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    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
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    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
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    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

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2008年2月

2008年2月29日 (金)

英国旅行記(その9:ロンドン夜二日目)

ロンドンに帰ってきた。

今日は、朝飯以来まともなものを食べていない。

JINと相談して、パブに行くことにした。

行き先は、Charing Cross Stationのすぐ近くにあるSherlock Holmesだ。

地球の迷い方で適当に決めた。

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いちいちお洒落である。

日本にこういう店があっても、似合わないだろう。やはり、ロンドンにあってこそ調和が取れた造りだと思う。

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うむ。クールである。

JINは、ロンドンに着たら、パブに行こうと考えていたらしく、ある程度の作法?を知っていたが、私は何も知らない。何が何だか分からず、右往左往。プチパニック状態である。

完全に浮いている。

JINはビールとフィッシュアンドチップスを注文した。それを見た私も意を決して、ビールを注文することにした。

「はーふ ぱうんど ぷり~ず!」

と、にこやかに注文。

バーテンさんも分かってくれたので、意気揚々である。

しかし、後で調べたら、パウンドではなくパイントやないか!

何はともあれ、フィッシュアンドチップスとビールを手に入れた。

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では、食す!

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ビール、苦っ!日本のより苦味がきついような。私はビアが苦手なのだよ。

フィッシュアンドチップスは、美味いといえば、美味いが、油っぽかった。

JINが、

「低温で時間をかけて揚げている。そうすることによって、油が浸透するのだよ。分かったかな、ワトソン君。」

と言ったか言わないかは、忘れた。

店の名前を見ながら、

「そういえば、ロンドンって、シャーロック・ホームズの舞台なんやね。」

と、シミジミ感慨にひたった。

ベイカーストリートはあるは、杯戸町ならぬハイドパークはあるわ。

新一君ならテンションあがりまくりだろう。蘭ちゃんは、なんであんな変態がいいのかね?とくだらないことを考えた。

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渋いぜ!親父!

慣れない環境と油でお腹一杯になったので、パブをでた。

ここから、腹ごなしに散歩である。

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ロンドン・アイである。

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ウェストミンスター宮殿である。

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近くで、ビッグ・ベンである。

なんとも美しい。

二日目もめいっぱいに動いたので、非常に疲れた。

ホテルに帰り、泥のように寝た。

JINは相変わらず、ごそごそしたり、明日の計画を練ったようだ。

そのせいか、三日目はえらいことになった。

まあ、いつもどおりの強引な旅である。

2008年2月28日 (木)

英国旅行記(その8:カンタベリー大聖堂)

カンタベリーにやってきた。

カンタベリーは英国最大の巡礼地というだけでなく、キリスト教全体を考えても、聖地なのである。

そして、世界史でおなじみのチョーサーのカンタベリー物語の舞台である。カンタベリーに巡礼に来る人々のお話らしいが、読んだことがないので、内容は知らない。

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早速、ウェストゲートタワーの登場である。

カンタベリーは、城壁に囲まれた門前町なのであるが、これはその西の入り口ということになる。

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町並みはこんな感じである。ロンドンとは、また趣が違う。

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カンタベリー大聖堂に行く前に、少し迷ったので、聖アウグスティヌス修道院跡を見た。

6世紀に聖アウグスティヌスによって建てられた修道院であるが、ヘンリー8世の宗教改革により解体され、廃墟になっている。

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カンタベリー大聖堂前には、塔が立っていた。

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カンタベリー大聖堂の門である。

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妙な親父が架かっている。

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これはすごい!格が違う!

私もJINも大興奮である。

6世紀終わりに聖アウグスティヌスは当時異教徒だったイングランドで布教活動を行うが、その本拠地として、7世紀に建てられたのが大聖堂である。

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中に入る。身廊である。荘厳である。

ここは、12世紀にヘンリー2世の教会圧迫に反抗した大司教トマス・ベケットが殺害されたことで、有名である。

ベケットは聖人認定されたので、ベケット自体が信仰の対象になったのである。

今回、ベケット殺害場所を見学したが、写真に収めるのを忘れていた。

大失態である。

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身廊を反対側に見た。ステンドグラスが美しい。

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地下聖堂に下りる階段である。

ここから先は写真撮影禁止であった。

厳かに、南無大師遍照金剛と七回唱える私。

だって、仏教徒ですもの・・・。

地上に戻る。

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ここから先が、内陣(聖歌隊席)である。

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ここで聖歌隊が合唱するのである。

近くでパイプオルガンがなった。ものすごく雰囲気がある。

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誰かの墓である。ここもウェストミンスターと同じように墓だらけである。

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何かはしらんが、説話であろう。

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床の模様を見ろと書いてあった。確かに、面白い模様だ。この奥にトマス・ベケットの聖碑があったらしい。

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トリニティ・チャペルである。トマス・ベケットの聖碑のあった場所である。

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コロナである。ベケットの聖碑の場所として建設されたらしい。

ちなみに聖碑は1538年に破壊された。今でも行事は行われており、カンタベリー大聖堂でも、特に神聖視された場所と言えるだろう。

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ブラック・プリンスことエドワード黒太子である。

百年戦争の大英雄である。めちゃくちゃ戦の強かった人である。

王より先に病死したため、王になることはなかった。

彼の人気の高さから、大聖堂のメインどころに墓があるのである。

しかし、私は足元の豚?に興味をそそられた。

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聖マイケル・チャペルである。騎士や戦死の記念碑が数多くあるため、戦士のチャペルと呼ばれているそうな。

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大回廊にでた。

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大回廊から見た大聖堂である。

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不気味な髑髏の模様があった。意味は不明である。

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回廊の天井には、数々の紋章が架かっている。

なかなかきれいである。

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またまた大聖堂内に戻る。ステンドグラスである。

まだまだ見学したい気持ちを押し殺し、外に出た。

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夕日に映える大聖堂が美しい。

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まいど!

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すぐ近くに庭があった。

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十字架の形に花を飾っている。いちいち粋である。

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さすが、英国である。トイレまでお洒落だ。

中は、いまどき珍しいくらい、旧式であった。

まあ、小便器がないのだよ、要するに。

金属製の壁にかけるタイプである。

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しかし、何度見ても美しい。

これを撮っているとき、JINがいなくなった。

全く、どこをほっつき歩いてるんだ!

・・・とは、強く言えない。

お互いに、興味のあるものを見つけると、没頭するタイプなので・・・。

案の定、別角度から、大聖堂を撮っていた。

カンタベリーの予想以上の素晴らしさに興奮して、帰路に着いた。

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電車を待っていると、突然、英国女性が泣き喚いた。

どうやら、子供に弁慶を蹴られたらしい。

電車が着たので、無視して、乗った。

帰りの電車では、JINには悪かったが、ほとんど、寝てしまった。

だって、疲れてるんだもん・・・。

JINさん、ごめんなさい

2008年2月27日 (水)

英国旅行記(その7:ウェストミンスター宮殿)

ウェストミンスター寺院の後は、すぐ近くのウェストミンスター宮殿を外から見た。

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ウェストミンスター宮殿はエドワード1世征服王以降の歴代君主の主要宮殿となり、16世紀まで、王の宮殿として機能していたが、現在は、国会議事堂となっているのである。

