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    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
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    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
  • 第二位:中欧旅行
    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

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2008年1月

2008年1月31日 (木)

絶景!阿蘇名水巡り(その1:月廻り公園)

平成20年1月13日

阿蘇で遊ぼう!

そんなくだらない駄洒落を考えながら、

きゃぷてんとうっちょを連行し、阿蘇に遊びに来た。

うっちょは大学生活を熊本で過ごしたこともあり、

阿蘇LOVEなのである。

ちなみに私も何回か来たことがあるが、

きゃぷてんは初めての阿蘇だったらしい。

マキシマム・ザ・ホルモンをかき鳴らしながら、

阿蘇までドライブである。

初めに訪れたところは、月廻り公園である。

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すごい!絶景である。

ここで、うっちょがこんなものを見つけた。

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バスの時刻表である。

一日に三本しかない。

これもある意味すごい!

うっちょは、何故か鼻高々だった。

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正面のてっぺんがギザギザの山は根子岳のようだ。

こういうダイナミックな風景が阿蘇の魅力である。

200万年前に大火山「四阿火山」が大噴火により、

山頂の大部分を失った。その外輪山の一つが、

この根子岳である。だから、てっぺんがギザギザなのでしょうな。

それにしても想像を絶する話だ。

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ん!?なんかいる。

ヤギか?

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この公園にはグラススキー場もある。

しかし、このまま勢いよく滑り落ちると、奥の泥田に落ちそうですな。

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そのとおり!

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公園内にある月廻り温泉に入った。

この温泉の露天は、なんと阿蘇のダイナミックな山々を見ながら、

くつろげるのである。

当たり前か・・・!

きゃぷてんとうっちょと漢(おとこ)について語り合った。

ほっこりして、一足先にでて、二人を待っていると、

眠くなってきた。

水分補給のため、アク○リを注入。

きゃぷてん曰く、ポ○リはクールだが、

アク○リはクールじゃないそうだ。

再び、公園内の芝生を歩いていると、

さっき遠くにいたヤギが上がってきていた。

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私は、子供のころ、富士山の裾野で

野生の雄山羊様に背中を突かれた苦い思い出がある。

そういうことを差し引いても、私的にはヤギはノンクールだ。

2008年1月30日 (水)

東京・伊豆・鎌倉の旅(その11:東京終焉驚愕編)

鎌倉から東京まで戻ってきた。

待ち合わせの地は、浅草雷門前だ。

そういえば、昨年の日光・尾瀬の旅でも浅草から日光へ行ったんだっけ?

何だか縁のある土地だ。


浅草駅を降りると、浅草名物金のう○こを見ながら、

雷門までやってきた。

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左右に風神・雷神を配置していることから、

正式には、風雷神門というらしい。

知らなかった・・・。

しかも、あの大提灯は松下電器寄贈らしい。

まだ、他のメンバーは来ていない。

せっかくだから、金龍山浅草寺にお参りすることにする。

参道の仲見世通りは、いつもどおり活気がある。

昔来たときは、ここで舟和の芋ようかんを買った。

私はあの芋芋しいところが大好きなのである。

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宝蔵門に到着した。

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門の上層は、お宝が所蔵されているらしい。

これも某実業家が建立したらしい。

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宝蔵門を抜けると、いよいよ浅草寺の本堂が見えた。

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禿げ散らかさないよう、頭をいぶした。

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ご本尊は、秘仏なのである。

長い間、誰も見たことがなかったので、

存在しないという噂があったが、

明治時代に確認されているそうな・・・。

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天井には龍がいる。

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五重塔である。

そうこうしていると、電話があった。

皆だいたい待ち合わせ場所に着いたようだ。

雷門まで戻った。

しばらくすると、全員そろった。

ちなみに、JINとくっぺちゃんは謎の東京観光を、

O氏はマニアックに趣味の万年筆を物色、

きよしは大井で夢を買っていたようだ。

全員そろったところで移動した。

吉原近くの馬肉料理の老舗、中江で、

最後の晩餐を楽しんだ。

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かなりうまかったが、

かなり高かった。

予想以上で痛かった・・・。

同じ値段を出すなら、牛肉が食べたかった・・・。

最後の晩餐を楽しんで、

羽田空港までやってきた。

ここから神戸空港まで一っ飛びである。

昨年の日光・尾瀬の旅では、ぎりぎりになり、

かなり焦ったが、

今回は時間に余裕がある。

悠々と歩いていると・・・。

ん?

何かおかしい・・・。

ここでJINの痛恨のエラーが発覚した。

そもそも飛行機の時間を間違えていたのだ。

おかげ、今年も羽田を走る羽目になった。

しかし、何とか間に合い、

無事帰路に着くことができたのだった。

東京・伊豆・鎌倉の旅(その10:円覚寺豪華絢爛編)

鎌倉五山第二位瑞鹿山円覚寺にやってきた。

ここは、北鎌倉の駅のすぐ近くである。

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ぎーさんとの待ち合わせ時間が迫っている。

かなり猛スピードで見学することにした。

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最後の力を振り絞り、石段を上ると、

総門が見えてきた。

総門をくぐると、三門がある。

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なかなか立派である。江戸時代中期のものらしい。

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仏殿である。昭和39年の再建されたらしい。

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仏殿には、ご本尊の宝冠釈迦如来が祀られている。

普通、如来とは、悟りを開き、解脱しているので、

物欲などの欲望などから開放された存在である。

したがって、着飾らず、質素な格好をしているものだ。

反対に菩薩はまだ修行中の身なので、

まだ人間らしさを残している。だから着飾っているのだ。

この宝冠釈迦如来はかなり例外的な存在なのである。

私的には、非常に興味深い。

ゴージャスである。

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庭園もある。

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正続院である。

開山した無学祖元禅師の塔所(たっしょ)だそうだ。

つまり墓地のようなものだ。

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開基廟である。

円覚寺大旦那の北条時宗他が祀られている。

この円覚寺は時宗が元寇戦没者の慰霊と

禅宗の普及のために建立したものだそうだ。

ちなみに、ここの伽藍も建長寺同様に、

三門、仏殿、方丈が一直線に並ぶ。

大まかではあるが、見学を追え、円覚寺を後にした。

北鎌倉から電車に乗り、鎌倉へ戻ると、

待ち合わせ場所でぎーさんと出会った。

いよいよ、フィナーレの地、東京へと出発した。

2008年1月29日 (火)

