フォト
2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

リンク

訪問国

  • スリランカ民主社会主義共和国
  • ペルー共和国
  • カンボジア王国
  • フランス共和国
  • オランダ王国
  • オーストリア共和国
  • ハンガリー共和国
  • チェコ共和国
  • ドイツ連邦共和国
  • バチカン

伝説の旅ベスト5

  • 第五位:第一次九州遠征(2号線の旅)
    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
  • 第四位:ハワイのんびり旅行
    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
  • 第二位:中欧旅行
    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

« 須磨大探訪(その1:ノスタルジー?須磨海浜水族園) | トップページ | 東京・伊豆・鎌倉の旅(その1:深夜地獄編) »

2008年1月23日 (水)

須磨大探訪(その2:ワンダーランド須磨寺)

須磨海浜水族園に続いて、

珍寺マニア界では非常に有名な須磨寺にやってきた。

といっても、結構名刹なのである。

Img_2968

門をくぐると、いくつか塔頭がある。

なかなか立派な寺である。

しばらく行くと、やっぱりあった。

源平の庭と書いてある。

Img_2969

「熊谷涙をおさえては・・・。」

で、有名な平家物語の一節のシーンである。

一の谷の合戦で平家が壊滅したあと、

年若い平敦盛は敗走途中に熊谷直実に追いつかれる。

一騎打ちの末、敦盛は押さえ込まれる。

敦盛は潔く首をとれと言うが、

敦盛の年が若いことから、直実は首をとるのをためらう。

覚悟を決めて、少年敦盛の首をとるが、その後後悔し、出家したという。

しかし、一の谷の舞台とは言え、なんで寺にこんなモニュメントがあるんだろう?

Img_2970

山門をくぐり、いよいよ須磨寺のメインである。

Img_2971

本堂である。現在の本堂は豊臣秀頼が再建したものらしい。

Img_2972

護摩堂である。このとき布団を干していた。

明治の建物だそうである。

Img_2973

三重塔である。400年前の地震で倒壊したものを

昭和59年に再建したそうだ。

こんなところは、普通の寺なんだけど・・・。

Img_2974

三重塔の近くに敦盛塚がある。

首塚だそうである。

首って、首実検で、総大将のいる鎌倉に送られたのではないのね?

奥の院を示す看板があった。

矢印の方向へ進む。

奥の院へは階段をひたすら上る。

奥の院参道は、参拝者が飽きないように、

十三佛・七福神巡りができるようになっている。

しかし、参拝者は私以外にいない。

じじばばにはこの階段は無理ですな。

階段を上りきると、奥の院があった。

Img_2975

弘法大師が祀られているのだ。

奥の院から降りてきた。

三重塔の近くでこんなものを見つけた。

Img_2976

五猿というらしい。

見ざる、言わざる、聞かざる、怒らざる、見てござる。

???

最後の何?

頭を撫でると、電動で手が動くのだ!

見てござるは、双眼鏡で何かを覗き見るのだ。

本堂の近くにある大木の残骸を何気なく見てみると、

義経腰掛松と書いてある。

ちなみに手前の池は、敦盛首洗い池といい、

ここで、義経がここで腰をかけて、首実検したらしい。

それはすごい遺物だ!

池が妙に新しそうだが、大切にされてるから、

きっと改修されたのだろう。

Img_2977

宝物館とやらに行ってみた。

小石人形舎なるものがあり、

小石人形がからくりで源平合戦を演じるのだ。

あまりのくだらなさに、思わず見とれた。

弁慶の鐘なるものがあった。

一の谷の合戦の際、

弁慶が近くの寺から鐘をペチって、

陣鐘としたらしい。

Img_2978

さすが弁慶である。

源平の庭の奥で

「ぶじかえる」に

見送られながら帰った。

« 須磨大探訪(その1:ノスタルジー?須磨海浜水族園) | トップページ | 東京・伊豆・鎌倉の旅(その1:深夜地獄編) »

兵庫県」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。