

    慈照寺を出て、哲学の道に戻ってきた。

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どんどん南に下る。

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哲学の道を歩きながら、思索に耽ろうかと思った。

結論を出そうとしても、出せないので考えるのをやめた。

深いことを考えるのは苦手である。

そうこうしていると法然院に着いた。

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あいにく伽藍内はシーズンではないので、非公開である。

正式には善気山法然院萬無教寺というらしい。鎌倉時代に法然が弟子たちとともに六時礼賛を勤めた草案に由来するといわれている。

境内はとても静かである。観光客など誰もいない。私はよっぽどの物好きなのか?

そうそうに立ち去り、哲学の道を再び南進する。

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安楽寺である。法然の弟子たちが開いた念仏道場の跡に立つ寺である。

あいにく非公開シーズンなので門構えだけである。

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真如堂である。鈴聲山(れいしょざん)真正極楽寺というのが正式名称である。

天台宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来である。

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中に入ると、座敷から庭が見えるところに案内された。

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なんだかおじ様が熱心に解説してくれたが、内容は忘れた。

私は庭にはあまり興味がない。それは、JINの領域である。

ちなみに手前に敷き詰められた砂利のエリアは、ガンジス川を現し、真ん中奥に連なっている石は釈迦の涅槃をあらわすとのことである。周りの石は弟子たちである。涅槃図の再現である。

ガンジス川に私は、反応した。ついこの間、行ったところであったからだ。

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真如堂をじっくり廻り、またまた哲学の道を南進した。

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金戒光明寺にやってきた。浄土宗のお寺である。

それにしても立派な三門である。

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裏から見ると、こんな感じである。

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かなり大きな寺である。いろいろ巡っていると、ばてた。

とくにこの階段はきつかった。

幕末に会津藩士の屯所が置かれていたそうで、鳥羽・伏見の戦いで戦死した藩士の菩提を弔っている。

大豊神社にやってきた。

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ここは何と言っても狛犬ならぬ狛鼠である。

昔、大国主命を助けたという伝承から鎮座しているとのことである。

他にも狛猿とか狛鳶などふざけた石像がある。

大豊神社を後にして、再び哲学の道を南進した。

2008年3月28日 (金)

京都迷宮入りⅡ(その1:銀閣寺)

平成19年2月27日。

京都巡りシリーズの第二弾である。前日に母校研究室のイベントに招待されたので、友達の白石先生の家に宿泊し、翌朝からスタートすることになった。

ちなみに白石先生は所用で今回は私一人である。

まず、白石先生の家から銀閣寺まで徒歩で行くことにした。

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銀閣寺まで哲学の道を散歩する。今回は、哲学の道を南に下っていこうという魂胆である。哲学の道は、琵琶湖疏水沿いの小道で、哲学者西田幾多郎がこの道を散歩しながら思索に耽ったことから名づけられたと言われている。

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銀閣寺にやってきた。

正式名称は、東山慈照寺である。開基は足利義政で、開山は夢窓疎石とされている。

夢窓疎石は実際には、1世紀前の人である。弟子筋にあたる僧が師僧を開山とすることがある。こういうのを勧請開山というらしい。いまいち納得がいかない。

銀閣寺は通称である。義政が造営した観音殿を銀閣と称することからこういう通称になった。

慈照寺の門をくぐると、銀閣寺垣という垣根がある。なんだか迷路みたいだ。

それを抜けると、いよいよ見えた。

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銀閣である。金閣と比べれば、随分と地味だ。日本的な美である。

義政は文化人としては、なかなか優秀な人だったらしい。トップとしては、どうしようもない無能である。

慈照寺を建立した時期は、応仁の乱の直後であった。応仁の乱といえば、京の都を灰燼にした戦いである。西軍と東軍が神社仏閣を陣地にし、火をつけまっくたものだから、ほとんどの神社仏閣は消失した。京都のほとんどの神社仏閣は、応仁の乱後、豊臣秀吉や徳川家康が再建したものである。ちなみに、西陣という地名は、西軍の陣地があったことかららしい。まあ、とにかく義政は民が疲弊し、家を焼け出され、食べるものもないようなときに贅を尽くしたこの建物を建立したのだ。どういう神経をしているのか・・・

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こちらは東求堂である。

義政の書斎がある。実はこの書斎がいわゆる我々が連想する和室の原点なのだ。

和室といえば・・・。

畳があって、障子があって、床の間に、違い棚・・・。

こういうのを書院造という。

まったく義政は裕福な時代に生まれて、文化人として生きれば偉人となったに違いない・・・。

とにかく応仁の乱の戦後処理など全くしなかったため、その後、戦国時代となっていくのである。

義政のお馬鹿さんは置いておいて、すっかり雅な気分になり、慈照寺を出た。

2008年3月27日 (木)

武雄、吉野ヶ里探検記(その2:吉野ヶ里歴史公園)

吉野ヶ里歴史公園にやってきた。

途中で、公園の下をトンネルで通過したのには、驚いた。遺跡の下を走るのかよっ!?

吉野ヶ里歴史公園は、ご存知のとおり、弥生時代の遺跡である吉野ヶ里遺跡を保存しているだけでなく、当時の建物を復元している大テーマパークなのである。

弥生時代は、現在、紀元前3世紀から紀元3世紀の600年間続いたと考えられている。ここで、現在とわざわざ前置きした理由は、今後変わるかもしれないからである。古代の定説は、かなりの頻度で変わるから・・・。

ここ、吉野ヶ里遺跡は、日本最大の弥生時代の遺跡で、弥生時代の全ての時期の遺構・遺物が見つかっている。

1986年からの発掘で発見されたのだが、子供の頃の記憶に痛烈に残っている遺跡で、私にとっては、憧れの地であった。

では、入る。

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南内郭にやってきた。

手前に展望台?があり、それに上ると、遺跡が一望できる。うむ、いい眺めだ。

そのとき、うっちょが不思議そうな顔をした。

う「・・・?あれ、Sさんじゃないですか?」

Sさんとは、私たちの同期社員で別部署にいるのだが、ほとんど会うことはない。

私「そんなわけないやん!そんな都合よく・・・。!?」

Sさんであった。しかも彼女を連れている。

うっちょがS氏を呼び止めると、向こうも驚いた。

楽しいデートを破壊するのも忍びないので、少ししゃべると、解放した。

では気を取り直して、見学である。

物見櫓に上った。

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物見櫓を上るときは言いものの、降りるときは微妙に怖い。

物見櫓を降りると、とある建物に入った。

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ここ南内郭は、吉野ヶ里の最盛期に支配層が暮らしていたようだ。周りも杭で囲まれ、防備は万全である。

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王の住まいらしい。

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左の貧相なおっさんが王らしい。右のおばはんが王妃か?

別の建物に入った。

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ここにも不気味なデク人形が・・・。

別の建物には・・・。

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うむ、まったく時代設定がむちゃくちゃである。しかも、使用禁止?