東京・伊豆・鎌倉の旅(その9:浄智寺探検未遂編)

建長寺を後にし、さらに北鎌倉を歩く。

何しろリングの上は40度あるので、意識が朦朧とする。

濡らした手ぬぐいも乾いてきた。


半分朦朧としながら、

鎌倉五山第四位の金宝山浄智寺に着いた。

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石段を少し登る。しんどいが日陰なので熱射病は軽減された。

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中国風の楼門がお出迎えである。

中に入ると、いきなり仏殿が現れた。

仏殿は曇華殿というらしい。

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本尊は三世仏で、左から阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒菩薩らしい。

過去仏、現世仏、未来仏の代表的な仏である。

仏教用語なので、意味がわからなければ、調べてくれ。

用は、阿弥陀はとっくに仏になってて、釈迦は最近なった。

弥勒はこれから仏になるということかな?

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いろいろ散策していると、ところどころに穴ぼこがある。

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なんだろう?と思いつつ、無視して、去った。

後で調べると、

なんか布袋様とか観音様とかが祀られているようですな。

今度行くときは、川口探検隊のようにカメラさんの後から行くことにしよう。

浄智寺を後にした。

2008年1月28日 (月)

東京・伊豆・鎌倉の旅(その8:建長寺後悔編)

鶴岡八幡宮を後にし、鎌倉五山第一位の建長寺へ行く。


途中で、円応寺に寄った。

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何の変哲もなさそうなお寺に見えるが・・・。

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そのとき、私の妖怪アンテナが電波を受信したのだ!

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悪い子はいねぇーがぁー!

ここ円応寺の本尊は、なんと閻魔大王なのである。

しかも運慶の作品とされ、重要文化財になっている。

すごい迫力だ。

閻魔様に興奮を覚えつつ、改めて建長寺に向かう。

気温はますます上昇している。

まさにリングの上は40度を越えただろう!

いよいよ巨福山建長寺に着いた。

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ここ建長寺は臨済宗のお寺で、

蘭渓道隆が開山したそうだ。

ちなみに建長寺を建てる資金を調達する名目で、

元と交易したエピソードもある。

日本史の授業で出てくる建長寺船というやつですな。

いきなりでっかい三門が現れた。

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この梵鐘はなんと国宝らしい!

よくわからんが、すげぇ!

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仏殿である。

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建長寺の本尊はなんと地蔵菩薩である。

珍しい。

私はお地蔵様が本尊という寺は初めてである。

しかし、なんとも雰囲気のある仏像だ。

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手前が仏殿で、奥が法堂である。

さらに奥には方丈があり、

三門、仏殿、法堂、方丈が一直線で並ぶ伽藍は、

禅宗に特徴的なものだ。

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法堂の内部である。

手前のお釈迦様は、世界史でおなじみの

苦行中の釈迦の姿で、本物はパキスタンにある。

奥が千手観音である。

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天井は禅寺ではおなじみの竜である。

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次は、方丈を見学する。

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方丈は別名竜王殿というらしい。

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裏手には庭園がある。

建長寺はこれで全て見たと思っていたが、

私としたことが、半僧坊に行くのを忘れていた。

半増坊への道のりは、天狗さんがお出迎えしてくれる

メルヘンな世界だったようだ。

次に来たときは、絶対見るぞ!

大きな課題を残しながらも、建長寺を後にした。

2008年1月27日 (日)

東京・伊豆・鎌倉の旅(その7:鶴岡八幡宮猛暑編)

宿をでて、三島駅まで戻ってきた。

ここから新幹線に乗り、自由行動となった。


私とぎーさんは、鎌倉に行った。


鎌倉に到着した。ぎーさんと待ち合わせ場所と時間を打ち合わせ、

別々に行動することにした。

なお、ぎーさんは甘いものを食べるらしい。


私は、まず鶴岡八幡宮に行った。

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駅を出ると、すぐに鳥居がある。

ここからは少し歩く。

例のごとく、私は猛スピードで歩き、じじばばを抜いていった。

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太鼓橋を渡ると、もう少しである。

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舞殿である。ここで静御前が舞を踊ったという伝説があるらしい。

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長い階段を上ると、いよいよ本殿である。

しかし、今日も暑い。

リングの上は、40度を越えるだろう。

私は、持参の手ぬぐいを濡らし、首に巻いた。

これで熱射病は避けられるが、どうにも怪しい。

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本殿前で女性旅行者に写真をお願いしたが、

私って、周りから見ると、かなり変な人のような・・・。

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賽銭箱まで投げてもネットでさえぎられるので、

無事箱にインするのである。

この辺は、西宮神社のえべっさんと同じにおいがする。

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この物体はなんだろう?