しかし、こんな歴史的・芸術的建造物で英国の議員さんは、答弁しているのかと考えると、日本の国会議事堂がしょぼく思えた。

そもそもエドワード1世時代に、ここで模範議会がなされ、彼の死後、議事堂としての機能が強化されたようだ。ちなみに、最後にここに居住した王はヘンリー8世である。

ヘンリー8世と言えば、愛人問題が発端で、イギリス宗教改革を成し遂げた偉人である。

この宮殿は、2度の火災と第二次世界大戦時に空爆によりぶっ壊されたりして、今の建物はほとんど再建である。

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ヴィクトリア・タワー前に謎の銅像群である。

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この宮殿のすぐ横は、テムズ川である。

テムズ川といえば、喧嘩マンがネプチューンキングからネプチューンマスクを受け取って、完璧超人ネプチューンマンとして転生した聖地である。

ちなみに向こう岸にロンドン・アイ(観覧車)が見える。

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宮殿の西側である。

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リチャード1世の銅像である。リチャード1世と言えば、獅子心王と呼ばれ、戦に生きた人である。イングランドに滞在した期間はわずか6ヶ月だったらしい。

ところで、彼の弟が阿呆で有名な欠地王ジョンである。とにかく野心に燃え、行動が全て裏目に出た不幸な人である。あまりのお馬鹿さん具合に、その後のイングランド王でジョンを名乗るものは出ていない。だから、ジョンはジョン1世ではないのである。

大陸領土を喪失し、教皇にごめんなさいして、諸侯に反乱され、マグナ・カルタを認めるという偉業をなしたのである。

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この銅像は、護国卿オリバー・クロムウェルである。清教徒革命の英雄である。しかし、その後、チャールズ2世の王政復古の際には、墓を暴かれている。

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向かいの公園にはジョージ5世の像である。

第一次世界大戦時が治世であった。現ウィンザー朝の初代である。

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ご存知!ビッグ・ベンである。意外に知らない人がいるが、宮殿にある時計塔の鐘のことである。現在は、時計塔そのものを言うことが多い。

工事責任者で国会議員のベンジャミン・ホールにちなんでつけられた名前である。

ところで、この鐘の音が日本の学校のチャイムのメロディの元になったとか・・・。

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ビッグ・ベンの前で閑談する警官である。なぜかいちいちお洒落っぽい。

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ウェストミンスター宮殿を離れ、歩き出した。

テムズ川にかかるウェストミンスターブリッジを渡る。向こうにはロンドン・アイである。

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今回入らなかったが、ロンドン水族館である。なんで、水族館までいちいちお洒落なんだ!

と、思っていたら、旧ロンドン市庁舎に造られているらしい。つまりは歴史的建造物というやつか・・・。

さて、これから、どこに行くかというと、イギリス最大の巡礼地カンタベリーである。

カンタベリーには列車を利用するので、Waterloo Stationまで歩いているのである。

途中で、歩いている方向が合っているか自信がなくなった。

すると、子連れの若奥様が、

「私についてきなさい!」

ありがたいと感謝し、ついて行くと・・・。

速っ!!!

ベビーカーを押しながら、ものすごいスピードで歩いている。昨日から気づいていたが、ロンドン人の歩くスピードは異常である。

よく大阪が速いとか言うが、絶対ロンドンのほうが上である。

まあ、速いといえど、JINや私と同じスピードなのであるが・・・。

しばらくすると、駅に着いた。

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なかなかでかい駅である。

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電車に乗り込み、いざカンタベリーへ!

2008年2月26日 (火)

英国旅行記(その6:ウェストミンスター寺院)

ウェストミンスター寺院にやってきた。

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ウェストミンスター寺院は、少なくとも1000年以上の歴史を持つ。いつごろから存在したかは定かではない。

11世紀に、エドワード証聖王が、この地に教会を建てたのであるが、それ以降の歴史は確実である。

デーン人にイングランドを追われ、ノルマンディに逃れたエドワード証聖王は、

「もし王としてイングランドに戻れたなら、ローマへの巡礼を行う」と誓った。

その後、王位を取り戻したものの、国内の情勢が不安定であったため、ローマ巡礼を諦めるのだ。その代わり、このウェストミンスター寺院を建立したのである。

しかし、完成直後、エドワード王は逝去し、この寺院に埋葬されている。

王の墓は、その後、数々の奇跡を起こし、聖徒の認定を受けたのだ。つまり聖人になったのだ。

奇跡と言うのは、死後何十年たっても腐らず、関節も滑らかで、生きているようだったらしい。まるで、ロザリア・ロンバルトのようである。

ヘンリー3世により、改築されたり、第二次世界大戦により屋根が吹っ飛んだりしながらも、中世の雰囲気を存分に漂わせている。

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ここが入り口である。

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なかなか素晴らしい彫刻である。

早速、中に入る。

なんと、クレジットカードOKではないか!この後巡る、数々の教会でもクレジットカードが使えた。さすが、カード先進国である。

ここは、あいにく写真撮影禁止なのである。全く、この壮麗さを記録できないのは、口惜しい。でも、ちょっとだけ・・・。

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ここには、数々の偉人の彫像や墓、石碑などが乱立している。

その名を読み上げるだけ、興奮する。

まず、歴代の王が埋葬されている。

特に印象に残ったのは・・・(元高野連会長○野氏風に)

エドワード証聖王(懺悔王とも)とエリザベス1世である。

特にエリザベス1世は、何故か、先代の異母姉メアリー1世と一緒に埋葬されているのだ。

そのほか、エリザベス1世のライバルで処刑されたスコットランド女王のメアリーの墓もあった。彼女の息子がジェームズ1世なので、彼が彼女の墓を建てたのである。ジェームズ1世と言えば、ステュアート朝の始まりで、王権神授説を振りかざし、ジェントリやピューリタンを圧迫し、清教徒革命のきっかけとなった親父である。息子のチャールズ1世も態度を改めなかったので、革命勃発となったのである。

ここウェストミンスター寺院では、歴代の王たちが戴冠式を行っている。

ヘンリー3世はそもそも戴冠式の場として、この寺院を建てたらしい。一番最近の戴冠式は1953年で、もちろんエリザベス2世である。

戴冠式用の椅子は、なんと1297年にエドワード1世の命により作られたものだ。この椅子には、エドワード1世がぺちったスコットランド王の戴冠で用いるスクーン石がはめ込まれていたが、この石は1996年にスコットランドに返還されたらしい。

椅子は、過去黒く塗りつぶされたり、落書きされたり、爆破されたり、ひどい扱いをされながらも、なんとかがんばっているのである。

ところで、ここの埋葬されている偉人たちとしては、チョーサー(カンタベリー物語)、ディケンズ(クリスマス・キャロル)、ニュートン(万有引力の法則)、ダーウィン(進化論)、リヴィングストン(冒険家)などがいる。

また、無名兵士の墓というものがある。第一次世界大戦時の西部戦線で従軍牧師が無名兵士の墓を見て、思いついたものである。

この無名兵士をこの寺院に葬るとともに、全ての戦争で戦死した英霊を讃えているのである。

数々の壮麗な美術品や偉人たちのお墓に興奮し、目が回ってきた。

回廊に出た。

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ここには、英国最古の扉やミュージアムなどが見学できる。

また、喫茶コーナーもあり、軽く軽食をとった。

あまりに見るものが多すぎて、時間も知識も足りず、悔しいものである。

休憩後、ウェストミンスター寺院を後にした。

2008年2月25日 (月)

英国旅行記(その5:バッキンガム宮殿)

平成20年2月8日。二日目開幕である。

昨日は、疲れきっていたので、今日はゆっくりめに起床した。

朝ごはんもホテルでとった。

ホテルを出る。

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ホテル前の道である。普通の通りでも、いちいちお洒落にできている。

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地下鉄Earl's Court駅である。

Piccadilly Lineに乗る。まさかの通勤ラッシュである。

もう9時過ぎてるぞ!どうなってるんだ、この国は・・・。

日本がおかしいのか。。。日本の常識は世界の非常識というからね。

ここは「郷に入っては郷に従え」で我慢である。

Green Parkで降りる。

ここからJCBプラザに相談に行った。JCBのクレジットカードを持っていると、利用できるのだが、旅の相談や予約等してくれるので、重宝する。

JCBでいろいろ手配とかすると、結構な時間になった。

Green Parkを突っ切る。

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突っ切った先は、バッキンガム宮殿である。

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ここにエリザベス2世がおられるのである。

それにしても意外に小さい?皇居のほうがでかいのでは?

