ミステリアス高野山探検記(その3:奥の院ワンダーロード)
いよいよ奥の院に突入する。
奥の院の入り口までは結構距離がある。
しかし、近くの駐車場がおそらく満車であろうという予測から、
徒歩で行く。
私一人なら当然のことだが、両親が歩いていくと言ったことは、驚いた。
てくてく歩く。
途中のじじばばをごぼう抜きし、奥の院の入り口までやってきた。
奥の院に行くには、二つのルートがある。
一つはこれから行く戦国マニアコース、
もう一つは企業広告コースである。
企業広告コースは今回も見学したのだが、
ここで紹介するには不適切と考える。
まあ、殺虫剤メーカーが害虫の供養塔を建てたりと、
そんなノリである。
面白いと言えば、面白いが、聖地を汚されたような嫌な気分にもなる。
今回は戦国マニアコースである。
どういうことか言うと、戦国時代の大名の墓が乱立しているのだ。
戦国ではないが、入り口で早速見つけた。
往年の映画スターである。
さあ、戦国時代に突入である。
数え切れないほどあるので、今回は有名どころだけ。
まずは、この間まで、大河ドラマでやってた武田信玄と勝頼の墓。
次は軍神上杉謙信の廟。
ちなみに私は謙信派である。
特に柿崎がよろしい。
次は独眼竜こと伊達政宗である。
今度は、関が原の敗将石田光成である。
次は、本多忠勝である。
私は徳川家の武将では唯一平八郎が好きである。
おそらく戦国最強の武将を考えたら、
この人の名は絶対出てくるのではないだろうか。
出た!権六(柴田勝家)である。
次は、かの有名な?
高麗陣敵味方敵味方戦死者供養碑である。
これは豊臣秀吉の朝鮮出兵ののち、
島津義弘が敵味方両方の供養のため建立したものである。
その存在を知ったときから、見たかったものだ。
感動した。
次は戦国武将ではない。
法然上人の墓である。
ご存知浄土宗の開祖である。
次は結城秀康廟である。
これはすごい!何度見ても圧巻である。
結城は徳川家康の次男であるが、
結城家を継いだため、徳川家廟(高野山の別のところにある)
には、入っていないのだ。その代わり、でかい廟が立っているのだろうか?
次は豊臣家の墓である。
当然秀吉も入っている。
やはりでかい。
次は織田信長である。
彼の墓は比較的近年発見された。
他の大物と比べて小さいのは、
やはり比叡山焼き討ちなどの宗教弾圧を行ったせいか?
当時の宗教団体は腐ってたので、滅ぼされて当然とも思えるけどね。
ちなみに隣は奈良の大名筒井順慶である。
これは、筒井が信長の墓を建てたということか?
筒井はかつて大和を治めていたが、
三好党に盗られ、その後は織田家家臣となった
松永弾正に大和を盗られていた。
松永が信貴山で爆死?した後、
信長の取り計らいで、大和の国主に返り咲いたのだ。
その辺で恩義があるのだろうか?
もう忠臣蔵のシーズンは終わりましたが・・・。
最後は、浄土真宗開祖の親鸞聖人である。
いよいよ墓めぐりを終え、奥の院に入る。
手前に川があり、ここからは撮影禁止なのである。
次回は深く潜入する。
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