鶴岡八幡宮はまだまだ見所があるとみたが、

時間がないので、次へと進んだ。

いざ、北鎌倉に向けて歩いた。

東京・伊豆・鎌倉の旅(その6:御宿芸術編)

今晩の宿は、吉奈温泉の御宿さか屋である。


いつもどおり、めいっぱい観光をしたので、

着いた時点で、既に暗くなっていた。


ご飯までの間に、時間があったので、

お風呂に入った。


ここはお風呂に凝っていて、

いくつものお風呂に入ることができる。


はじめに入ったお風呂は薄暗くて、なかなか趣向の凝ったお風呂であった。


ここまでで、すっかり汗臭くなっていたので、さっぱりした。


お風呂から上がると、すぐにご飯である。


次から次へと出てくる料理を皆ものすごい勢いで消費していく。

あまりのすごさにふくよかな若女将?がびっくりしていた。


私などはご飯を5杯おかわりした。


最近、めっきり食べる量が減ったと言えど、

皆さすがである。

昔、大阪最大のコリアンタウン鶴橋で焼肉を食べたときには、

「メニューの端からとりあえず、2人前ずつもってきて!」

と注文したものだ。

さらに追加も・・・。


それはさておき、本題に戻る。


コースを食べつくすと、女将が見かねて、

「あまりものでよかったら・・・。」

と料理を持ってきてくれた。


ありがたく頂戴した。


さすがに腹いっぱいになると、部屋に戻り、

軽く酒盛りだ。

ここは元造り酒屋だったらしく、部屋にオリジナルの酒が置いてある。


晩酌に預かり、ほろ酔いになる。


りんかーんを見ていると、

私の携帯がなった。

友人の白石先生である。

「9月1日に広島に野球を見に行かないか?」

このお誘いが後に大事件になるのは、

我が旅日記の愛読者ならば、ご存知であろう・・・。


りんかーんの最後のほうになると、

きよしがものすごく邪魔になるところで寝てしまった。

私の枕元を牛耳るように・・・。


しばらくすると、きよしも定位置に戻った。


そして、もう一度お風呂に行った。

今度は大浴場である。

さか屋は、故岡本太郎氏が常宿としていたようで、

彼の作品群が多くある。

なんと、このお風呂にも妙な物体が・・・。

太郎イズム満載なのである。


お風呂から上がると、さすがに疲れていたので、

爆睡した。


翌朝、早朝にお風呂に入り、

朝からもりもりと朝食を取り、

宿を後にした。

東京・伊豆・鎌倉の旅(その5:天城魑魅魍魎編)

天城方面に車を走らす。

今回の運転は私だ。


天城越えを敢行し、河津にやってきた。

途中に、河津七滝ループ橋というふざけた橋を渡る。

らせん状になっており、ぐりぐりと三半規管を破壊するように下っていくのだ。


半分酔いながら、到着したのは、

河津七滝である。

七滝は「ななだる」と読む。

文字通り、渓流に七つの滝があるらしい。


今回は時間がないので、はじめのほうの数箇所だけ見学した。

滝を見る前に、七滝茶屋なる喫茶店で凍ったイチゴを食った。

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冷たすっぱかった。


まず見たのは、大滝である。

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高低差30mで、七滝中最大の滝である。

もっとも昨年は華厳の滝を見ているので、

それにくらべれば、ちんけだ。

温泉旅館の私有地のようなところを通っていかねばならず、

あまり落ち着いて見れるという雰囲気はなかった。

温泉客が水着でうろうろしていた。

他の滝を見に出かけた。

こんなものを発見!

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顔色悪い・・・。

初景滝に来た。

ここにも・・・。

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途中で蛇滝やカニ滝を見たが、

どれが滝なのか、わからないほどのしょぼさであった。

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出会滝である。画像では、よくわからないが、

二つの滝が途中で出会うからつけられた名である。

しかし、ここは非常に涼しかった。

汗で濡れていたので、体温が奪われ、寒いくらいだった。

河津七滝を後にし、来た道を戻る。

途中で脇道にそれ、旧天城トンネルに行った。

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周りには我々以外、誰もいない。

何か出てきそうな雰囲気である。

まもなく日没となるような時間になってきた。

そんな中は、私は一人でトンネルに入った。

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しばらくすると、ぎーさんときよし以外がやってきた。

二人は車で待機するらしい。

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暗い・・・。

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明かりはこんな感じである。

しゃべると、反響して面白い。

しばらくすると、出口が見えた。

携帯できよしを呼ぶ。

車でここまで来るよう依頼した。

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ごぉーっと、すさまじい音がする。

かなり遠くにいるのに、近くに感じる。

気味が悪いものだ。

出口を出ると、こんなものがあった。

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なんてぶさいくな・・・。

旧天城トンネルは、明治38年に開通している。

平成13年に道路トンネルとして、初めて重要文化財に指定されている。

旧天城トンネルを今度は車に乗って、通過した。

狭い・・・。

次は、浄蓮の滝である。

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大滝よりこちらのほうが、ずっといい。

また、わさび田があった。

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そして、こんなものも・・・。

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さすが、石川さゆりである。

浄蓮の滝を見て、入り口まで戻ると、またあった。

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結局、天城越えルートは、

最後まで顔色の悪い踊り子に悩まされたのだった。

もうかなり暗くなった。

いよいよ宿に向かうことになった。

2008年1月25日 (金)

東京・伊豆・鎌倉の旅(その4:修善寺陽炎編)

JINが運転する車の助手席でうとうとしていたら、

修善寺に着いた。


駐車場に車を止めると、まずは修善寺に行った。

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ここは修善寺温泉発祥の寺であり、

弘法大師が開基したといわれている。

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ここは、源範頼と源頼家が幽閉・暗殺された土地として、

名高い。

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修善寺であるが、特に語ることもない。

特に珍寺というわけでもなく、特に見所があると言うこともなかった。

いい寺なのだがね。

川を渡り、指月殿に行った。

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源頼家の菩提を弔うために北条政子が建立した経堂である。

伊豆最古の建物とあって、ものすごく雰囲気がある。

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鎌倉時代の釈迦如来像である。雰囲気のある仏像だ。

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まいど!

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ポージングがジョジョ?

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指月殿の隣には、第二代将軍源頼家の墓がある。

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川を再び渡り、日枝神社に行く。

かつて修善寺の鎮守だったらしい。

それから、川岸にある独鈷の湯に行った。

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修善寺温泉発祥の湯であるらしい。

弘法大師様が独鈷杵で川をチェストーっと、叩き割ると、

そこから温泉が湧いたらしい。

さすが、スーパースターである。

独鈷の湯は、足湯しかできない。

早速、浸かってみた。

熱っ!?