バッキンガム宮殿は、元々バッキンガム公の邸宅である。

それをジョージ3世が譲り受け、ヴィクトリア女王から宮殿となっているのである。

近衛兵の交代式で有名だが、当日はなかったようだ。残念である。

かわりに、騎兵が来た。

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騎兵が来ると、観客がわっと集まった。大人気である。

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門に付いている紋章である。

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そうこうしていると、門番の交代である。

ご苦労さんである。

門番はじっとしているから大変そうである。時々、意味不明の動きをしていた。

銃を動かしたり、妙なステップで歩き出したり・・・。

初めは、時間を計って、定期的にするものかと思ったが、不定期だった。

眠気防止か?エコノミー症候群防止か?

台湾の中正紀念堂の衛兵は、ぴくりとも動かなかったので、台湾のほうがすごいのである。

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バッキンガム宮殿前の妙なオブジェを鑑賞して、宮殿を後にした。

次の目的地までは、St. James's Parkを突っ切る。London_137

ここの湖には、カモなどの水鳥やリスがいた。

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鳥ご一行さんである。

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右手にロンドン・アイ(観覧車)が見える。

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こっちは、首相官邸や国防省、外務省などの官庁街である。

いちいちお洒落なのである。

2008年2月24日 (日)

英国旅行記(その4:ロンドン夜一日目)

名残惜しくも、大英博物館を出た。

外は真っ暗である。そろそろご飯の心配をしなければ・・・。

とりあえず、JINの戦略により、ロンドンの中心であるPiccadilly Circusまで歩くことにした。

途中で中華街を通過。

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今日は旧正月だったようで、人が多かった。

そうこうしていると、Piccadilly Circusに到着した。

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消防署のようだ。本当に、いちいちお洒落にできている。

駅のiで、JINがオイスターカードについて聞くと、買えた。

これで、台湾(イージーカード)、香港(オクトパス)に続いて、三枚目である。

ところで、ロンドンではiなるもの(たぶんインフォメーションだろうが、)が整備されており、旅行案内とかしてくれるのである。

もっとも英語ができないときついのである。JINさん、ありがとう

私は英語が苦手なので、いつもなんとなくでやっている。

なんとなくでインド人と口喧嘩したり、ハワイで1ドルの水を買うのに、カードを使って呆れられたりしているのだ。

Piccadilly Circusから地下鉄に乗ると見せかけ、また歩いた。

行き先は、ハイドパーク近くのハードロックカフェである。

なんとハードロックの第一号店なのである。

てっきりアメリカだと思っていたが、ロンドン在住のアメリカ人が始めたそうだ。

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店に入ると、ロッケンロールな店員のお姉さんが、40分ほどかかるとな。

妙な受信機を渡される。どうやら、順番がきたら、知らせてくれるらしい。

で、隣のショップを物色した。

ロンドンの物価は高い。Tシャツとか買うかなと思ったが、日本円に換算してしまった。

やることがなくなったので、ハードロックカフェのオープンカフェのスペースに座っていた。日本よりは暖かいが、結構寒くなってきた。

ぼぉーとしてると、店員のロッケンローなお姉さんが呼んでくれた。

うん。アメリカンである。いつものように、でかいハンバーガーを食った。

軽く胃もたれした。

ところで、給仕してくれた店員さんが、おばはんだった。なんで、いい年こいて、ハードロックの制服着ているんだ!

腹が満たされたので、帰ることにする。

JINがバスに乗りたいということで、バスで帰った。

それにしても初めての街で、JINという男は何故こうも迷いなく行けるのか?

いつもながら、感心する。

ロンドン名物の二階建てバス「ダブル・デッカー」に乗る。

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二階の一番前に乗れた。

狭い道をこともなし、運転する。結構乗ってるほうは、怖いが眺めはいい。

それにしても運転は荒い。西鉄バス並みか?

由々しき自体である。停留所の名前が放送されない。

私は焦ったが、JINは冷静である。

結局、JINの言ったとおりに降りたら、正解だった。

GPSナビゲーションシステムでも搭載されとるんかな?

ホテルに着いたら、私は時差ぼけと単純に疲れから、グロッキーだった。

JINは、ごそごそしたり、明日の計画立てたり・・・。

海外旅行に一緒に行ったときは、毎度のことである。鉄人というか魔神である。

JINに全権を委ね、眠りについた。

英国旅行記(その3:大英博物館Ⅱ)

あまりに書くことが多く、前回、途中できった大英博物館の続きである。

ミイラゾーンの奥から、JINが来た。

「向こう、なんかあった?」の問いに、

「いや、大したことなかった。」の返答。

念のために行ってみると、

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大したことあるやないかー!

エジプト先王朝時代に埋葬された遺体で、自然にミイラ化したものらしい。

その後、人工的にミイラが作られるようになったのだ。

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こっちは、完全にお骨である。確か相当古い人類だったはずである。

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イラクのウルの王墓で発掘された「林の牡山羊」である。

低木に山羊がもたれているような形だ。

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ご存知!イースター島のモアイ像である。

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なんじゃ、こりゃ!?

こういう民俗的な人形を見ると、ハワイのビショップ・ミュージアムを思い出す。

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東南アジア&南アジアゾーンである。

仏像の数々でテンションあがりまくりである。

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ヒンドゥー教の神ガネーシャである。シヴァ神の息子で、商売の神様である。インドでは、招き猫のように、お店にガネーシャ像を飾っている。

面白いのは、象の頭の神様が鼠に乗っていることである。

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昔、こんな感じで音楽に合わせて腰を振るのがあったような・・・。

ダンシング・ベイビー?

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ガネーシャの親父シヴァ神である。

続いて、中国である。

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唐三彩である。

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お~れは、ジャイア~ン~ が~き大将~♪

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中国磁器の数々。焼物好きの私は、かぶりついた。

やはり、台湾の故宮博物院に比べると、見劣りした。

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キングスライブラリーである。19世紀にあった蔵書庫が復元されているのである。

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ルイスのチェス駒である。スコットランドのルイス島というところで発見されたものだが、彫刻の様式からノルウェー産と見られている。

ちなみに「ハリー・ポッターと賢者の石」でも登場した。

JINはこれが見たかったようで、かじりつくように見ていた。

これを探すのには、苦労した。諦めかけたら、何の前触れもなく、普通に展示してあった。テンション急上昇である。

続いて、アフリカゾーン突入である。

アフリカは地下にあった。

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こういう呑気な絵は好きである。

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トゲトゲ人?