煮炊屋では、土器でお茶を入れてくれた。

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別のところに移動すると、高床式倉庫が現れた。

ちゃんと鼠返しがついている。うっちょがやけに嬉しそうである。鼠返しごときで・・・。

といいつつ、私も興奮していたのだが・・・。

北内閣にやってきた。

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このでっかい建物は主祭殿である。クニ全体の重要な会議を行ったり、神事に使われたようだ。入ってみた。

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のっぺらぼうの大群である。

三階に上がると・・・。

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取り込み中であった。

降りる。

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斎堂という。祀りの道具を保管したりする建物らしい。

北内閣を移動し、甕棺墓列にやってきた。

甕棺が行列しているの、壮絶な光景だ。

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ちょっと形が・・・。卑猥である。

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北墳丘墓である。吉野ヶ里の歴代の王が埋葬されていると考えられている。

手前の道は、墓道である。墓参りに環濠の外からやってくる人のための道である。

環濠とは、ムラの周りに彫られた濠で、迷路のように張り巡らされているのである。

ここで、またS氏を見つけた。

何故か、彼女と並んで、同じ角度から同じ建物を撮っている。

不思議な光景だ。

なにはともあれ、二人の世界を構築しているので、離れて見守った。

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倉と市と呼ばれるエリアにやってきた。要するに繁華街である。神戸で言えば三宮、福岡で言えば天神なのである。

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市の中心的な建物である。

こうして、公園内の散策を終えた。

うっちょと二人、弥生時代の歴史について深く勉強した。

そして、かなり不思議な男女関係についても勉強できた。

温泉といい、充実した一日であった。

2008年3月24日 (月)

武雄、吉野ヶ里探検記(その1:武雄温泉)

平成19年4月30日。

今年のゴールデンウィークは、4月28日から30日の三連休の後、5月3日から6日の四連休と、微妙にむかつく飛び石連休となった。

その初めの三連休の最後に、うっちょを誘って、武雄温泉に行くことにした。

武雄温泉は、佐賀県武雄市にある温泉である。古くから知られた温泉で、1300年前に書かれた「肥前風土記」にも記されているのだとか・・・。神宮皇后が入浴したという噂も・・・。

朝鮮出兵時には、多くの兵士が訪れたが、他の入浴客の迷惑とならないよう「入湯心得」を豊臣秀吉が示している。宮本武蔵やシーボルト、伊達政宗、伊能忠敬なども入浴したらしい。

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温泉の入り口には朱塗りの楼門が立つ。大正4年に建てられたもので、国の重要文化財である。

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源泉前で微笑む私。

さて、温泉に入ることにスル。

武雄温泉新館の元湯に入る。300円となかなかリーズナブルな値段だ。

中は、天井が高く、梁がむき出しで、なかなか雰囲気のある風呂である。泉質は弱アルカリ性単純泉とのことである。

ふと見ると、壁には豊臣秀吉の入湯心得があった。内容は忘れたが、まあ、マナーを守ろうということが書いてあったような・・・。

お湯は熱めとやや温めがあった。熱いほうは、かなりののぼせそうだったので、温いほうで基本的にくつろいだ。

うっちょと男について語り合った。結構長く語り合ったので、うっちょの体脂肪率は3%削減に成功した。

かなりほっこりして、出たが、時間的にはまだまだ余裕があった。ということで吉野ヶ里歴史公園に行くことにした。

2008年3月23日 (日)

京都迷宮入りⅠ(その4:青蓮院、平安神宮)

青蓮院にやってきた。ここは、京都好きのJINでも初めての訪問だったらしい。

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天台宗三門跡の一つである。門跡というのは、親王とかが仏門に入るとき、行く寺である。

早速入る。畳の部屋に通される。庭を見せる演出のようだ。

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京都ツアーのパンフレットを意識して、写真を撮った。モデルがいいので、なんとも雅である。音に出すとよく似ているが、決して淫靡ではない。

JINも同じように写真を撮ってやった。これもモデルがいいので、雅である。

JIN、なんかくれ・・・

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庭にも出ることが可能である。

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この青蓮院には、青不動という国宝の不動明王図が保管されている。

しかし、あいにく、模写しか見れなかった。ま、そういうもんでしょう・・・

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嬉しそうに鐘を突く私。JINも同様に鐘を突く。

JINのほうがさまになっている。

なんかくれ・・・JIN

青蓮院で雅な気分を味わったあと、平安神宮にやってきた。

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応天門と呼ばれる門である。

平安神宮は、桓武天皇を祀っている神社で、旧官幣大社である。桓武天皇と言えば、平安遷都の天皇である。平安遷都1100年を記念して、明治28年に創建された。なお、皇紀2600年(昭和15年)には、平安京最後の天皇である孝明天皇を祭神に加えている。

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本殿の前には、大極殿という、平安京の大極殿に似せた建物がある。

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蒼龍楼である。向かいには白虎楼があり、対称となっている。なんとも面白い造りである。

平安神宮を参拝し終え、帰路に着くことにした。

この京都巡りが、その後続く、京都行脚の始まりなのであった。

2008年3月18日 (火)

京都迷宮入りⅠ(その3:八坂神社、知恩院)

京都市内にやってきた。

ここからは、JINの専門である。JINは京都に造詣が深いのである。というわけで、JINが先導する。まあ、ほとんどの旅はJINと行けば、JINが主導なのだが・・・。

私がJINを先導したといえば、高野山ぐらいかな・・・?

とりあえず、八坂神社に行ってみた。

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お恥ずかしいことに初めてである。今まで何回も前を通っているが、なかなか参拝できずにいた。

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正月13日ということで、まだまだ参拝客が多かった。

八坂神社のある東山は、渡来人の八坂造一族が住んでいた。このあたりから社名となっているのであろう。

由緒などはよくわからないが、平安遷都以前からあるらしい。

ご祭神は、 スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱 御子神)である。

スサノヲノミコトといえば、ヤマタノオロチを退治した神で、クシイナダヒメノミコトは、そのとき生贄にされそうになっていたヒロインである。

明治維新の神仏分離前は祇園社等と呼ばれていた。そう、祇園祭はこの神社のお祭りである。

確かにすごい神社である。しかしながら、私的に興奮するものがなかった。もっと、ワンダーランド的じゃないと、私の胸はときめかない。

八坂神社を後にした。

次も初めての訪問である。

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知恩院である。

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知恩院は浄土宗の総本山である。とてつもなくでかい三門である。

この三門を抜けると、石段がそびえ立っている。この石段は、ラストエンペラーのワンシーンにも使われているのだ。トム・クルーズが天皇に会いに行くシーンで御所までにこの石段が意味不明に出てくるのだ。

三門を抜け、反対を向くと、京都市内の景色が一望できる。絶景である。この絶景を見ながら、JINが、

「諸行無常やな・・・。」

????

「意味わからんわ!」

諸行無常とは、この世の全てのものは常ならずって意味なので、この場合使うのは不適切である。

JINは、私ならつっこんでくれると思っていたらしい。

あまりに高度すぎるボケなのである。

石段を上ると、御影堂が現れた。

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御影堂に入ると、感動した。

お坊さんが勢ぞろいで、

「ナンマンダブ、ナンマンダブ、・・・・。」

念仏を唱えているではないかぁーーーーーっ!!!

これよ、これ!こういう宗教活動が見たかったのだよ。

御影堂を散策していると、忘れ傘なるものが、軒裏にひっかかっていた。

左甚五郎が魔よけのため置いていったとか、建立の際、白狐の恩返しで狐が知恩院を守るため置いていったとか、諸説ある。

それにしても、謎である。何故、傘が魔よけになったり、寺を守れるのだろうか?