これは、熱い。

熱すぎる。

今まで最も熱かったのは、別府竹瓦温泉であったが、

これはそれを大きく上回った。

とにかく足がつけられない。

そんな中、漢きよしが足付けに成功した。

これに続いて、私もくっぺちゃんも、JINもO氏もみなぞくぞくと入った。

ここからは意地の張り合いである。

全員足を真っ赤にして、何故か半笑いであった。

とにかくこの勝負は男の中の男を決める戦いなのである。

が、勝負はうやむやのうちに終了した。

そうこうしていると、持病の腹痛で

トイレに行っていたぎーさんがやってきた。

ぎーさんは足をつけると、飛び上がり、のた打ち回った。

それははかなく消え行く陽炎のように、燃え尽きたのだ。

修善寺を後にし、天城方面に向かった。

東京・伊豆・鎌倉の旅(その3:三島湧水清涼編)

三島に着いた。

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三島一帯は富士山からの湧き水が

いたるところから湧いている。


しかし、とてつもなく熱い。おまけに眠い。

吐きそうである。


とりあえず、駅から近い楽寿園に行く。

ここは小松宮親王の別邸だった庭園らしい。

湧水を巧みに取り込んだ雅な庭園なのである。

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あいにく渇水だったようだ。

この公園には、田舎臭い遊園地やちんけな動物園もある。

期待はずれであった。

次は、伊豆国一宮である三嶋大社に行く。

当然、徒歩である。

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途中の水路がとてもきれいだった。

水草はおそらく梅花藻である。

きれいなところしか生えないのである。

三嶋大社に着いた。

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これは舞殿である。

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御殿という。本殿と幣殿と拝殿が合体しているらしい。

よくわからん。

でもなんか迫力のある建物である。

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中はこんな感じである。

三嶋大社の日陰は非常に涼しかった。

それにしても今日は暑い。

昨日の晩から、お風呂に入ってないので、

我々の体はかなり汗臭くなっているはずである。

みなかなりグロッキーである。ぎーさんのオツムなどは実に痛々しかった・・・。

しばらく涼をとって、駅に戻った。

駅から電話をして、レンタカーを借りる。

レンタカーショップまでは、少し遠いので、迎えに来てくれるらしい。

・・・。なかなかこない。

まさか?あれ?

なんと電話で伝えたにもかかわらず、

我々6人に対して、ヴィッツが一台来た。

レンタカー屋の親父はあわてて、もう一台呼んだ。

あまりの暑さで、ぼけたのでしょう。

気を取り直し、レンタカーで出発である。

次は、私のあこがれの地である、柿田川湧水群である。

小学校ぐらいのときにその存在を知って以来、行きたかった場所である。

そして、それは突然、国道1号線沿いに現れた。

噂どおりである。

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このあたりは、公園になっている。

至る所から湧き水が湧いている。

早速、一番近い展望台に行った。

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左側に湧出孔がある。

このほかにも、いろんなところから湧いていた。

別の展望台では・・・。

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これは美しい。

まさにブルーホールである。

なかにはマスらしき魚も泳いでいた。

こんなきれいな水、飲んでみたい・・・。

でも柵に覆われていたので、断念した。

公園内の蕎麦屋で昼食をとった。

あまり美味くない蕎麦であった。

むしろその後食ったアイスのほうが美味かった。

車に乗り込み、次の目的地、修善寺に向かった。

2008年1月24日 (木)

東京・伊豆・鎌倉の旅(その2:築地異文化交流編)

8月14日早朝


地獄のムーンライトから解放された。


東京での朝食は築地市場に行こうということになった。

初めての築地である。


早朝とはいえ、既にせりは終わっていた。

今度来るときは、是非せりを見学したいものだ。


築地はかなり広く。

何より外国人観光客が多いのに、驚いた。

そこらじゅうを撮りまくるおのぼり外国人のように写真撮影してみた。

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しかし、築地は狭い道を

謎の一人用の車が猛スピードで走り抜ける恐ろしい所である。

外国人観光客はその車に轢かれそうになりながら、

必死でシャッターを押していた。

築地で寿司を食べた。

確かにうまい。

初めて、職人さんが目の前で握ってくれるカウンターの店で食った。

微妙に生ぬるかった。

非常に高い朝食であった。

店が狭く、全員入れなかったので、

いれかわり食べることになった。

先に食事を終え、外で待っていると、

きよしが妙な外人を見つけた。

見るからにひんそな外人が、

寿司屋に入りたいが、なかなか入れない姿である。

同じところを何回も往復して、

「どうしようかなあ・・・。入ろうかなあ・・・。」

という感じで悩んでいる。

一度入りかけたが、あいにく満席で追い出されていた。

それでも一人で入ろうとしている。

勇気があるんだが、ないんだか・・・(-_-)。

また、日本人のご婦人があまりの暑さに耐えられず、

Tシャツの襟口からタオルを入れて、

胸の谷間を拭うあられもない姿も目撃したそうだ。

築地を後にし、東京駅に行った。

これから東海道本線で伊豆は三島に行くのである。

電車に乗り込み、発車を待っていると、

台湾人らしき男性が片言の日本語で、

この列車が横浜に行くかどうかを聞いてきた。

誰もが、そりゃ着くやろと思い、着くと答えようとした

まさにそのとき、

「行きません!」

と、きっぱり答えた暴君がいた。

JINである。勘違いしやがって・・・。

結局、みんなにぼろくそに言われ、

台湾人?男性に訂正していた。

電車であまりの眠気に耐えられず、

うとうとしていると、三島に着いた。

東京・伊豆・鎌倉の旅(その1:深夜地獄編)