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ぶら~ん。

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アフリカのものは妙なものが多い。

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これは、アフリカの武器コレクションである。形状からどのように使うのか、想像しがたい。意味不明である。

死者の書を見逃したので、再び、2階のミイラゾーンに戻った。

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猫のミイラに、魚のミイラである。

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こっちは鳥のミイラのようだ。

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あった!死者の書である。

死者が黄泉の世界を旅するための指南書、つまりガイドブックである。

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これは、死者の審判の図である。オシリスの前で、アヌビスが死者を導き、心臓と羽を天秤にかけるのである。なお、罪深い心臓は、アッミトに食われる。トトは記録係である。無事審判を通過した死者は、ホルスによりオシリスの紹介されるのである。

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アフリカゾーンに降りる階段の近くのショーケースを何気なく見ると・・・。

なんと!

「水晶の髑髏」ではないか!

アステカの遺物とされてきたが、どうももっと新しいものらしいことが分かった。

もしそうであっても、オーパーツの代表とも言える、水晶の髑髏を見ることができ、オカルトファンの私は大興奮である。

しかし、こんなすごいものが、なんでこんな普通に置いてあるんや!?

このあたりが、大英博物館のすごいところである。

今回、大英博物館は改装中のところが多く、クローズが多かった。

まだまだ、見ていないものも多いと思われるが、涙を惜しんで、出ることにした。

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え?もう帰るの?

とでも、言いたげである。

ごめんよ!アッシリアの人面有翼雄牛よ。今度は、ゆっくり見るからね

2008年2月22日 (金)

英国旅行記(その2:大英博物館Ⅰ)

うーむ。眠い!

日本を出たのが、朝だったのに、12時間以上たって、まだ夕方とは・・・。

ホテルを出て、大英博物館(The British Museum)に向かった。

ホテルからは地下鉄で行く。最寄り駅は、Earl's Court、ここからピカデリーラインで、Leicester Squareへ、さらにノーザンラインに乗り換え、Tottenham Court Roadで降りる。

駅で切符を買おうとすると、しばらくほーけてしまった。

よくわからない。

何?ゾーン1って?何?ゾーン1は4ポンドって?1ポンド=220円として、4ポンド=880円?噂には聞いていたが、高っ!

ロンドンの地下鉄はゾーン制になっており、ゾーン1の駅はどこでも4ポンドなのである。

なお、オイスターカードというスイカとかイコカ的なものがあり、これを買うと、ゾーン1の料金が1.5ポンドになるのだ。

ところで、私は、こういうカードを台湾のイージーカードと香港のオクトパスカードしか持っていない。

オイスターがどこに売っているか分からなかったし、ロンドンの高料金を自虐的に味わいたかったので、あえて、普通に買った。

お!クレジットカードで買えるではないか!?

さすが、カード先進国である。

地下鉄のホームでも少し迷い、ホームにやっと着いた。

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やがて、電車がやってきた。

天井低っ!

なんで、この人たちはでかい図体して、日本人でも低いような電車に乗るんだ!?

JIN曰く、「こっちはトンネルに合わせて、電車作るんちゃうか?」だと。

やっとのことで、大英博物館である。

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興奮である。

大英帝国のお宝がそこに・・・。

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入った。

?????

なんじゃ、こりゃ!?

展示物はどこ?

展示物の見方を発見するのに、数十分かかってしまった。

さあ!お宝タイムである。

ちなみに、ここは写真撮影OKどころか、フラッシュもOKである。

ありがたい!

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いきなり、ロゼッタストーンかい!

ナポレオン率いるフランスがエジプト遠征でかっぱらったものを、さらに強奪した一品である。さすが、大英帝国である。

世界史の教科書で必ずでてくるお宝中のお宝に出会い、興奮で鼻血がでそうである。

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ここはエジプトゾーンのようである。

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ラムセス2世である。すごいしかでない。

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アッシリアの人面有翼雄牛と一緒に記念撮影である。

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アッシリアと言えば、弓である。AOEによると・・・。

エイジオブエンパイア

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トルコの遺跡らしい。遺跡そのまま展示とは・・・。

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ギリシアのゾーンである。それにしても贅沢な展示方法だ。

2階に上がると、再び、エジプトゾーンだ。今度はミイラメインである。

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猫の置物である。一番有名な鼻輪をした猫の置物はいなかった。

どっかに貸し出されているのだろうか?

まあ、以前に神戸市博物館で大英博物館展を見に行ったときに、見た記憶があるので、よいのだが。

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ミイラですな。

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このミイラはレントゲン撮影されている。これも以前日本に来ていたような気がする。

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ミイラ酔いしてきた。

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これは、ミイラの臓物を入れる壷では?

まだまだいろいろとあるが、長くなってきたので、いったんきる。

次回、大英博物館Ⅱ

英国旅行記(その1:導入)

平成20年2月7日から12日までUKに行ってきた。

正月あたりからJINとどこか海外に行きたいと話し合っていた。

で、某旅行社の欧州ミステリーツアーに応募した。行き先が分かったのは、3日前であった。

JIN予測では、ロンドンかパリであったが、見事的中したことになる。

なにはともあれ、慌しく出発である。

出発は関空からで、出国審査を終えると、スタバでお茶をした。

今まで、福岡空港から出発した韓国以外は、関空出発で、いつもこのスタバでお茶をするのである。

時間になり飛行機に乗り込む。あいにく、JINとは縦に並んでしまった。これは、つらい!12時間半のフライトを孤独に過ごさなければ・・・。

てかっ!今までの最長フライト時間は8時間なんですけど!

両隣とも、マダムであった。まあ、かさばる方じゃなくてよかった。

いよいよ、離陸である。機体が滑走路をゆっくり動く。

次の瞬間・・・。

もう空の上だった。

どうやら一瞬で寝ていたらしい。なんか、最近このパターン多いな・・・。

こうして、離陸の緊張感を全く味わうこともなく、長い地獄が始まったのである。

しばらくすると、異変に気づいた。

となりのおばはんが変なのである。

ごそごそ、ごそごそ、ごそごそ、・・・。

うざい!

おまけに短い足を上げて、前の人の座席をごり、ごり、足蹴にしている。

前の人はいい迷惑だ。何回もこちらを見てきた。

あんまりひどいので、私がやさしく指導してあげようかと思ったけれども、いつもこれで失敗しているので、前の人にはかわいそうだが、やめた。

彼女は12時間半、ごそごそし続けた。

さあ、機内食の登場だ。

うん、まずい!

おまけに前のJINがワインを頼んでいるのを見て、調子に乗って、私も頼んでしまった。

おかげで、途中、トイレにこもることになってしまった。

トイレに行くたびに、ごそごそばばあを立たせた。

12時間半の間、ほとんど眠れなかった。

結局、映画を、「機動戦士ガンダムⅡ哀戦士編」「燃えよドラゴン」「プラネットアース」「ラッシュアワー3」と見てしまった。

やっと、ヒースロー空港に着いたときには、くたくただった。

いよいよ、イギリス連邦の親分、UKに到着したのである。

予断であるが、私の子供の頃は、イギリスの正式名は、「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」だったが、最近は、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と標記する。どうでもいい話である。

無事入国審査を終えると、ホテルへ。

うーむ、町並みが違う。

ブロックごとに、同じ造りの同じ色の家が立ち並ぶ。

どーも、違和感を感じる。

私のフィールドではないようだ。

ホテルに入り、早速、出かけることにした。

2008年2月21日 (木)

博多を歩こう!Ⅰ(香椎宮)