知恩院のウェブサイトでは水と関係があるから、火災避けと説明しているが、いまいちしっくりこないのである。

知恩院を後にした。

2008年3月17日 (月)

京都迷宮入りⅠ(その2:萬福寺)

宇治から黄檗にやってきた。ここには、黄檗宗の大本山である萬福寺がある。

黄檗宗とは聞き覚えがないかもしれないが、江戸時代に中国から来た隠元禅師が開いた宗派である。隠元隆琦と言えば、インゲン豆を持ち込んだとされ、その名の由来となっている有名人である。

萬福寺は隠元隆琦が開いた寺で、日本にありながら中国チックなお寺である。

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総門である。このあたりから普通のお寺と様子が違う。

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三門である。かなりのでかさである。正直ここまで凄いお寺とは思っていなかったので、JINと二人でたまげた。

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なかなかの達筆である。

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天王殿である。中国では一般 的な建て方で、四天王と弥勒菩薩と韋駄天を同様に祀るそうだ。

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布袋様である。しかしながら、布袋は弥勒菩薩の化身だそうだ。化身とはいえ、弥勒菩薩のイメージではない。弥勒菩薩は、もっとシュッとしていそうだ。

それにしても愛嬌のある顔である。

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文字通りの木魚があった。雲版(うんぱん)というらしい。朝昼の食事と朝課のときに打つということだ。結構でかい。

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本堂である大雄宝殿には、十八羅漢がある。普通は十六羅漢なのだが、ここは特別である。

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羅漢は、正式には阿羅漢という。特に高位の修行僧のことを言うが、仏教の段階や宗派等の見解により違いはあるものの、尊敬すべき僧である。

十六羅漢とは、

  • 賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだーじゃ )
  • 迦諾迦伐蹉(かなかばっさ)
  • 迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ )
  • 蘇頻陀(すびんだ )
  • 諾距羅(なこら )
  • 跋陀羅(ばだら )
  • 迦哩迦(かりか )
  • 伐闍羅弗多羅(ばじゃらぶたら )
  • 戎博迦(じゅばか )
  • 半託迦(はんたか )
  • 羅睺羅(らごら)
  • 那伽犀那(ながせな )
  • 因掲陀(いんがだ )
  • 伐那婆斯(ばなばす )
  • 阿氏多(あじた )
  • 注荼半諾迦(ちゅだはんたか )

である。

十八羅漢は賓度羅跋囉惰闍の別名である賓頭盧(びんずる)を別人とし、十六羅漢思想の創始者である慶友を数えるらしい。

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これは、これは、羅漢界のスーパースターの羅睺羅尊者ではないか!

羅睺羅尊者は、釈迦の実子である。

「お前には仏種(仏になるための種?)があるのか?」との問い、

「ここにいるよん!」

と、胸元を開いたら、ちっこい仏様がいたというエピソードがある。

この像でもそうであるが、羅睺羅尊者像はだいたい腹かっさばいたら、仏様がいまっせという場面が再現されているのだ。

私は阿羅漢の中でも、このメルヘンな羅睺羅尊者像が一番好きである。

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予想以上の萬福寺に満腹になり(ちょっと駄洒落)、京都市内へ向かった。

2008年3月16日 (日)

京都迷宮入りⅠ(その1:平等院、宇治上神社)

平成19年1月13日。

JINが宇治にちょっとだけ用事があるという。私も暇だったし、4月から福岡に引っ越すことが決まっていたので、今のうちに京都を堪能しようという魂胆から、便乗することになった。

JINが宇治で用事をしている間、私は宇治を散策して、その後、京都市内で遊ぼうと言うことになった。

ということで、宇治にやってきた。

そういえば、宇治に来るのは、小学校以来だ。確か某古着屋さんと来たが、その頃は、平等院を見ても、いまいち価値が分からなかったものだ。

今回、20年ぶりくらいに平等院に行くことにした。

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いかにも古い門構えを見て、興奮する。

門をくぐると、すぐに現れた。

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鳳凰堂である。

平等院鳳凰堂と言えば、必ず教科書に出てくる超ビッグネームの建築物である。

平等院の由来であるが、転々と持ち主を変えた別荘が藤原道長の所有となり、藤原頼通が寺としたものだ。

本尊は阿弥陀如来である。平安時代後期、末法思想が世の中にはびこっていた。釈尊の入滅から2,000年経過した世の中では、世が乱れるという考えが末法思想で、まさに平安時代後期がその末法であると信じられたのだ。現世が地獄ならば、来世に期待しよう、そのために阿弥陀如来に救ってもらおうというのが、浄土教なのである。

平等院は浄土教の仏教建築物の代表作なのである。

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ぐるっと、鳳凰堂を回る。

あれっ!?平等院って、鳳凰堂以外、あまり見るところないのね?

鳳凰堂内に突入する。

阿弥陀如来が祀られている。あいにく、改装工事中で、天蓋などは取り外されていた。

ガイドツアーの人が熱心に語っていたが、ほとんど聞かず、仏像や鳳凰堂のつくりなどを見ていた。で、飽きたので、出てきた。

それにしても、なんか宗教色が薄い。私はもっと、聖地ということが感じられるところが好きである。日本で言えば、高野山とか・・・。

お坊さんがお経でも読んで、線香もくもくやったらテンション上がるのに・・・。

後は、博物館などを見学した。天蓋等はこちらに展示されていた。

小学校のときは、もっと大きいと感じたのだが、意外と小さかった。

そうこうしていると、JINから連絡があった。早速、待ち合わせ場所に移動である。

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途中で、県神社に参拝した。

観光案内にもあったが、ただの小さな神社にしか見えなかった。

かつて、平等院の鎮守だったようだ。

JINと出会い、宇治上神社に行くことにした。

宇治上神社は、宇治では、平等院と共に世界遺産に選ばれている。

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宇治川のほとりに、宇治川先陣の碑があった。

木曽義仲VS源義経の激戦地であり、梶原景季と佐々木高綱の先陣争いで有名である。この碑は、そのエピソードを記念するものである。

このエピソードは、高校の古典で出てきたので、非常に懐かしい。

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宇治神社である。宇治上神社ではない。ここもなかなかの神社であるが、宇治上神社が世界遺産になったせいか、いまいち影が薄い。

明治維新までは、宇治上神社と対をなしていたようだ。

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いよいよ宇治上神社に参拝する。

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拝殿である。

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こちらが本殿覆屋である。中に本殿が三つあるらしい。ご祭神は、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇ということだ。

菟道稚郎子とは、聞いたことがないが、応神天皇の皇子ということだ。

宇治上神社の本殿は、現存最古の神社建築である。このあたりが世界遺産になった理由であろう。本殿は見えないので、残念である。

宇治上神社を見終えたので、宇治を移動することにした。

2008年3月14日 (金)

佐世保食い倒れ!

平成20年2月23日。

洋行帰りの記念すべき一発の旅は、佐世保である。

このシーズンに佐世保で牡蠣祭りが行われるので、

「食いにいくぞ、こらっ!」

という、うっちょの提案である。

うっちょは、阿蘇LOVEであるが、佐世保LOVEでもある。

初めの旅は、私とうっちょだけであったが、阿蘇からきゃぷてんが参戦し、今回の旅は、新たにヨゴレの球児が参戦した。

・・・・・・・・・・・・・

では、始まりである。

うっちょが、きゃぷてんと球児を車に乗せて、私を迎えに来た。少し遅れると連絡があり、思わず、二度寝していたので、あせった

楽しい旅の始まりである。今回のテーマは、食である。

早速、休憩で寄ったコンビニできゃぷてんが、がっつりティラミスを買っていた。今から食いまくるのに、ええんかいな!?

いよいよ佐世保にやってきた。

佐世保と言えば、佐世保バーガーである。うっちょ推奨のお店にやってきた。

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ハンバーガーショップ・ヒカリというお店である。

隣もバーガー屋さんで、どちらにするか迷ったが、結局、じゃんけんという合理的かつ幼稚な方法により、ヒカリに決定した。

注文は、

「当然ジャンボスペシャルバーガーでしょ!?何しに佐世保きたんすか!」

という、うっちょのメタボな意見により、ジャンボスペシャルに決定した。

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一応、サイズ比較のため携帯を置いた。でかいと言えばでかいが、本場欧米の馬鹿サイズを見たことがあるだけに、可愛らしく感じる。

では、食す!美味い!肉も鶏肉なので、あっさりしてて食べやすい。

あっという間に、完食した。

隣で、球児が爪楊枝をばら撒いた。

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何をやってるんだか・・・

佐世保には、米海軍基地が古くからあり、そのせいで、バーガー屋さんが古くから存在したらしい。ちなみに認定制度があり、この認定証があると、正真正銘の佐世保バーガーなのだ。

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バーガーで軽く腹を満たした。続いて、佐世保と言えば・・・。

・・・・・・・・

そう!城島健司である。

と言うわけで、城島健司ベースボール記念館にいくことにした。

途中で、うっちょが右折しそこねたので、米軍基地の前でUターンしようとした。

すると、米軍基地から一般道に出る側の停止線からトゲトゲが出ている。

「こんなの、どうやって、出るの?」

と、躊躇していると、警察がやってきた。

警「どうしましたか?」

う「道を間違えました。」

警「ちょっと、免許証を見せてください。」

うっちょが免許証を提出する。

警「福岡の方ですか・・・。ご職業は?」

う「○○○○です。」

警「今日は観光ですか?」

う「はい。今日は牡蠣祭りに来ました。」

警「へー、そうですか。どこでやってるんですか?」

?佐世保の人やのに知らんのか?