平成19年8月13日から15日に東京・伊豆・鎌倉の旅に出た。


8月13日夜

JR三宮駅にすごい奴らがやってきた。

私、ぎーさん、くっぺちゃん、O氏、JIN、きよしの6人である。

私設総合レクリエーションサークルである”さんぽ会”の

ほぼフルメンバーである。


このメンバーで旅行に出るのは、

1999年夏の北陸日帰り旅行以来、

とまりと言うと、

1996年春の和歌山旅行以来なのである。


とにかく、メンバー全員で旅行するというのは、

実に意義深い。

さんぽ会会長の私としても偉大な業績となった。


これから、夜行列車で東京に向かうのである。


三宮から米原へは、

JR九州の特急より速い?新快速でいく。

関西にいたときは、よく利用したものだ。

しばらくすると、真夏の熱帯夜にやられ、気持ち悪くなった。

軽く熱射病である。

朦朧としながら米原に着く。

相変わらず、何にもない駅である。


米原から大垣まで普通電車である。


大垣からはムーンライトながらに乗り込み、

品川へと向かうのである。


大垣を出て、しばらくすると、

地獄のアナウンスが入った。

「・・・。なお、この列車は消灯しません。・・・」

殺意を覚えた。

おそらく、東京行き深夜バスで、

「なおこの停車は乗務員の休憩のためのものです。

ご乗客の皆様はお降りできません。」

くらいの殺意である。


案の定、眠れない。

おまけに通路をばたばた歩き回る乗客がいる。

最悪である。


全く眠れないまま早朝に品川に着いた。

2008年1月23日 (水)

須磨大探訪(その2:ワンダーランド須磨寺)

須磨海浜水族園に続いて、

珍寺マニア界では非常に有名な須磨寺にやってきた。

といっても、結構名刹なのである。

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門をくぐると、いくつか塔頭がある。

なかなか立派な寺である。

しばらく行くと、やっぱりあった。

源平の庭と書いてある。

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「熊谷涙をおさえては・・・。」

で、有名な平家物語の一節のシーンである。

一の谷の合戦で平家が壊滅したあと、

年若い平敦盛は敗走途中に熊谷直実に追いつかれる。

一騎打ちの末、敦盛は押さえ込まれる。

敦盛は潔く首をとれと言うが、

敦盛の年が若いことから、直実は首をとるのをためらう。

覚悟を決めて、少年敦盛の首をとるが、その後後悔し、出家したという。

しかし、一の谷の舞台とは言え、なんで寺にこんなモニュメントがあるんだろう?

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山門をくぐり、いよいよ須磨寺のメインである。

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本堂である。現在の本堂は豊臣秀頼が再建したものらしい。

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護摩堂である。このとき布団を干していた。

明治の建物だそうである。

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三重塔である。400年前の地震で倒壊したものを

昭和59年に再建したそうだ。

こんなところは、普通の寺なんだけど・・・。

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三重塔の近くに敦盛塚がある。

首塚だそうである。

首って、首実検で、総大将のいる鎌倉に送られたのではないのね?

奥の院を示す看板があった。

矢印の方向へ進む。

奥の院へは階段をひたすら上る。

奥の院参道は、参拝者が飽きないように、

十三佛・七福神巡りができるようになっている。

しかし、参拝者は私以外にいない。

じじばばにはこの階段は無理ですな。

階段を上りきると、奥の院があった。

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弘法大師が祀られているのだ。

奥の院から降りてきた。

三重塔の近くでこんなものを見つけた。

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五猿というらしい。

見ざる、言わざる、聞かざる、怒らざる、見てござる。

???

最後の何?

頭を撫でると、電動で手が動くのだ!

見てござるは、双眼鏡で何かを覗き見るのだ。

本堂の近くにある大木の残骸を何気なく見てみると、

義経腰掛松と書いてある。

ちなみに手前の池は、敦盛首洗い池といい、

ここで、義経がここで腰をかけて、首実検したらしい。

それはすごい遺物だ!

池が妙に新しそうだが、大切にされてるから、

きっと改修されたのだろう。

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宝物館とやらに行ってみた。

小石人形舎なるものがあり、

小石人形がからくりで源平合戦を演じるのだ。

あまりのくだらなさに、思わず見とれた。

弁慶の鐘なるものがあった。

一の谷の合戦の際、

弁慶が近くの寺から鐘をペチって、

陣鐘としたらしい。

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さすが弁慶である。

源平の庭の奥で

「ぶじかえる」に

見送られながら帰った。

2008年1月22日 (火)

須磨大探訪(その1:ノスタルジー?須磨海浜水族園)

平成19年9月26日


今日は平安時代から源平合戦に至るまで、

数々の逸話を持つ神戸市の須磨にやってきた。


昔はここに須磨の関所があり、ここまでが畿内であった。

そこより西は野蛮人の住む地と京のお公家さんは思っていたのだ。


だから、そこより先に赴任することは、

とんでもないところに左遷させられるということだったのだ。


また、ここは源平合戦の一の谷の合戦の舞台である。

今でも鵯越という地名があるが、当時とは違うところらしい。


それはさておき、今日は須磨海浜水族園と須磨寺を巡る。


須磨水族園は、私が子供の頃にリニューアルオープンし、

水族館から水族園になり、規模を拡大した。

その後の大型水族館ブームの魁になったという。


といっても、今は老朽化している。

私自身、おそらく小学校以来なので、どきどきして入った。

料金は1,300円で水族館としてはリーズナブルだが、

水族館時代は数百円だったので、不満はある。


まず入ると、波の大水槽である。

これが開園当時は衝撃だったのである。

当時はこんなでかい水槽を持ち、

なおかつ人工の波まで発生させていた水族館はほとんどなかったと思う。

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小学校の頃は馬鹿でかいと思っていたが、

今見ると、結構小さかった。

そしてコンクリートむき出しで、なんとも殺風景だ。

見学していくと、かなり汚い。

やはり老朽化している。逆に言えば、昔のままでノスタルジックだ。

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ノコギリエイの標本である。

これは水族館時代からの遺物で、私にとって、

非常に懐かしい代物である。

なお、標本の下には鏡がしこんであり、

エイの口元が観察できるようになっている。

それにどういう意味があるのかは不明であるが、

昔からそうなっている。

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ピラニアのトンネルである。

これも開園当時話題になった。

トンネル型水槽でピラニアの群れを展示し、

肉を食わせたりしてたものだから、

当時のお子様はキャーキャー悲鳴を上げたものだ。

私の家ではピラニアを飼っていたこともあるので、

私は別になんとも感じなかったが・・・。

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このロングノーズガーはなんと同い年の30歳である。

昭和52年生まれで、福留や斉藤和美、あるいはサッカーの

柳沢、歌手の安室などと同じ世代である。

このガーも水族館時代からの遺物で非常に懐かしい!