平成19年4月8日

神戸から福岡に引っ越してきて、初めての休日である。

このころの私は、慣れない環境と、家族や友達のいないという現実に打ちのめされ、相当参っていた。

そんな中、気晴らしに出かけた先は、福岡市東区にある香椎宮である。

前置きは、置いといて、話を進めることとスル。

地下鉄貝塚線から西鉄を乗り継いで、香椎宮にやってきた。

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香椎宮は旧官幣大社である。

由緒は凄まじい。

神功皇后自ら、仲哀天皇を祀ったとされているのである。

ご祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、住吉大神とオールスター状態である。

鳥居をくぐると、公園のようになっている。ちょうど桜のシーズンだったので、地元大学生と思われる集団が呑気に花見をやっていた。

浮かれる大学生の群れを突っ切り、進む。

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なかなか立派な楼門である。

ちなみにこのとき映っている老夫婦を一瞬のうちに抜き去ってしまった。

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神木の綾杉である。

神功皇后が三韓征伐の後、三種の宝を埋めて、杉の枝を挿したのが、今の大木になったのだとか・・・。

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拝殿である。それにしても立派である。

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本殿を横から見たところである。

ここの建築は香椎造と言うらしい。しかも日本唯一だとさ。

んー?

ウィキペディアで調べたが、微妙に意味がわからない。

でも、特殊な造りということなのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%A4%8E%E9%80%A0

いろいろ散策していると、

「不老水」という看板を見つけた。

早速、案内されたとおりに行ってみる。

以外に遠い。まだかまだかと歩いていると、着いた。

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武内宿禰(たけのうちのすくね)が毎日飲んで、300歳生きたという名水ということだ。

武内宿禰と言えば、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五代の天皇に大臣として使えたスーパーじいさんである。

さらに言えば、我々オカルトファンにはおなじみの竹内文書を子孫が残している?のである

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近所の人が、水を汲みにきていた。

さすが、武内君である。

順番が来たので、飲んでみた。

うーん、味はよくわからないが、のどが渇いていたので、ちょうどよかった。

そして、気のせいか、元気が出てきた。

やはり武内君はすごいのである。

2008年2月19日 (火)

唐津焼物紀行

平成19年12月23日

本当ならば萩まで行ってやろうと、早朝に起きたのだが、どうにも体が重い。のどが痛い。熱っぽい。鼻がぐちゅぐちゅする。つまり、風邪を引いた。

そのまま布団で寝た。

しかし、そんなことではへこたれないのが、私である。

しばらく、寝ると、行き先を唐津(佐賀県)に変更し、出かけた。

まずは、唐津城である。

この城は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の根拠地である名護屋城の後詰の城として築かれたものを発展させたものである。

といっても、明治の廃藩置県で解体されたので、現在のものは昭和になってからの復元である。

入り口からは、石段が続く。

風邪引きさんには、大変つらい。地元の中学生野球部が階段ダッシュをやっていた。元気に挨拶してきた。元気がいいのはいいが、無理なトレーニングをして、体を壊したらあきまへんで!

石段を上ると、藤の木があった。

なかなか立派な藤の大木である。今はあいにく枯れているが、シーズンになれば、さぞや美しいであろう。一句捻りたくなるであろう。

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さらに石段を上る。

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天守閣はまもなくである。

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復元の城だが、なかなか立派だ。中に入る。

内部はどこの城でもそうだが、一種の博物館になっている。

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まずは唐津城の模型である。

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昔の町並みなんかも展示されている。

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掛け軸とか展示されている。

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むひょ!唐津焼である。唐津焼については、後で解説する。

焼物の登場でテンションあがりまくりである。

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頂上からの眺めである。向こうには、名勝「虹の松原」が見える。

絶景である。

唐津城を後にして、唐津曳山展示場を見学した。

毎年11月2~4日に「唐津くんち」と呼ばれる祭りがある。

400年もの歴史を持つと言われる、素晴らしい祭りのようだ。

あいにく、私は行ったことがない。

この祭りで使われる曳山を展示している。曳山とは、木型に紙を重ね貼りしたもので、古いものは江戸時代の製作らしい。芸術的、歴史的ハリボテなのである。

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めでたい!

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武田信玄公である。

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上杉謙信の兜である。

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浦島太郎であるが、何気に気持ち悪い。

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曳山展示場の前には、唐津くんちの舞台である、唐津神社がある。

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唐津神社の由緒は、神功皇后が朝鮮征伐の際、ご祭神の住吉三神に祈願した。朝鮮征伐が成功したので、そのお礼として三神を祀ったものである。

続いて、いよいよ本旅のメインである唐津焼を見に行く。

唐津焼は、かつて茶人に、「一楽、二萩、三唐津」と称されたほど、好まれた陶器である。

ちなみに楽は京都の楽焼、萩はご存知、萩焼である。

唐津で名門の今里太郎右衛門窯を訪れた。唐津藩の元御用窯である。

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ここに行き着くまでに、道を間違えてUターンしようとして、マイカーを少しがりっとやってしまった。テンション下がりまくりである。

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なかなか立派な門構えである。

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どえらい、貫禄である。11代目作の達磨だそうだ。

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いよいよ、突入である。

入ると、唐津焼の数々。思ったよりリーズナブルだ。

奥にも通路があった。

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戸を開けると、渡り廊下である。

渡り廊下を渡り、戸をあけた。

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おぉ!すごい!

こちらは値段もかなり上がる。しかし、実に素晴らしい。

車をがりがりしたことなど、すっかり忘れて、テンション急上昇である。

実に良いものを見て、テンションあがりっぱなしで帰路に着いた。

2008年2月18日 (月)

2008年初夢シリーズ(その5:越木岩神社)

清荒神からの帰り、西宮市にある越木岩神社に寄った。

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この神社は由緒もよくわからない謎の神社である。社殿は江戸時代に建立されたことが記録に残っているらしい。

何と言っても、ここには甑岩(こしきいわ)と呼ばれる巨石が祀られているのである。

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本殿へと続く道には、地元の幼稚園だか小学校だかの絵が展示されていた。

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本殿である。手前に輪がある。神社ではよく見かけるが、茅の輪というわらしい。

この輪をくぐることで、穢れを落とすことができるらしい。

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甑岩へと続く道は、こんな薄暗いところにある鳥居から始まる。

暗い山道には、所々に末社があるが、全て、岩で作られている。

なんとも面白い。

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現れた。甑岩である。でかい!

高さ10m、全周40mもある巨岩である。酒の醸造に使われる甑に似ていることから、その名がある。

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さっそく周囲を、周る。

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甑岩の裏側である。

ところで、この岩を昔、切り出そうとした愚か者がおったとナ。

すると、たちどころに煙が立ち込め、石切職人がばたばた死んだそうな。

またまた、平安時代には、この岩から煙が立ち上るのが、瀬戸内の沿岸で確認されたと記録が残っている。

これは、すさまじいオカルトスポットである。

オカルトファンの私としては、興奮のしぱなしである。

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さらに奥に通ずる道があった。

両親に、もう少し奥を探検すると告げ、一心不乱にダッシュする私。

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途中に貴船社があった。

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最奥部には、北の座と呼ばれる石があった。

少し小ぶりな岩だったので、いささか拍子抜けしたが、何か霊異的なものを感じる。

岩の塊を見届けて、再びダッシュで駆け下りた。

越木岩神社を後にして、ツマガリでシュークリームを買って帰った。

2008年2月17日 (日)

2008年初夢シリーズ(その4:清荒神)