う「西海シーパールリゾートです。」

うっちょが職務質問をされている間、別の警官が、何かメモっていた。

私は、笑いを堪えるのに必死だった。

この男、職質されてやがる!

職質が終わり、開放される。

警「このまま左折したら、西海シーパールリゾートです。」

いや、その前に城島に行くんだが・・・。まあ、いいか。

う「コレどうやって出るんすか?」

警「そのまま、お行きなさい。」

このトゲトゲ、大丈夫かいな?と半信半疑で進むと、大丈夫だった。

通常は、引っ込む仕掛けのようだ。

さて、城島健司ベースボール記念館にやってきた。

近所の神社が祭りで、かなり遠くの駐車場に止めるはめになった。

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城島記念館には、城島に関するお宝が展示されている。私は城島が好きだが、そこまでファンではない。。。

正直、割高感は否めない。

2階に上がったところには、城島のユニフォームやマスク、バットなどが置いてある。ユニフォームなどは試着ができるのだ。

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ちなみにその他のフロアは写真撮影禁止である。

城島のことをよく勉強して、腹が減ったので、いよいよ牡蠣を食べに行くことにした。

牡蠣祭りの会場である、西海シーパールリゾートにやってきた。

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こんなところで、牡蠣を焼いて食べるのだ。

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牡蠣と炭はここで購入する。

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焼いてみた。

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殻が開いたら、食べごろだ。では食す!

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美味い!

牡蠣を焼いていると、何かが熱で弾けて、ヨゴレに当たった。

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ヒオウギガイが売っていたので、焼いてみた。

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初めてのヒオウギだ。食す!

大したことはなかった。

牡蠣を堪能した後は、何故か、芝生でキャッチボールをする。

周りから見ると痛い子である。

私とうっちょと球児は、グローブ持参だったが、きゃぷてんは忘れたので、牡蠣用の軍手を何重かつけてグローブの代わりにした。手が骨折したかのように腫れて見えた。

腹ごなしがすんで、佐世保の風景を見ようと、うっちょお奨めの展望台に行った。石岳展望台というところである。

駐車場に止めると、展望台まで徒歩なのであるが、何故か競争が始まった。きゃぷてんがクールに駆ける。

そのとき、球児の髪の毛が金色に逆立った。。。

「クリリンのことかーーーーーーっ!!!」

ものすごいダッシュである。

だが、すぐばてた。

で、結局、スタミナ勝ちで、私が一位であった。そもそもポール間ダッシュで私にスタミナ負けする球児が、坂道ダッシュで私に勝てるわけがないのだ。

あえて言おう!ゲスであるとっ!

うっちょは、初めからやる気Nothingであった。

目の前に絶景が広がる。

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九十九島である。

うっちょは、ここで愛について語り合ったのだろうか・・・?

別方向では、

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佐世保港である。

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何やらミリタリーな船がとまっている。

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私「キャプテン、この海の向こうに何があると思う?」

K「何すか?」

私「この向こうには、インドがあるのだよ。」

K「・・・・。」

私「いつかインドでサドゥになって、世界一の悟りを開こうと思うのだよ。」

K「マジすか?超クールっす!」

という、会話はなかった。

・・・・・・・・・・・・

すっかり、腹ごなしをしたので、ジャンボシュークリームを食べることにした。

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お店は佐世保商店街の近くにある。

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蜂の屋というお店である。突き出ている謎の物体は、ヨゴレの球児は興奮していたが、決してお尻ではない。そういや、高校の体育教師(男)でこんなプリケツいたな・・・。

たぶん、シュークリームかな?

中に入り、シュークリームを注文した。

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シュークリームの大きさを比較するため、携帯を置いた。まあ、大きい。

このシュークリームは好みに合わせて、茶色い謎の甘いソースをつけて食べる。中にはフルーツも入っている。

では、食す!

・・・・・・

シュークリームではない。また違う食べ物と考えたほうがよいだろう。

味は賛否両論である。

すっかり食いつかれて、帰路に着いた。

博多に着いて、実家に用事があるという球児を見送った後、私とうっちょときゃぷてんでラーメンを食べた。きゃぷてん推奨のお店で、いわゆる博多ラーメンではない。

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結構、穴場っぽいところであった。甘屋というお店である。

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醤油ラーメンを頼んだ。では食す!

美味い!絶品である。

しかも、ここのサイドメニューで芋パンなるものがある。

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芋パンである。フランスパンの上にスィートポテトが乗っている。では食す!

美味い!絶品である。

この店は私の中で福岡最高のラーメン屋となった。

ちなみにうっちょは、チャーシュー麺のチャー丼セットを頼んでいた。高脂血症にならないか、心配である。

今回は、最後まで、食いまくって、旅を終了した。

2008年3月13日 (木)

英国旅行記(その19:ロンドン塔~帰国)

セント・ポール大聖堂前からバスに乗った。

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目的地は、昨日入れなかったロンドン塔である。

JINは、先ほど買ったPaulのパンを頬張っている。

・・・・・・・・・・・・

着いた。

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ロンドン塔(Tower of London)は、1078年にウィリアム1世の命令により、施工され、20年で完成した。その後、リチャード1世からヘンリー3世にかけて、濠を作っている。

国王が居住する宮殿として使われただけでなく、身分の高い政治犯を幽閉したり、処刑したりする場でもあった。

エリザベス1世でさえ、即位前にメアリー1世によって、幽閉されているのだ。

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完全に要塞である。実際、中世の戦争では、ここは鉄壁であったろう。

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塔内には、こんな親父がいっぱいいる。ガイドツアーとかを行っているようである。JINは、うれしそうに親父と一緒に写真を撮った。少し羨ましかった・・・。

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塔内の建物の一つに入ると、英国王室の秘宝が展示されていた。豪華絢爛である。ダイヤモンドがつきまくった王冠とか、金製品の数々や宝石類など・・・。

そういったものにあまり興味のない私でも、あまりの凄さに呆然とする。

王冠類を展示しているブースは、真ん中に宝物があって、その周りを動く歩道でぐるぐる回る。私などは2周した。

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霞の向こうにアルゼンチン・バックブリーカータワーブリッジが見える。

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この小汚い塀がロンドン塔内に残るローマ時代の遺跡である。ワードローブタワーという。

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あるタワーに入ると、拷問部屋だった。

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うーむ、もっと凄いのを想像していたのだが・・・。

鉄の処女でもあれば、テンション上がっていただろう。

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他のタワーに入ると、幽閉部屋であった。今までに幽閉された人々が紹介されている。

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2階が幽閉に使われたようだ。

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壁には幽閉者が彫った落書きならぬ落彫りが残っていた。

まだまだ、見ていないところが数多く残っていたが、帰国のタイムリミットが近づいてきたので、涙を呑んで、帰路に着いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヒースロー空港にやってきた。

いよいよ帰国である。

思えば、時差ぼけで苦労した旅であった。しかも、やっと本調子になったら帰国になってしまった。それにしても、少ない日程でよくもいろいろと行ったものだ。

今回行った世界遺産は、

  • ウェストミンスター寺院、ウェストミンスター宮殿
  • カンタベリー大聖堂
  • ストーンヘンジ
  • バース市街
  • マリタイム・グリニッジ
  • ロンドン塔

である。

どきどきの搭乗手続きや出国審査を受ける。

出国審査は、やる気なさそうにパスポート見るだけである。判子も押さない。

なんとか、別室に連れて行かれることもなく、通過。

空港にて軽食を取る。ここで、フライドポテトを食べた。

JINにも少しあげると、

「ここのポテトが一番美味い・・・。」

うーん、なんだかなあ・・・。

かわりにJINにPaulのミルフィーユをもらった。美味かった。

飛行機に乗り込む。今度は12時間のフライトだ。

なんだか、行きに比べて、随分楽だ。ごそごそババアもいない。

で、映画を見る。「エリザベス~ゴールデン・エイジ」を見る私。行きに見ろよ!