薀蓄:

ガーとは北米に住む、ワニに似た魚で化石魚類の名残を残すので、

古代魚の一つである。

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池田湖のオオウナギである。

先週池田湖に行ったばかりであるので、興奮した。

数年前にできたアマゾン館に行った。

なかなかきれいで、よかった。

ピラルクが優雅に泳いでいる。

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大きな水槽の中にトンネルがあり、

いろんな角度から観察できる。

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ピラルクの腹である。

隅っこにアマゾンの人食いナマズといわれるジャウーがいた。

本当に人を食うのかはわからないが、

最大3mになり、とてつもなくパワフルらしい。

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こちらは世界最大級のナマズであるピライーバである。

全長5mになるという噂だ。

左下は淡水エイのポルカドットスティングレーである。

昔、これが熱帯魚ショップに出回ったとき、非常にほしかった代物である。

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アマゾン館を出て、ラッコ館に行ってみた。

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相変わらず、眠そうである。

昔、ラッコといういつも寝てばかり、贅沢なものばかり食う

生き物が嫌いだった。

今ではそうでもないが、別にこれが愛らしいとも思わない。

海に浮いとーイタチやん!

水族園の見学を終え、外に出ると、

ちょうど修学旅行生がやってきた。

出雲中学・・・。

なんで!?

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次回はワンダーランドを散策する。

2008年1月21日 (月)

比叡山探検記(その3:横川)

横川に着いた。

横川はよかわと読む。

明らかに人が少ない。


途中、比叡山ドライブウェイから奥比叡ドライブウェイに変わり、

また料金を取られた。

割高感は否めない。


駐車場から横川中堂までは、

東塔と同じように、劇画パネルにより、

日蓮上人などの伝記が勉強できる。

横川は源信、親鸞、日蓮、道元などの

仏教界のスターたちが修行した場所なのである。


竜が池という全く竜のすんでいなさそうな

小さな池を過ぎると、

横川中堂が見えてきた。

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こういった舞台作りは、清水寺や円教寺に通ずる。

ただし、現在のお堂は昭和46年建立とかなり新しい。

中に入り、お参りし、ぐるぐる見回っていると、

既にJINはご朱印をもらっていた。

これで延暦寺三堂完全制覇である。

続いて、元三大師堂に行った。

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良源(元三大師)の住居跡と伝えられている。

ここには、角大師の護符があり、魔よけとなるのだ。

昔、疫病がはやったとき、

元三大師は座禅しまくった。

やがて、やせ細り、夜叉のようになった。

この姿が角大師であり、この姿を写しとり、

お札としたところ、病魔退散となったとな。

ところで、元三大師はおみくじの祖でもあるらしい。

今の神社などのおみくじとは異なり、

悩み事を言い、坊さんが祈祷しながら、くじを引くと、

答えが出るというものらしい。

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画像の右側は角大師である。

この後、定光院という日蓮ゆかりの寺に行ったが、

山道を延々と歩かされたあげく、

日蓮上人の石像がある以外、たいして面白みのない寺であった。

日蓮上人像なら博多の東公園に馬鹿でかいのがあるのである。

来た道を延々と歩かされて、疲れ果てて帰ってきた。

車に乗り込み、帰路につく。

途中ドライブインでこんなものを見つけた。

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暗いが、伝教大師像である。

でかい。

延暦寺全行程を終えると、すぐに日没となった。

京都で観光&甘いものでも食べようと思っていたが、

予想以上に時間がかかり、断念した。

恐るべし、比叡山であった。

余談:比叡山は山号、延暦寺は寺号です。

比叡山探検記(その2:西塔エリア)

車に乗り込み、西塔エリアにやってきた。

東塔エリアに比べ、明らかに観光客が少ない。

かくいう、私も東塔エリア以外は初めてだ。


はじめに見えてきたのは、苔むした大地である。

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浄土真宗の祖親鸞聖人が修行した場らしい。

ここ延暦寺は数々の経文を所蔵していることから、

仏教界のビッグネームたちが修行の場としたのである。

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一番上が常行堂で二番目が法華堂である。

この二つのお堂は、渡り廊下でつながれており(一番下)、

弁慶がその廊下に肩を入れて担ったという伝説から、

”にない堂”と呼ばれる。

さすが弁慶である。

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西塔エリアの中心的お堂の転法輪堂である。

延暦寺に現存する建物では最古のもので、

桃山時代の建物だそうだ。

三井寺の金堂だったそうだが、豊臣秀吉が

この地に移したらしい。

本尊の釈迦如来にちなみ、釈迦堂とも呼ばれる。

ところでJINはここでもご朱印をもらっていた。

本当は、伝教大師様の廟のある浄土院に行かなければならないのだが、

場所がよくわからず、時間も押していたので、

あきらめた。

車に乗り込み、横川に向かった。

2008年1月19日 (土)

比叡山探検記(その1:東塔エリア)