平成20年1月2日

両親が初詣に行きたいというので、出かけることにした。

私は、新年4箇所目の寺社めぐりである。

行き先は宝塚市にある「清荒神」である。

正式には清荒神清澄寺である。

そう、ここも門戸厄神と同じ、お寺なのである。

縁起は、宇多天皇の勅願寺として建立されたものである。

本尊は、大日如来であり、鎮守社として三宝荒神社がある。

竈神の一種であることから、台所を守るお母さんに大人気のお寺なのである。

参道には延々と露店が立ち並ぶ。

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やがて、山門が見えてきた。

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それにしても、ものすごい参拝客である。

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山門は帰り専門になっていたので、脇から境内に入った。

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お!?スーパースターの弘法大師である。修行中の像のようである。

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荒神社に向かう道である。

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・・・。

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拝殿である。ここは神社なので、拍手であるが、やはり間違える人が続出していた。

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拝殿のすぐ裏には、護法堂がある。ここに荒神さん等が祀られているのである。

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護法堂の裏には、荒神影向の榊がある。

ここに荒神さんがお姿をお写しになったそうだ。

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なにやら棒切れで榊の周辺をほじくっている。

ここに供えたお賽銭をぺちって、もって帰り、次に来たときに倍返しをする風習があるらしい。なんでもぺちった賽銭は、お守りになるのだとか・・・。

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厄年の人がかまどの神様の荒神さんに厄をつまんでもらおうと、火箸を奉納するらしい。このご時勢だと、普通に盗まれそうである。

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本堂までの道のりは険しい。ひたすら上らされる。

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そして、降ろされる。なんじゃ、そりゃ!

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本堂である。ここに本尊の大日如来等が祀られている。

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傍らには、賓頭盧尊者である。以前来たときは、しっかりなでなでしたが、今回は行列ができていたので、やめた。賓頭盧尊者って、そんなに人気あったんやね。

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本堂前では、地蔵菩薩像に、人々が一心不乱に水をぶっかけていた。

私も当然、ぶっかけた。

しかし、ものすごい人で、改めて清荒神の人気を知った。

2008年2月16日 (土)

2008年初夢シリーズ(その3:門戸厄神)

まだ1月1日である。

須磨寺から帰ってきた後、午後から西宮市にある門戸厄神にやってきた。

門戸厄神の正式名称は、松泰山東光寺である。

縁起は、嵯峨天皇が41歳の厄年のとき、夢で愛染明王と不動明王が一体となり、スーパー明王になるのを感じた。

それをスーパースター弘法大師に相談したところ、このスーパー明王像を三体彫った。そのうちの1体がここ門戸厄神にあるのだ。後の2体は、高野山の天野社と石清水八幡宮だそうだが、現存するのは、ここだけなのである。

阪急今津線門戸厄神駅を降り、てくてく歩く。思ったより距離があった。

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石段に一段一段に100円ショップで購入したようなプラスチックのかごが置いてある。ここにお賽銭を少しずつ入れていくのだ。

ちなみにこの階段は、42段あり、男厄坂といい、一段上るごとに厄を落とせるらしい。

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表門である。震災で壊滅したが、無事再建された。

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不動堂(護摩堂)である。ここで護摩焚きのお願いをした。

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護摩木に願い事を書き、渡すと、引き換えに御幣をもらった。

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中楼門である。

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中楼門に向かう石段は女厄坂で33段ある。ここもやはりお賽銭入れがあった。

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厄神堂である。ここに厄神明王が祀られているのである。

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厄神堂の左手には、大黒堂と愛染堂がある。その名のとおり、大黒天と愛染明王が祀られている。

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厄神堂の右手は、薬師堂である。こちらに、ご本尊の薬師瑠璃光如来が祀られている。

ん?

ご本尊って、厄神明王じゃなかったのね!

でもみんな厄神明王が本尊と思っているのでは?

それと気になるのは、清荒神でも同じだが、拍手を打つ姿である。神がついてるから、みな勘違いしているが、ここはお寺なのである。

これこれ!そこの御仁、厄神堂で拍手を打つんじゃない!

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こちらは稲荷社である。こちらは神社だから拍手である。

これこれ、そこのお嬢さん、一生懸命「南無南無」するんじゃない。

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厄神堂の裏には、奥の院がある。鳥居があるが、お寺の奥の院だから・・・。

???

私も混乱してきた。

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どうやら、ここに厄神明王が安置されているようだ。

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これが厄神明王のレプリカなのかな?

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帰り際に延命魂なる大木の根があった。高野山奥の院にあった杉らしい。

これに触り、続いて自分の悪いところを触ると、悪いところが治るらしい。

とりあえず、禿散らかさないように、頭に触れた。

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この長蛇の列は、大師堂である。

さすが、スーパースター弘法大師である。大人気である。

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ショーウィンドウに陳列される不気味な人形である。何じゃこりゃと思って注意書きを見ると、人形供養を行っているらしい。

人形供養といえば、未だ行っていないが、あこがれの聖地淡島神社に行きたいものだ。

2008年初夢シリーズ(その2:須磨寺)

  長田神社に続いて、須磨寺にやってきた。

須磨寺には昨年の9月にも訪れている。

そのときの記事は、下のとおりである。

http://markun-angya.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_eb25.html

前回は、昼間であったが、今回は、深夜である。

須磨寺は、神戸市須磨区にある名刹で、珍寺としても名高い。

深夜の須磨寺を紹介するブログやHPは見たことがない。

結構貴重なのでは・・・?

前回は、電車でやってきたが、今回は車である。

駐車場は、奥の院の裏口のようなところにある。

くそ寒い中、駐車し、エレベーターで下ると、いきなり、墓地である。

正月とはいえ、深夜の墓地は堪える。

墓地を抜けると、敦盛塚があった。

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前回説明したとおり、少年武将敦盛の首塚である。

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ご存知!見ざる、言わざる、聞かざる、怒らざる、見てござるの五猿である。

見てござるは今日は何をのぞき見るのだろう!

JINはテンションがあがった。

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三重塔である。

塔の中は、こんな感じである。

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仏像が鎮座しておられる。

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三重塔の周りは、四国八十八箇所のお砂踏みができる。

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お稲荷さんもいる。

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夜中の敦盛首洗い池と義経腰掛けの松である。

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大師堂である。前回は工事中で未完成であった。

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???

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これはこれは、スーパースターの弘法大師様じゃないですか。

後光が差して、神々しいお姿である。

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本堂である。

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中はこんな感じである。

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護摩堂である。前回は布団を干していた。

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別のところには、水かけ地蔵?もある。

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ここからは、五猿以来のワンダーゾーンである。

まずは、源平の庭である。

「熊谷、涙を抑えては・・・。」の一節のシーンで、

平敦盛と熊谷直実である。

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七福神マニコロである。

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亀の上にあるのは、七福神である。

決して、ジンメンではない。

この七福神を回しながら拝むのである。

亀の背中に乗っても構わないが、七福神に乗るとバチが当たると注意がしてある。

「あなた、地獄に落ちるわよ!」

ってなもんか・・・。

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なんとも愛らしい「ぶじかえる」を撮ったのだが、バッファローマンに取り付いたサタンのような影が・・・。

正月からなんともありがたい、怪奇現象発生中なのである。

ぶじかえるの説明書きには、

「ビックリしたい人は目玉を回して下さい。借金に困っている人は首を回して下さい。悩みが解消するかもしれません。」

なんじゃ、そりゃ?