爆睡したら、あっという間に着いた。

今度はJINとどこに行こうか・・・。今回はJINに頼りきりだったので、今度は私も活躍しないと・・・。ってことは、ホームの東南アジアか?

P.S.

今ブログを書きながら、イングランドで購入した紅茶でロイヤルミルクティーを作り、インドで購入したマサラを入れて、飲んでいる。マサラティーというやつだ。インド的に思いっきり甘めに作った。実に美味い!

2008年3月12日 (水)

英国旅行記(その18:セント・ポール大聖堂)

平成20年2月11日。五日目開幕である。

今日も、早朝から行動である。まずは、District LineでTempleまで行くことにする。ダヴィンチ・コードで登場するテンプル教会を見学したいからである。ところが、電車がTempleを通過。私は、意味が分からず、パニックである。近くの人が、次の駅で逆方向の電車に乗ればと止まると教えてくれた。で、実際その通りであった。うーむ、ロンドンの鉄道ルールは訳が分からない。

Templeで降りると、テンプル教会の場所が分からない。

しばらくすると、こんな建物を発見した。

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初めは、Temple教会かと思ったが、どうやら裁判所のようだ。

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今日は、なにか重大な法廷があるのか、報道陣が集まっていた。

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裁判所には、こんな親父たちが陳列されている。どちら様かは分からない。

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近くには、こんなモニュメントが・・・。

ドラゴンですやん!

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で、こっちが本当のテンプル教会(Temple Church)である。あいにく、今日は、内部が見学できなかった。ダヴィンチ・コードによると、この中には、テンプル騎士団有力者のお墓が並び、かなり怪しい・・・。

テンプル教会は秘密結社?テンプル騎士団のロンドンにおける拠点であり、1185年に建てられたロンドンで最も古い建物の一つである。

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テンプル教会前には、テンプル騎士団のモニュメントがあった。

内部の見学は、今後の課題となった。テンプル教会を後にした。

てくてく歩きの末、セント・ポール大聖堂(St. Paul's Cathedral)にやってきた。

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1666年のロンドン火災により、旧セント・ポール大聖堂は灰燼に帰した。現在のものは、チャールズ2世の以来によりクリストファー・レンが設計したものである。1675年から35年で完成させたのである。

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でっかいドームが被さった形で、相当でかい。高さは、111メートルあるらしい。

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早速、中に入る。あいにく、内部は写真撮影禁止であった。

どの大聖堂でも同じだが、ここも必然的にお墓めぐりになってしまう。しかし、ここのすごいところは、超ビッグネームが眠っていることだ。

中に入ると、身廊がまっすぐ伸びている。厳かな雰囲気である。ドームの下まで、やってきた。天井高っ!!!

ドームの上にも上れるので、後で行くことにした。

1階の展示を見て、地下室に下りた。

ここに、超ビッグネームが眠っているのだ。

ビッグ・ネームの前に、何の変哲もない石が置いてある。実は、これが、設計者クリストファー・レンの墓なのである。墓石には、ラテン語で、

「彼の記念碑を見たい者は、周りを見よ!」

と書いてあるらしい。

この大聖堂こそが、レンの記念碑というわけだ。

さて、ビッグネームであるが、まずは、ウェリントンの墓である。

でかいっ!

ワーテルローの戦いで、プロイセンと協力の上、ナポレオンに引導を渡した大英雄である。

そして、ネルソン提督である。彼の墓はでかい上に、きれいである。

ネルソン提督については、以前に記述したが、トラファルガー海戦の大英雄である。

そして、最後に、チャーチルの墓である。

チャーチルと言えば、第二次世界大戦でドイツの猛攻(バトル・オブ・ブリテン)に耐え抜き、勝利に導いた、ハッタリ屋大政治家である。

ドイツの空爆でロンドンが灰燼に帰しても、民衆を鼓舞し、アメリカが真珠湾攻撃を期に参戦するまで、耐え抜いたのだ。ちなみに、真珠湾攻撃の一報を聞いたとき、チャーチルは、

「これで我々の勝ちだ・・・。」

と、小躍りしたらしい。

また、勝利のVサインが彼の考案によるという説もある。

なぜ、ここまで、彼のことを詳細に書くかというと、まあ、敵ながらあっぱれというやつだ。

それにしても、当初、墓が分からなかった。

もらったガイドマップのところに行っても、何もない。

JINも訳が分からない様子である。

JIN「どこにあるんや?」

・・・・・・・・

!?

!!!!

私「あんた、踏みつけとーやん!?」

そう、地面に埋まっていたのだ。

JINは、恐れ多くも大政治家の上に立っていた。

そんなことがあって、いよいよドームを上ることになった。

階段の入り口に行くと、列が並んでいた。

しばらくすると、開門時間になった。ドームは三層構造?になっており、下から、囁きの回廊、石の回廊、金の回廊と登れるのである。

囁きの回廊までは、163段の階段を登る。前に、遅いのがいて、いらいらしたが、余裕でゴールした。一月前に金比羅を攻めたときに比べれば、楽勝である。

囁きの回廊からは、下の様子が丸見えである。おー、高い!

何故、囁きの回廊かと言うと、反対側でのこそこそ話でも、聞こえてしまう構造になっているということだ。で、実際は・・・。

聞こえん!

で、次は石の回廊である。

119段上る。結構きつい。せまい。

外に出た。

周りが石造りだから、石の回廊?

うーん・・・

くだらないので、先を急いだ。金の回廊である。

152段である。最初からすると、434段である。さすがに乳酸が溜まるが、それより、ここの階段は、いわゆる金属製の階段で、下が見えている。

私は、プチ高所恐怖症なので、やめてほしい・・・

恐怖の末、着いた。

金の回廊も外である。何故金かは分からない。

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金の回廊からの風景である。何やら、霞んでいる。これが霧のロンドンというやつか!?

うーむ、光化学スモッグ?

まあ、どおりで、喉はヒリヒリするし、鼻は黒くなるはずである。

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この橋は、ミレニアム・ブリッジ(Millennium Bridge)という。文字通り、2000年に開通したが、すぐに人が通ると、橋が揺れすぎるという理由で閉鎖された。

んな、アホな!

2002年から、再び利用できるようになっている。

高所に恐怖しながら、ロンドンの風景を堪能したので、降りることした。

急な階段でびびる私を置き去りにし、JINはもくもく降りる。

JINさん、俺を置いていけ!とは、言ったものの、少し寂しい・・・。

どんなけ急かというと、こんな感じである。

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画像は、イメージです。

やっとのことで、降りる。セント・ポール大聖堂を出ると、JINはポール大聖堂前のPaulでパンとミルフィーユを買っていた。

俺を踏み台にした!?

後で、ミルフィーユのおすそ分けをもらったが、非常に美味であった。

2008年3月11日 (火)

英国旅行記(その17:ロンドン街巡りⅡ)

  Paul Smithのロンドン1号店にやってきた。Covent Gardenにある。

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Paulが初めて出した店は、Nottinghamにあるらしい。

まあ、私は興味がないのだが、JINのお付き合いである。JINが物色している間、私も見物していた。

おっ!このセーターええな・・・。

値札を見る。

元に戻す。

見なかったことにする。

後で、JINに聞いたが、値段的には日本とほとんど変わらないらしい。ロンドンの物価の高さを考えれば、日本はどうなっているのか?関税なのか?