平成19年9月25日


友人のJINと比叡山に行った。


比叡山には車で行った。

名神高速で京都まで行き、比叡山ドライブウェイで上るわけだが、

JINが大津に用事があると言うので、まず大津に行った。


大津で大雨が降り、今日はだめかと思ったが、

なんとか雨が上がった。


大津まわりで比叡山ドライブウェイを走り、

延暦寺までやってきた。

延暦寺はかなり広大な敷地で、

東塔エリア、西塔エリア、横川に分けられる。


まずは東塔エリアである。


エリアに入ると、しばらく歩くが、通路に面して、

比叡山の歴史が昔チックな絵のパネルで楽しめる。

最後のほうに弁慶がどうのこうのというパネルがあった。


最初にでてくる建物は、大講堂である。

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あいにく改修中で、中には入れなかった。

昔行った記憶では、ここも坊さんの劇画チックなパネルが

かかっていたような・・・。

次にいよいよ根本中堂である。

その名の通り、延暦寺の中心的なお堂である。

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あいにくこの中は、撮影禁止エリアである。

というわけで、入り口から堂々と中を撮ってみました。

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では入る。

中堂まで続く回廊には、何故か地元滋賀の小学生の習字が展示してあった。

いよいよお堂に入る。

薄暗い。

若手の坊さんが解説をしていたので、聞いた。

このお堂はかなり面白い。

仏さんは、さらに薄暗いところにいらっしゃるのだが、

仏さんのいるスペースは参拝者から一段下がっているのである。

仏さんは高いところにいるので、結果的に、

参拝者と仏さんの目線が合うのである。

またここには不滅の法灯というものがあり、

延暦寺創建以来1200年間消えていないらしい。

坊さん、がんばりよるな・・・。

妙に観光客慣れした坊さんの解説をありがたく聞いた。

この怪しげな光景を写真撮影できないのは口惜しい。

根本中堂を出ると、こんなのがあった。

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伝教大師様の童子姿らしい。

しかし、なぜ最澄の子供時代が関係あるのだろう?

その頃、JINはご朱印をもらっていた。

JINはご朱印コレクターなのである。

少しコレクションを見たが、有名どころがわんさかあった。

根本中堂の前には急な階段がある。

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これを上ると、文殊楼である。

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本来これが、根本中堂の正門らしい。

楼に登ったが、階段がせまく急で怖かった。

上には仏像があった。

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戒壇院である。

天台宗では、住職になる際、ここで、

大乗戒という名の規律を受けなければならないらしい。

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阿弥陀堂である。颯爽と歩くお坊様がいけてます。

昭和12年建立らしい。

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東塔である。

東塔などは織田信長に焼き討ちにあっているのだ。

そのためもあり、かなり新しく、昭和52年建立らしい。

東塔エリアを見学し終え、西塔エリアに向かった。

お初天神散策

平成19年9月24日


大阪のお初天神こと露天神社にやってきた。


ここは、近松門左衛門の曽根崎心中の舞台である。

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JR大阪、あるいは阪神・阪急梅田駅から近い大阪キタの中心部にある。

ビルの谷間にあるのだ。

曽根崎心中は、遊女お初と徳兵衛の悲しいお話である。

あらすじはぐぐってくれ。

ロミオとジュリエットのような結ばれぬ恋とは違い、

徳兵衛が身の潔白を証明するため、自殺するのに、

お初が便乗した感じですな。

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かなりしょぼい。

曽根崎心中の舞台という付加価値がなければ、

ただのしょぼ神社である。

私が参拝したすぐ後には、呉服屋の若旦那か落語家のような

和服の男性がお参りしていた。

怪しい・・・。

ここは縁結びでも有名らしい。

女神は現れないかな・・・。

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この像を見るかぎり、お初の容姿はいかがなものか・・・。

徳兵衛は顔色悪いし。

肝臓悪いのかな?

しかし、梅田のど真ん中で異質な空間であった。

そりゃ、若旦那もくるわな。

お初天神を後にし、

阪神梅田のジュースコーナーにある

スペシャルミックスジュースを堪能し、帰った。

2008年1月18日 (金)

ミステリアス高野山探検記(その5:大伽藍及び大門)

  奥の院入り口まで戻ってきた。


さすがに両親とも疲れているので、

そばのお土産屋さんで休んでもらうことにして、

私は金剛峰寺前の駐車場まで車を取りに戻った。


やはりじじばばをごぼう抜きである。

それどころか追い抜いた人がびびるほどの速度で歩いた。


途中に刈萱堂があった。

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石童丸物語という説話がある。

刈萱道心というお坊さんとその息子石童丸の悲しいお話である。

その親子がともに修行した場と伝えられている。

以前、高野山に来たときに見学したが、

怪しげな石童丸物語の絵が並んでいたと記憶する。

ふもとの橋本にも刈萱堂があるらしく、

ここには人魚のミイラがある。

一度訪れたい。

とにかく今回は刈萱堂はスルーした。

てくてく歩く。

途中で高野豆腐を購入し、駐車場まで戻り、

両親を迎えにいった。

両親を乗せ、帰路に着く。

金剛峰寺を過ぎると、伽藍があった。

どうやらここも金剛峰寺の一部らしい。

3回目にして、ここは初めてきたぞ!

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金堂である。何回も消失したので、あいにく昭和7年の建物である。

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御影堂である。江戸時代の建物である。

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西塔である。東塔もあるが昭和59年に建てたそうで新しい。

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不動堂である。なんとこれは国宝なのである。

高野山で現存する最古の建物で、

鎌倉時代初期のものである。

今までこれを見ていなかったとは、

痛恨の極みである。

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この度派手な塔は根本大塔である。

昭和12年に立ったらしい。

再び車に乗り込み、

今度は、大門に向かう。

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大門は江戸時代の建立である。

真ん中で直立不動でポーズをとっているのは、

見知らぬご婦人である。

撮影のときはまったく気づかなかったのだが・・・。

フレームに入ってきやがった。

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とくと見よ!この鋼の体!

大門を見たら、高野山を下りていった。

順調に高速を飛ばし、帰る。

阪和道から湾岸線に入るところで、

親父が勘違いして、入れなかった。

松原線にはいっちまった。

関西以外の人にはイメージできないだろうが、

とにかくとてつもなく大回りをしているのだ。

なんとか大阪中心部まで戻ってきた。

お母様、左に見えるのは、大阪名物通天閣ですよ。

湾岸線までやっと戻ってきた。

む、むむむ・・・。

あれは!?

なんとフンデルトヴァッサーデザインのごみ処分工場ではないですか!

