英国旅行記(その7:ウェストミンスター宮殿)
ウェストミンスター寺院の後は、すぐ近くのウェストミンスター宮殿を外から見た。
ウェストミンスター宮殿はエドワード1世征服王以降の歴代君主の主要宮殿となり、16世紀まで、王の宮殿として機能していたが、現在は、国会議事堂となっているのである。
しかし、こんな歴史的・芸術的建造物で英国の議員さんは、答弁しているのかと考えると、日本の国会議事堂がしょぼく思えた。
そもそもエドワード1世時代に、ここで模範議会がなされ、彼の死後、議事堂としての機能が強化されたようだ。ちなみに、最後にここに居住した王はヘンリー8世である。
ヘンリー8世と言えば、愛人問題が発端で、イギリス宗教改革を成し遂げた偉人である。
この宮殿は、2度の火災と第二次世界大戦時に空爆によりぶっ壊されたりして、今の建物はほとんど再建である。
ヴィクトリア・タワー前に謎の銅像群である。
この宮殿のすぐ横は、テムズ川である。
テムズ川といえば、喧嘩マンがネプチューンキングからネプチューンマスクを受け取って、完璧超人ネプチューンマンとして転生した聖地である。
ちなみに向こう岸にロンドン・アイ(観覧車)が見える。
宮殿の西側である。
リチャード1世の銅像である。リチャード1世と言えば、獅子心王と呼ばれ、戦に生きた人である。イングランドに滞在した期間はわずか6ヶ月だったらしい。
ところで、彼の弟が阿呆で有名な欠地王ジョンである。とにかく野心に燃え、行動が全て裏目に出た不幸な人である。あまりのお馬鹿さん具合に、その後のイングランド王でジョンを名乗るものは出ていない。だから、ジョンはジョン1世ではないのである。
大陸領土を喪失し、教皇にごめんなさいして、諸侯に反乱され、マグナ・カルタを認めるという偉業をなしたのである。
この銅像は、護国卿オリバー・クロムウェルである。清教徒革命の英雄である。しかし、その後、チャールズ2世の王政復古の際には、墓を暴かれている。
向かいの公園にはジョージ5世の像である。
第一次世界大戦時が治世であった。現ウィンザー朝の初代である。
ご存知!ビッグ・ベンである。意外に知らない人がいるが、宮殿にある時計塔の鐘のことである。現在は、時計塔そのものを言うことが多い。
工事責任者で国会議員のベンジャミン・ホールにちなんでつけられた名前である。
ところで、この鐘の音が日本の学校のチャイムのメロディの元になったとか・・・。
ビッグ・ベンの前で閑談する警官である。なぜかいちいちお洒落っぽい。
ウェストミンスター宮殿を離れ、歩き出した。
テムズ川にかかるウェストミンスターブリッジを渡る。向こうにはロンドン・アイである。
今回入らなかったが、ロンドン水族館である。なんで、水族館までいちいちお洒落なんだ!
と、思っていたら、旧ロンドン市庁舎に造られているらしい。つまりは歴史的建造物というやつか・・・。
さて、これから、どこに行くかというと、イギリス最大の巡礼地カンタベリーである。
カンタベリーには列車を利用するので、Waterloo Stationまで歩いているのである。
途中で、歩いている方向が合っているか自信がなくなった。
すると、子連れの若奥様が、
「私についてきなさい!」
ありがたいと感謝し、ついて行くと・・・。
速っ!!!
ベビーカーを押しながら、ものすごいスピードで歩いている。昨日から気づいていたが、ロンドン人の歩くスピードは異常である。
よく大阪が速いとか言うが、絶対ロンドンのほうが上である。
まあ、速いといえど、JINや私と同じスピードなのであるが・・・。
しばらくすると、駅に着いた。
なかなかでかい駅である。
電車に乗り込み、いざカンタベリーへ!
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