ミステリアス高野山探検記(その5:大伽藍及び大門)
奥の院入り口まで戻ってきた。
さすがに両親とも疲れているので、
そばのお土産屋さんで休んでもらうことにして、
私は金剛峰寺前の駐車場まで車を取りに戻った。
やはりじじばばをごぼう抜きである。
それどころか追い抜いた人がびびるほどの速度で歩いた。
途中に刈萱堂があった。
石童丸物語という説話がある。
刈萱道心というお坊さんとその息子石童丸の悲しいお話である。
その親子がともに修行した場と伝えられている。
以前、高野山に来たときに見学したが、
怪しげな石童丸物語の絵が並んでいたと記憶する。
ふもとの橋本にも刈萱堂があるらしく、
ここには人魚のミイラがある。
一度訪れたい。
とにかく今回は刈萱堂はスルーした。
てくてく歩く。
途中で高野豆腐を購入し、駐車場まで戻り、
両親を迎えにいった。
両親を乗せ、帰路に着く。
金剛峰寺を過ぎると、伽藍があった。
どうやらここも金剛峰寺の一部らしい。
3回目にして、ここは初めてきたぞ!
金堂である。何回も消失したので、あいにく昭和7年の建物である。
御影堂である。江戸時代の建物である。
西塔である。東塔もあるが昭和59年に建てたそうで新しい。
不動堂である。なんとこれは国宝なのである。
高野山で現存する最古の建物で、
鎌倉時代初期のものである。
今までこれを見ていなかったとは、
痛恨の極みである。
この度派手な塔は根本大塔である。
昭和12年に立ったらしい。
再び車に乗り込み、
今度は、大門に向かう。
大門は江戸時代の建立である。
真ん中で直立不動でポーズをとっているのは、
見知らぬご婦人である。
撮影のときはまったく気づかなかったのだが・・・。
フレームに入ってきやがった。
とくと見よ!この鋼の体!
大門を見たら、高野山を下りていった。
順調に高速を飛ばし、帰る。
阪和道から湾岸線に入るところで、
親父が勘違いして、入れなかった。
松原線にはいっちまった。
関西以外の人にはイメージできないだろうが、
とにかくとてつもなく大回りをしているのだ。
なんとか大阪中心部まで戻ってきた。
お母様、左に見えるのは、大阪名物通天閣ですよ。
湾岸線までやっと戻ってきた。
む、むむむ・・・。
あれは!?
なんとフンデルトヴァッサーデザインのごみ処分工場ではないですか!
隣も同じくフンデルトヴァッサーデザインのスラッジセンターである。
こうして母上に大阪観光の双璧を見せることができたので、
結果オーライであった。
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