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まあ、結局、何も買わず、退散である。

Piccadily Circusまで戻り、Savile Rowに行った。Savile Rowは仕立て屋さんが多い通りであり、背広の語源になったというもっぱらの噂がある。

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あいにく、日曜日のため、どこの店も閉店している。エビスジーンズもあった。

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そのまま、てくてく歩き、Burberryにやってきた。まだ開いていたので、入った。Paul Smithはいまいちだが、Burberryのほうが、私としても興味がある。だが、結局買わなかった。JINはネクタイを購入したようだが・・・。

やっとブランド巡りを終え、Piccadily Circusまで戻ってきた。

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ちなみに途中でこんなものを発見した。

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がんばっとるな!

続いて、B.A. London Eyeにやってきた。

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BAとはスポンサーのブリティッシュ・エアウェイズの略らしい。1999年末開業した高さ135メートルの大観覧車で、25人収容可能のカプセルに乗り込み、ロンドンを一望できるのだ。135メートル、25人収容とも世界一であったが、今はシンガポールにその座を奪われたようだ。

とにかく、いままで、何度も外観を見てきたロンドン・アイにいよいよ乗り込むときがやってきたのだ。

高めの料金を払い、いざ乗り込む。

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カプセル内部はこんな感じである。

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どんどん上がっていく。かなり興奮する。

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おっ!ウェストミンスター宮殿である。

やがて、観覧車は頂点へ・・・。

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観覧車が下降に転じた途端、飽きた。

ぼけっーと、夜景を眺める私。

やがて、ゴールに近づいた。ゴール付近では、写真サービスがあり、カプセル内を外から撮影してくれる。存在は知っていたが、とくに撮ってもらおうとは考えなかった。

観覧車を降りると、たった今撮った写真が画面にでている。

???

どアップで、微笑むJINがいた。

いつの間に!?

ロンドン・アイを後にして、いよいよ夕食である。

実はロンドンに来て以来、ほとんどろくなものを食べていないのだ。

今思えば、初日のハードロックカフェで食べたハンバーガーくらいで、後は、パブでフィッシュアンドチップスをつまんだ他は、サンドイッチとかパンばかり食べている。

そこで、ちょっとしっかりしたものを食べることにした。

Notting Hill Gate駅で下車し、しばらく歩く。迷った!

数人の英国人に聞き、なんとかたどり着いた。

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Notting Grillというお店である。英国料理のお店である。これで、噂どおり英国料理がまずいのか実証できるのだ。

お店に入る。

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私はシーザーサラダとミックスグリルなるものを頼んだ。

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まずは、シーザーサラダである。美味い!

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いよいよメインのミックスグリルである。少しグロテスクだ。トマトとか椎茸がそのまま焼いていた。

では、食す。

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?味がない?素材の味を生かしているのか?固形のソースのようなものがある。これをつけるのか?つける。レーズンみたいな味がする。肉には合わないような・・・。

そして、やたら、レバーが多かった。中でも不思議なものがあった。丸っこい、袋のようなもので包まれた黒い物体である。レバーフレークをまずくしたような味がした。

JINが、

「牛の睾丸ちゃうか?」

それは、さすがの私も嫌やな・・・。もーもーさんのお股にぶらさがるアレを想像して、少し気持ち悪くなったが、しっかり完食した。

本当に睾丸だったのだろうか?

私の食べた料理は美味しくなかったが、JINの食べたステーキは美味かったらしい。私もそれにすればよかった。とにかく、英国料理は必ずしも不味いわけではないらしい。

満腹というより、脂っこさに軽く胃もたれをし、帰路に着いた。

帰りのNotttig Hill Gateのホームがなかなか面白いつくりだった。

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ホテルに戻り、いつものように、私は泥のように眠った。

JINもいつもどおりであった。

2008年3月10日 (月)

英国旅行記(その16:ロンドン街巡りⅠ)

グリニッジからロンドンに戻ってきた。

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この後は、ロンドンのいろんな所を巡る。

まずは、Knightsbridge駅近くのデパートHarrodsである。主にお土産を見に行ったので、1階の食料品を見て回った。

入り口から入ると、途中にエジプトっぽい装飾がしてあるフロアがあった。ブランド物を取り扱っていたようだが、どうゆう意味があるのかは分からない。

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店内の風景である。チョコレートやビスケットなどを物色した。帰国後、お土産を渡したら、英国に行ったことが、すぐばれた。私の思っている以上にHarrodsの知名度は高いらしい。

次にFortnum & Masonという紅茶屋に行った。ここでは、アフタヌーンティーもどきを体験した。

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調子に乗って、シャンパンなどを飲んでしまったので、赤ら顔になった。JIN曰く、疲れ顔と合わさって、怒ってるみたいだったらしい。下からサンドイッチ、スコーン、ケーキの順に食べていく。アフタヌーンティーと言えば、英国紳士・淑女の嗜みである。どうやら、私は英国紳士ではないらしい。どうも居心地が悪い。

まったりと時間を過ごし、外に出た。

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Piccadily Circus前にはエロスの像がある。

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エロスとは、ギリシア神話において、アフロディーテの息子で、人を矢で射っては、恋心を弄ぶ最低な神である。ローマ神話のキューピッドと同一視される。

私の恋心を弄ぶつもりか?と、周りを見回し、可愛い子はいねーがぁーと探したが、ロマンスはなかった。

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Piccadily Circusから地下鉄に乗り、Tower Hillで下車し、ロンドン塔にやってきた。意気揚々とロンドン塔に入ろうとすると、Closeだった。どうやら、のんびりし過ぎて、閉館したらしい。大ショックだが、とりあえず、外観だけ見学する。

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それにしても、どう見ても、城なのに、何故ロンドン塔というのだろう。意味不明である。

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すぐ近くに、ロンドン名物Tower Bridgeがある。タワーブリッジと言えば、私の世代では、ものすごい有名な橋である。何しろ、ロビン・マスクの必殺技なのだから・・・。そう、キン肉マンをあと一歩まで追い詰め、ダイナマイトパイパーを葬り、マンモスマンさえ屈服したあの技である。

ロビンの聖地を堪能したところで、JINが急にいなくなるという、ちょっとしたアクシデント(JINからすると、私が消えた。)があって、Tower Hillを後にした。

ちなみにこの辺は、妙なビルがある。

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ロンドン市庁舎である。こんなところで働くとき、精神に異常をきたさないのだろうか?

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奥にある葉巻のようなビルは、セントメリーアクスという正式名称がある。しかし、ロンドン市民には、きゅうり(ガーキン)とか、エロいきゅうり(エロティックガーキン)とか呼ばれてるらしい。ひどい話だ。ちなみに保険会社のビルらしい。

ロンドン街巡りⅡに続く。

2008年3月 9日 (日)

英国旅行記(その15:グリニッジ)

London Bridgeから鉄道に乗った。

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鉄道の車窓を眺めながら、旅の雰囲気を楽しむ間もなく(もっとも、時間があっても、そんなものは楽しまないが・・・)、目的地に着いた。

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グリニッジ(Greenwich)である。そのまま読んだら、グリーンウィッチとしか読めない。

グリニッジといえば、本初子午線(経度が0度)が旧天文台を通っていることで有名だ。また、この天文台を基準に、かつて世界標準時が決められていたのだ。

こういう天文学的な話は難しいので、自分で勉強しよう!