最後に、本来一番初めに来るべき、三門にやってきた。

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JINに、これから奥の院に行くかと誘うと、いやだとの回答である。

そりゃそうでしょうな。行きたいなんて言われたら、私が困る。

くそ寒い中、墓地を再び帰り、車で帰宅した。

2008年2月14日 (木)

2008年初夢シリーズ(その1:長田神社)

平成20年1月1日。元旦である。

今年もくだらない格闘技をたらたらと見て、新年を迎えた。

ただ大晦日名物「曙」の失神が見れなかったのは、残念であった。

とにかく、新年を迎えて、早々、JINと初詣に出かけた。

行き先は、神戸市長田区にある「長田神社」である。

旧官幣中社で、ご祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)だそうだ。

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しかし、とにかく寒い。

私は用意周到に手袋をしていたが、JINは忘れていたため、非常につらそうだ。

事代主は、大国主の息子で国譲りのときに、親父から全権を委任された気の毒な神である。釣りをしていたことから、えべっさんとも同一視されている。

長田神社は神宮皇后が朝鮮征伐より帰還する途中で、長田の地に祀れとの神託を受けて、創祀されたのが、縁起である。

参道にある露店をものともせず、お参りである。

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昨年の初詣は、生田神社から、湊川神社、長田神社と三社参りした。

そのときは、一番最後が長田神社だったので、人気がなく、寂しかったが、今回は早い時間なので、活気がある。

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おみくじを結んでいる。私も参拝後、おみくじを引いたが、微妙だった。

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本殿である。

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めでたい!

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めでたい!

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末社の一つの楠宮稲荷社である。

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なかなかいい雰囲気だ。

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アカエイの絵馬が奉納されている。

昔々、なんでも繁殖期に岸辺にやってきたアカエイが、暴風雨のときに川を遡り、水浸しの境内に侵入したらしい。

近所の人々が捕まえようとすると、ここにあるご神木の楠のあたりで見失ったそうな。

以来、アカエイは神の化身だそうだ。

また、ここ楠宮稲荷社は、なんと「痔の神様」らしい。

そんなことを知ってか知らずか、JINはかなり熱心に祈っていた。

2008年2月13日 (水)

伊万里焼物紀行

平成19年11月25日AM8:00大橋駅

私は愛車にてうっちょを待っていた。

やがて、うっちょがやってきた。

ちなみに私は早く着きすぎて、7時半から待っていた。


私は、小学校の頃に焼き物に興味を持ち、

写真とか見て喜んでいたのだが、

最近また焼き物好きの虫が再燃した。


そういえば、まだ伊万里と有田には行ってなかったことに気づき、

ついに憧れの地へ行こうと思い立ったのだ。

うっちょを積み込み、いざ伊万里へ。

ちなみに有田も行きたかったが、たぶん時間がないだろうと思い、

断念した。

伊万里に決定した要因は、かっぱのミイラを見たかったからだ。

私はこういうオカルト系も好きで、去年は大分まで鬼のミイラを見に行った。

かっぱのミイラは松浦一酒造の蔵にあり、常時一般公開中である。

駐車場に車を止め、酒蔵へ行く。

お店の人がいたので、うっちょがいち早く挨拶した。

このへんは、調子のいい男だ。

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展示室に入る前には、昔の農機具とかがおいてあった。

そして、なぜか女の河童のオブジェ。

とりあえず乳をもんで、うっちょのカメラで記念写真。

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中は、酒樽とかが展示してあり、一番奥に注連縄がしてある。

ははあ、あれだな!

そいつは、ガラスケースのなかで、こちらを見ていた。

今までオカルト本とかTVで見たやつが今ここにいる。

感動である。

それにしても予想外に小さい。

もうちょっと大きいと思っていたが、40センチくらいだろうか?

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ありがたいものを見て、その前で記念撮影。

なぜかうっちょの服の縞が変に写っていた。

おそらく河童様の霊験であろう。

その後、「伊万里市陶器商家資料館」へ行った。

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ここは昔の陶器商の旧家で、伊万里焼の展示もしている。

特にたいしたことはないのだが、

ここのご婦人においしいと評判のちゃんぽん屋を教えてもらい、

そこで昼食をとった。

確かにリンガーよりはうまいかもしれないけど、特にたいしたことはなかった。

その後、大河内山まで行き、窯元散策。

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さすが、大河内山である。

橋も案内板も磁器でできている。

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道には窯元が続く。

おめあては長春釜の青磁である。

小さな店舗だったが、実にすばらしいものをおいていた。

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ここにはかつて本上まなみさんも来ていた。

ショックだったことは、うっちょが本上さんをしらんかったことである。

かつては、その素人っぽさから人気を博していたというのに・・・。

ま、私は興味なかったのだがね。

ここのおばちゃんはやたら説明が好きで、

いろいろ勉強になったが、

こっちがお土産に買おうと吟味する暇を与えないのには困った。

うっちょを犠牲にして、一輪挿しを購入した。

その後、御庭焼きにいったが、ここは他とは格が違った。

実に素晴らしい絵付けで、値段もすごかった。

その後、行った窯は、実にしょぼく見えた。

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窯元めぐりを終え、鍋島藩窯公園を散策。

展望台まで行ったが、なんか寂れていて、最悪だった。

焼き物広場は意味がわからないオブジェのようなものがあった。

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この謎の石造物は、お経石釜跡である。

要するに、登り窯の遺跡なのである。

大河内山の入り口まで戻ってきた。

ここには関所が再現されている。

その関所の近くには陶工橋なるものがある。

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陶工橋を渡ると、磁器でできた鐘がある。

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「めおとしの塔」というらしい。

磁器の金属音が鳴り響く。で?

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唐臼小屋である。水力を利用して、磁器の原料となる石を砕いているのだ。

実にすばらしい本物の技と、力の抜けるオブジェ群に精魂尽き果てて、大川内山を後にした。

実に充実した一日の締めは温泉である。

伊万里にある白磁の湯に入る。

ちなみに場所が微妙にわからず、結構迷った。

その間、うっちょは寝ていた。

白磁の湯はちょっとぬるぬるした無色透明の湯で、

おそらく循環していた。

まあ、費用対効果を考えれば、こんなもんじゃないでしょうか。

とにかくこれで、うっちょの内臓脂肪は2%削減されたのだ!

2008年2月 3日 (日)

絶景!阿蘇名水巡り(その5:阿蘇神社)

阿蘇神社にやってきた。

肥後国一ノ宮で、旧官幣大社である。

大きな神社であるが、まず目を引くのは、日本三大楼門に挙げられる楼門である。

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うむ。立派である。

ちなみに残りの二つは、鹿島神宮と筥崎宮だそうだ。

しかし、日本人って、本当に三大が好きなのである。

中でも傑作なのは、日本三彦山である。

英彦山(福岡)、弥彦山(新潟)、雪彦山(兵庫)の3つだが、

そもそも彦山なんて、そんなにないんじゃ?

楼門の前に、「神の泉」なるものがある。

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湧き水を飲めるのだが、不老長寿の水らしい。

早速飲む。

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うまい!・・・のか?

これで不老長寿なのである。

なんか今回の旅は水ばかり飲んでいる。

ということで、今回は後付けで「名水巡り」の旅なのである。

気を取り直し、参拝する。

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拝殿である。

参拝した後は、おみくじなのである。

うっちょ曰く、恋愛成就で有名なのだそうだ。

私の引いたおみくじは、縁結びの項目に、

紹介してもらえるとでていたので、

うっちょときゃぷてんに思いくそ、アピールした。

なお、ここ阿蘇神社の御祭神は、神武天皇の孫、健磐龍命(たけいわたつのみこと)を中心とした十二柱の神々だそうだ。

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拝殿の左側が一の神殿である。

健磐龍命他四柱の神が祀られている。

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右側が、二の神殿である。

阿蘇都比咩命(一宮の妃)他四柱が祀られている。

他に、二柱が祀られているらしい。

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山王社である。

山王というからには、日吉神社のことだろうか?