また、グリニッジは、海事都市グリニッジとして、世界遺産に登録されている。

さて、駅を降りて、旧天文台(Old Royal Observatory)を目指す。

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旧天文台までの道のりは、公園を通る。

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クック船長である。クック船長と言えば、大冒険家として名高い。ハワイ島など数多くの島や海岸線を発見した。そして、最後は、ハワイ島において、原住民との争いにより殺害された。

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国立海洋博物館である。今回は見学しなかった。英国海軍史に係る資料が展示されているらしい。

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公園を抜けると、小高い丘を登る。

すると、旧天文台が現れた。

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ウルフ将軍の像があった。七年戦争の際、カナダでフランスに勝利したことで名高い。しかし、ウルフはその戦闘で戦死している。それにしても、海軍の街で、何故陸軍のウルフ像があるのか・・・?

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天文台前で標準時を挿す時計の前にて・・・。

それでは、中に入る。ちなみにJINは、私がうろうろしている隙に、さっさと中に入ってしまった。

中に入ると、おばちゃんがいたので、入場料を払おうとすると、無料だった。恥ずかしい思いを隠して、進む。

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旧天文台には、天文観測で使用する器具が展示されていた。知識がないので、全く意味が分からない。

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この場所に昔、望遠鏡があったそうだ。

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これが本初子午線である。

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世界の主要都市の緯度が通る線が書いてあった。

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反対側を見ると、世界標準時をカウントする時計が合った。

JINがいきなり時計を合わせだす。

「なるほど、賢いな、君!」

と、感心し、私も時計を合わした。

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世界標準時の証明書が自動販売機で買えたので、購入し、にんまり・・・。

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グリニッジの丘からの風景である。

いまいち、世界遺産の価値はよくわからないが、よい景色である。

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英国人が野生のリスを手なずけていた。この後、リスは急に逃げ出した。JINもリスの手なずけに挑戦したが、失敗した。リスは木に登り、頭を掻いていた。

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再び、鉄道でロンドンに帰った。

2008年3月 8日 (土)

英国旅行記(その14:トラファルガー広場)

平成20年2月10日。四日目開幕である。

今日は、日曜日である。ヨーロッパ全般に言えることだが、18時にはお店が閉まるので、今日は、ばたばたと巡らないといけない。ちゃんと仕事せえよと思ったが、キリスト教国としては、日曜日は安息日なので、お店を出しているだけマシと言うものだろう。

Piccadily LineでLeicester Squareで降りる。

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エスカレーター、長っ!

ここで、一言。しばらく前から気づいていたが、ロンドンの空気は悪い。喉がピリピリするのだ。帰って、鼻をかむと、黒かった。さすが、産業革命以降、公害先進国を代表してきただけのことはある。最近では、北京やデリーのほうが大気汚染が深刻のようだが、デリーに行ったことのある私は断言する。デリーと同程度か、若しくは以上であると!

Leicester SquareからはCharing Cross駅まで歩く。そこから鉄道に乗る予定である。その途中で、トラファルガー広場を見学した。

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今日は、何かイベントがあるらしく、警備員とかイベントのスタッフとか大勢いた。

トラファルガー広場(Trafalgar Square)は文字通り、トラファルガーの海戦を記念して造られた。トラファルガーの海戦といえば、ナポレオン戦争最大の海戦で英国に勝利をもたらした戦いである。

余談であるが、トラファルガー海戦、レパント海戦、日本海海戦で世界三大海戦である。

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ネルソン記念柱である。ネルソン提督は、トラファルガーの海戦の大英雄である。そして、その戦いで戦死したのである。

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塔のてっぺんで、クールにその姿をさらしている。

何もこんな高いところに飾らなくとも・・・。高すぎて、広場から少し離れないと、はっきり見えない。

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柱の台座には、ネルソン提督の4つの戦いの様子が彫られている。

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記念柱を守るように、ライオンがいる。

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こちらの建物は、ナショナル・ギャラリーである。西洋絵画のコレクションとしては、世界最高ランクということだ。ここも見学できなかったので、今後の課題である。

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噴水には、人魚のようなものが・・・。

では、彫像シリーズである。何者かはよくわからない。

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トラファルガー広場を出発し、Charing Crossに着いた。

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妙な塔が立っている。

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Charing Crossから鉄道に乗ろうとすると、様子がおかしい。

工事なのか、この駅は、本日休業であった。うーむ、意味が分からん。

こういうことは、日本の尺度で考えては駄目なのである。

仕方ないので、駅員さん聞くと、別の駅では鉄道が生きていることが分かった。

ということで、London Bridgeまで移動することになった。

そういえば、そんな童謡があったな・・・。

2008年3月 7日 (金)

英国旅行記(その13:バース市街)

ローマン・バスをでて、バース市街を散策することになった。ここバース市街は世界遺産でもあるのだ。

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さすが世界遺産である。お洒落な中でも歴史の重みを感じる。

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バース・アビー(Bath Abbey)である。

史上初のイングランド統一王であるエドガー王が戴冠した由緒正しい教会であるが、現在の建物は、ヘンリー8世の修道院解散直前に建てられた。

ヘンリー8世といえば、妃と離婚したいがために、宗教改革を行った伝説の親父である。

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ここにも妙な親父がいる。

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街を歩いていると、馬車が通った。なんだかしらんが、街の雰囲気と妙に合っている。あまりにお洒落でむかつくので、馬糞を探したが、見当たらなかった。

草千里のように馬糞に注意をしなければいけないということも、インドのように牛糞に注意しなければならないということもないらしい。

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これぞ、バース名物である。ロイヤル・クレッセント(Royal Crescent)である。

18世紀に建てられた建物で、ジョン・ウッドという建築家による。現在でも一部はアパートメントやホテルとして使われている。

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浮かれて舞い踊っていると、JINが、

「疲れとるな・・・。」

何故、分かった!?

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日が暮れてきたので、バースを後にすることにした。

バース!美しすぎるぜ!

そんなバースにこの歌を捧げよう・・・。

「バース、かっとばーせ、バース、ライトへ、レフトへ、ホームラン」

ところで、普通なら、このままロンドンに帰るのだが、このJINという御仁は、サプライズを用意するのである。

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ウィンザー城である。

元々は、ウィリアム1世により築城されたが、エドワード3世によりほとんど建替えされた。

とにかく900年もの間、英国王室の居城として使用されているのだ。今回は、暗い中を外観だけ見た。内部の見学は、今後の課題ということになった。

ウィンザーからロンドンに帰る途中、少しうとうとした。10分寝てしまった!

と、思ったら、40分ほど寝ていた。もうロンドン近郊ですやん!

JINさん、ごめんなさい

Hendon Centralで車を返し、バスと地下鉄を乗り継いで、ホテルに無事帰った。例のごとく、私は泥のように眠ったが、JINは、しばらく起きて、計画を立てていたようだ。

ちなみに今回の走行距離は400キロメートル超である。

それと最後にもう一つ。ホテルで、部屋の鍵を受け取るときに、いつもは私が受け取っていたのだが、今回はJINが受け取った。

私のときは、

「Your name?」

と聞かれていたのだが、

JINのときは、何もなし。何故???

訳が分からない。私は不審人物か?

結論を出そうとしても出せないので、考えるのをやめた。

2008年3月 6日 (木)

英国旅行記(その12:ローマン・バス)

ソールズベリーからバースにやってきた。

イングランドはかつてローマ帝国の支配下であったのだが、バースはその時代に温泉の街として栄えた。ちなみにバースBathという地名から英語のお風呂bathの語源になったという俗説がある。実際は温泉があるから、Bathという地名のようだ。ガセやな。

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ローマン・バス(The Roman Baths)である。紀元前1世紀にローマ人によって建てれた大浴場があるのだ。

では、入る。入場料を払うのに、かなり込んでいる。列で待っていると、前の英国カップルがブッチュブッチュしてやがる。

しかも、女の子は可愛かったが、男は貧相であった。

けっ!・・・

悪夢の時間が過ぎて、入場料を払った。

気を取り直して、見学である。

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大浴場の復元ミニチュアのようだ。ここには、発掘品など、様々な展示物がある。

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このような人形があり、当時を再現しているのだが、微妙に気色悪い。

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かつての建物の屋根の正面に着いていたもののようだ。ゴーゴンの首らしい。

???

ゴーゴンって、女の怪物じゃなかったっけ?どうみても親父である。

サンテレビのおっサン!に見えなくもない。

http://www.sun-tv.co.jp/oh/index.html

ゴーゴン三姉妹じゃなかったっけ?

謎である。

このあたりは、ローマ神話の知識がいるようだ。

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温泉が見える。

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親父がいる。風貌から王様っぽい。どうやら王様のお風呂らしい。

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建設当時の基礎である。

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ミネルヴァの首である。知恵と工芸の女神で、ローマ人に大人気の神だったようだ。

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出土品の数々を見ていると、無性にローマに行きたくなった。

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温泉が出ている。石が茶色に変色しているところを見ると、鉄分が多そうだ。

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棺か?

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大浴場に出た。手をつけたが、かなりぬるかった。

日本人感覚では、かなり物足りないであろう。

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暗い建物内に入ると、穴っぽこがあった。ここに水を張り、飛び込んでいたらしい。

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なにやら、柱のようなものが立っている。この上に床を敷き、下から湯気をだしていたらしい。つまり、スチールサウナである。サウナでほてった体を、さっきの水風呂で冷やすのだ。表の浴場よりもこちらのサウナ式浴場のほうが古いようだ。

ちなみに、日本においても、最初は風呂といえば、スチームサウナである。日本最古の風呂は、東福寺にある。

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こちらも水風呂である。

ちなみにアホの一つ覚えのように、コインが投入されていた。

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当時の復元図である。楽しそうに親父が泳いでいる。右手前の親父はもろ見えである。

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2階に上がってみた。

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2階にも謎の石造群がある。

そのとき、

「すみませ~ん。写真のシャッター押してください。」

女性二人組みに呼び止められた。母娘のようである。

それにしても、イントネーションがどう聞いても関西人である。

外国まで来て、日本人観光客に会うだけで萎えるのに、関西人とは、普段と変わらん!

と思いながら、写真を撮ってあげた。

さて、でるか・・・。

2008年3月 5日 (水)

英国旅行記(その11:ソールズベリー大聖堂)

ストーンヘンジを出発した。

当初には予定していなかったが、ソールズベリーによって、ソールズベリー大聖堂を見学することにした。

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町並みはこんな感じである。田舎町っぽくて、よい。

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ソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedral)である。こちらは裏側なので、表側に回った。

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天高く伸びる塔の高さは123mで、英国最高で、建物全体は、イングランド初期ゴシック様式である。

写真ではよくわからないが、かなりのでかさである。

近づくと、数々の彫刻群・・・。

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なんか英国の教会って、親父を掲げるのが、好きやな。教会って、こういうもの?

とにかく中に入る。

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なんじゃ、こりゃ!?

珍寺っぽい!

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このデク人形の前で何を真剣に語っているのか?

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大聖堂のミニチュアにようである。

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中世の時計らしい。14世紀のもので英国最古のものらしい。

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掲げられた旗が風化している。

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やはりここもお墓ダラケである。

英国の教会に行くと、必然的にお墓訪問になってしまう。

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ここもステンドガラスが美しい。

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聖歌隊席である。

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パイプオルガンもある。

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中に誰か寝てはります。

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トリニティチャペルである。大聖堂の最奥部である。

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ここにあるステンドガラスの一部は、「良心の囚人」という作品である。

1980年製作だが、なんとも気色悪い

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美しい!

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ウィリアム・ロンゲペーの墓である。

ヘンリー2世の庶子で、リチャード1世やジョン王の異母兄で、ソールズベリー伯である。イングランドで最初に紋章を使用した人らしい。

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うむ。シュールな絵だ。

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うむ。凛々しい!

そして、何と言っても、ここソールズベリー大聖堂の最大の見ものは、チャプターハウスである。しかし、残念なことに撮影禁止エリアであった。

何が見ものかというと、マグナ・カルタが保存されているのだ。これが、阿呆のジョンが飲まされた大憲章(マグナ・カルタ)か!

JINと二人で興奮しまくりである。実際見ると、字細かっ!

ものすごく小さな字で細かく書いてある。

不思議に思っていると、JINがある見解を発表した。

「この当時の紙は貴重品だったので、紙の節約のために小さな字になったのであろう!」

ところで、ここには、旧約聖書の伝説がレリーフになって、部屋の周囲に飾ってある。

アダムとイブから、カインとアベル、ノアの箱舟、アブラハムなど、まさに宗教を世俗に教える装置が施されているのだ。レリーフを追いながら、無性に興奮する痛い子二人がそこにはいた。

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ソールズベリーを出発した。

2008年3月 4日 (火)

英国旅行記(その10:ストーンヘンジ)

平成20年2月9日。三日目開幕である。

本日は、レンタカーを借りて、冒険することになった。

手配は前日のJCBプラザである。日系企業だったので、手続きはすんなりいった。

レンタカーショップは、地下鉄のHendon Centralである。初めてのゾーン3であった。

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駅に着くと、電話し、迎えが来ることになっていた。

しかし、全然でない。こちらの公衆電話は相手がでなくても、金をとるらしく、どんどん50ペンスが吸い込まれる。

諦めかけたとき、やっとつながった。

しばらくすると、迎えがやってきた。日本人なのだが、長いロンドンぐらしがそうさせるのか、妙に違和感を感じた。たぶんイングランドナイズ?されている。

手続きをすます。イングランドの道路事情はややこしいので、カーナビを借りることにしたが、なんというか、携帯可能なのである。

カーナビ画面をフロントガラスに吸盤でガポっとつけるのである。

なんじゃ、こりゃ?と思っていると、

「車を離れるときは、はずして、持ち歩いてください。盗難に会います。」

との、説明である。

かなり治安がいいと思っていたが、ショックな発言である。

とにかく、スタートである。行き先は、ストーンヘンジである。

しばらくして、隣を走っていた車を見ると、やはりガポっと式のカーナビであった。

日本人感覚では不思議だが、世界ではこれが常識なのかもしれない。

さて、こちらの道路は、信号機があまりない。

かわりにロータリーがある。交差点を曲がるときは、ロータリーに突入し、目的のロータリー出口に走り抜けるのである。今回は、JINがずっと、運転したが、初めは相当戸惑っていた。

ロータリーについては、言葉で説明するのが、難しいので、知りたい人は自分でぐぐろう!

そうこうしていると、突然それは現れた!

ストーンヘンジである。

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何もない平野にあると思っていたが、実際は道路の中州のようなところにあった。

ストーンヘンジといえば、我々オカルトファンにとっては、聖地中の聖地である。

小学校の頃に、オカルト本で読んで憧れていた場所にいるのである。大興奮である。

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感動で顔がにやける私。

ストーンヘンジは、紀元前2500年前から紀元前2000年前に立てられたと考えられている。しかし、もっと古い時代から存在するとの見解もある。また、何千年もの間に、何段階にもわたって建設されている。まったくミステリーである。

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ヒールストーンである。

環状列石の外側にポツンとある。夏至の日には、太陽がこの石付近からあがり、環状列石の中心に太陽光が注ぐ。このことから、天文学的な目的のため作られてとする説がある。

また、中心近くに立つブルーストーンは、ウェールズ原産らしい。どのような経緯でここにあるかは、謎である。

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別角度から。この角度からは、中心近くにの石の間から、ヒールストーンが見える。

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拡大すると、何か模様のようなものが見える。

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ぽつんとある石はステーションストーンと呼ばれる。

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この埋まっている石は虐殺の石と呼ばれる。

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ヒールストーンを別角度から・・・。

オカルトスポットに浸っていると、羊の軍団が現れた。

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うむ。牧歌的である。イングランドを堪能しているなあ・・・

この写真を撮るために、ストーンヘンジを駆け回り、羊を追いまくったので、英国人の失笑をかった。こういうパターン多いな・・・

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