どういう経緯で、阿蘇神社にあるかは、わからなかった。

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うっちょが恋愛成就で有名と言っていたのは、このことであったようだ。

高砂の松(縁結びの松)である。

男性は左から2回、松の周りを回ると縁結びのご利益があるらしい。

早速、全力で回った。

きゃぷてんが、

「近くの女の子が引いてましたよ。」

と言った。

真剣勝負に、そんなもん関係ないわー!

しかし、こんなところで「高砂の松」に出会うとは思わなかった。

高砂の松とは、謡曲「高砂」に出てくる「相生の松」の苗を持ち帰り、

境内に植えたものらしい。

「高砂」をご存じないかもしれないので、解説すると、

結婚式でじじいが歌うあれである。

「高砂や~・・・」で始まるのだが、元々能の作品で、世阿弥が作ったものである。

阿蘇宮の神官が、播磨の高砂にやってきたとき、二人の老夫婦に出会う。

老夫婦は高砂の松と住吉の松の精霊なのだが、

離れていても、共に年老いても仲睦まじいということで、おめでたい話なのである。

また、相老いと相生をかけている。

実は私は、福岡に来る前に、地元の名所を今のうちに回ろうといろいろ散策していたときに、播磨の旅で「高砂」の舞台高砂神社まで行っているのである。

そのときのことは、また報告することとする。

ともかく、そういうこともあり、感慨深いものがある。

なぜ、ここ阿蘇にあるかわからなかったが、

帰って調べると、阿蘇の神官が主人公なので、理解した。

とにかく私の恋愛運は前途多難絶好調ということで、帰路に着いた。

帰りに、うっちょの母校に寄った。

学び舎に電波塔が立ち、宇宙と交信しているそうだ。

すばらしい!よくぞ、うっちょは4年間耐えたものだ。

夕食はうっちょ御用達のラーメンを食した。

えらくこってりで京都のラーメンを思い出した。

こんなものを食べてたらメタボリックになっちゃうよ~(アルシンド風に)。

2008年2月 2日 (土)

絶景!阿蘇名水巡り(その4:草千里ヶ浜)

白川水源から草千里までドライブである。

途中で見晴らしのよい所で、車を止めた。

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ん?なんかいる?

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牛だな。

車を再び走らせる。

それにしても外はかなり寒い。

途中の工事現場の親父などは、完全に凍えていた。

お気の毒である。

草千里ヶ浜に着いた。

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シーズンがよければ、青々した草原に馬や牛が戯れる姿が見れる。

しかし、今は真冬なので、殺風景である。

ここほど阿蘇を代表する風景もないだろう。

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煙がもくもくと上がっているところは、中岳火口である。

以前行ったことがあるが、そのときは、ガスで火口がよく見えなかった。

草千里を散策していると、うっちょが、

「馬糞が落ちてますので、注意してください。」

とガイド風に言った。

本当に落ちている。

さすが、阿蘇通のうっちょである。ガイド振りもキメ細やかなのである。

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この池は、雨がたまったもので、

要するに、でっかい水溜りである。

近くに雪が積もっている。

雪合戦をする、痛い子3人がそこにはいた。

一通り、雪合戦を追え、体中冷え冷えになり、車に乗り込む。

次の目的地に行く途中、車を止めて、風景を見た。

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木々の向こうに、米塚が見える。

米塚もかつて火山活動を行っていたので、

真ん中のへこみは、火口跡なのである。

またまた体中冷え切って、車を走らせた。

絶景!阿蘇名水巡り(その3:白川水源)

高森湧水トンネル公園を後にして、

私のリクエストでかの有名な白川水源にやってきた。

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突然の鳥居であるが、

白川水源は、白川吉見神社の境内にあるのだ。

しばらく歩くと、お土産屋が並び、神聖な土地を創造していた私の心を打ち砕いた。

途中の食堂で昼食をとった。

きゃぷてんはざる蕎麦を、わたしとうっちょはだご汁を食した。

あまり美味くなかった。

食後、門番に100円を渡し、いよいよ水源とご対面である。

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美しい!

ここ白川水源は、毎分60リットルの勢いで湧出しているのである。

ということをうっちょは鼻高々に語った。

まるで、観光ガイドである。

とりあえず、飲む。

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うまい!・・・のか?

のどが渇いていたので、ちょうどよかったのだが・・・。

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この水源の奥が白川吉見神社である。

鳥居を抜け、右手奥には、もう一つ水源がある。

というより、こっちが実際に湧いているところのようだ。

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画像ではよくわからないが、ぽこぽこと水が湧いていた。

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白川吉見神社は、阿蘇神社の末社で、

まんま水源の守護神だそうだ。

ちなみに、白川水源は100円を取られるが、

周辺の水源では無料である。

水としては同じものなので、地元民は白川水源では、

採水しないそうである。

それか、ある一定の条件で無料になる裏技があるらしい・・・。

うっちょの裏話であった。

2008年2月 1日 (金)

絶景!阿蘇名水巡り(その2:高森湧水トンネル公園)

月廻り温泉でくつろいだ後、

高森湧水トンネル公園なるスポットに来た。

ここは南阿蘇鉄道高森線を高千穂鉄道高千穂線につなごうとして、

掘っていたトンネルが異常出水により断念したところを、

無理矢理公園にしたものだ。

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ちなみに手前にそこいらの石を鉄棒で串刺しにした奇妙なオブジェがあった。

きっとブラド・ツェペシか百舌鳥を意識しているのだろう。

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阿蘇通のうっちょによると、トンネルの中央を湧水が流れているらしい。

クリスマスシーズンだと、中をライトアップしていてきれいらしい。

早速に中に入ろう!

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・・・・。

門番を通過すると、高森の地理が立体的に学習できる。

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さあ、奥に進む。

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うん!トンネルですな。

通路のどまん中を湧水が流れているが、

柵とかがないので、油断をすると落ちそうである。

・・・・。

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ん?もう1月13日ですが・・・?

おまけにジングルベルが流れている。

ツリーには、高森小など作成団体名が書いてある。

しかし、ツリーが宙吊りになっている姿はどうも・・・。

ラピュタのエンディングのようだ。

しばらく歩く。

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なんだ?今度は趣が違う。

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七夕ですやん!

今は1月13日である。

何故かうっちょは鼻高々だった。

長い距離を歩くと、やっと最奥部に着いた。

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ウォーターパールである。

落下する水に特殊な光を当てると、

眼の錯覚で、まるで真珠の玉のようになるのだ。

きれいといっちゃきれいだが、ここでする意味があるのか?

一番奥には水神様が祀られている。

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?祀られているのか?

しかし、石碑には水神と書いている。

そんな疑問はさておき、ここでは、湧き水が飲める。

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味はよくわからんが、まろやかだ。

落水の恐怖におののきながら、

くそ長い距離を、力の抜けるイルミネーションを見せつけられて歩いてきたので、どっと疲れた。

小休止である。

一息ついたところで、

また、このノンクール(ある意味サムイのでクールか?)な

道のりを帰っていった。

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