隣も同じくフンデルトヴァッサーデザインのスラッジセンターである。

こうして母上に大阪観光の双璧を見せることができたので、

結果オーライであった。

ミステリアス高野山探検記(その4:奥の院)

さあ、いよいよ奥の院に潜入する。

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ここより先に橋があり、そこからは撮影禁止なのである。

ちなみに手前には、仏さんに水をぶっかける人たちがたむろしている。

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その奥には、水行場がある。

ここで真冬の極寒の中、若い修行僧が水行をするのだ。

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さあ、撮影禁止エリアに突入する。

橋を渡ると、弥勒石というものが祠に祭られている。

祠の四面は格子状になっており、内部はよく見える。

一部に片腕が入る穴があり、そこから手を入れ、

弥勒石を片手で持ち上げると、いいことがあるらしい。

もっともいろいろとぐぐって見たら、どうもデマですな。

真相は触れたらいいらしい。

私も挑戦したが、角度的に力が入らない構造になっており、

無理だった。

ちなみにうちの親父様は見事成功した。

衰えたと言えど、やるねー。

撮影禁止区域にもお墓があるのだが、

一番奥は天皇家の墓がある。

その向かいはなんと、池田勇人元首相の墓なのだ。

うちの親父様ははしゃいでいた。

親父にとっては、池田氏はスーパースターなのである。

子供の頃から、所得倍増計画を教え込まれた。

正直、そこまで絶賛するほどの政策なのかはよくわからない。

名刺受けがある。

しまった。名刺もってくりゃよかった。

最後の階段を上ると、灯篭堂がある。

そこに入ると、かなり怪しげな雰囲気である。

内部は数多くの灯篭が揺らめいているのだ。

いかにも修行場という雰囲気である。

このときも坊さんが、経を読んでいた。

灯篭堂の裏に回ると、弘法大師がおられるお堂がある。

一般には御廟となっているが、今でも生きているのに、

そう言って、いいものか?

そう、弘法大師は生きているのである。

単にお堂にこもっているだけで、今でも食事が運ばれているのだ。

さすが、スーパースターである。

そんなわけないやんとは、考えてはいけない。

とにかく生きているんだってば!

お参りして気づいたのだが、変な連中がいる。

指を組んで、合掌しているのである。

む?異教徒か?

高野山は宗派を超えているとは言うが、

宗教まで超えるとは・・・。

さすがスーパースター。

伊達に、筆を投げつけただけで岩に文字を書いたり、

ジャンプした瞬間に、両手両足に筆を持って文字を書いたり、

そんな荒業をするだけはある。

こうして奥の院を後にした。

ミステリアス高野山探検記(その3:奥の院ワンダーロード)

いよいよ奥の院に突入する。


奥の院の入り口までは結構距離がある。

しかし、近くの駐車場がおそらく満車であろうという予測から、

徒歩で行く。

私一人なら当然のことだが、両親が歩いていくと言ったことは、驚いた。


てくてく歩く。

途中のじじばばをごぼう抜きし、奥の院の入り口までやってきた。

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奥の院に行くには、二つのルートがある。

一つはこれから行く戦国マニアコース、

もう一つは企業広告コースである。

企業広告コースは今回も見学したのだが、

ここで紹介するには不適切と考える。

まあ、殺虫剤メーカーが害虫の供養塔を建てたりと、

そんなノリである。

面白いと言えば、面白いが、聖地を汚されたような嫌な気分にもなる。

今回は戦国マニアコースである。

どういうことか言うと、戦国時代の大名の墓が乱立しているのだ。

戦国ではないが、入り口で早速見つけた。

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往年の映画スターである。

さあ、戦国時代に突入である。

数え切れないほどあるので、今回は有名どころだけ。

まずは、この間まで、大河ドラマでやってた武田信玄と勝頼の墓。

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次は軍神上杉謙信の廟。

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ちなみに私は謙信派である。

特に柿崎がよろしい。

次は独眼竜こと伊達政宗である。

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今度は、関が原の敗将石田光成である。

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次は、本多忠勝である。

私は徳川家の武将では唯一平八郎が好きである。

おそらく戦国最強の武将を考えたら、

この人の名は絶対出てくるのではないだろうか。

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出た!権六(柴田勝家)である。

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次は、かの有名な?

高麗陣敵味方敵味方戦死者供養碑である。

これは豊臣秀吉の朝鮮出兵ののち、

島津義弘が敵味方両方の供養のため建立したものである。

その存在を知ったときから、見たかったものだ。

感動した。

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次は戦国武将ではない。

法然上人の墓である。

ご存知浄土宗の開祖である。

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次は結城秀康廟である。

これはすごい!何度見ても圧巻である。

結城は徳川家康の次男であるが、

結城家を継いだため、徳川家廟(高野山の別のところにある)

には、入っていないのだ。その代わり、でかい廟が立っているのだろうか?

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次は豊臣家の墓である。

当然秀吉も入っている。

やはりでかい。

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次は織田信長である。

彼の墓は比較的近年発見された。

他の大物と比べて小さいのは、

やはり比叡山焼き討ちなどの宗教弾圧を行ったせいか?

当時の宗教団体は腐ってたので、滅ぼされて当然とも思えるけどね。

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ちなみに隣は奈良の大名筒井順慶である。

これは、筒井が信長の墓を建てたということか?

筒井はかつて大和を治めていたが、

三好党に盗られ、その後は織田家家臣となった

松永弾正に大和を盗られていた。

松永が信貴山で爆死?した後、

信長の取り計らいで、大和の国主に返り咲いたのだ。

その辺で恩義があるのだろうか?

もう忠臣蔵のシーズンは終わりましたが・・・。

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最後は、浄土真宗開祖の親鸞聖人である。

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いよいよ墓めぐりを終え、奥の院に入る。

手前に川があり、ここからは撮影禁止なのである。

次回は深く潜入する。

2008年1月17日 (木)

ミステリアス高野山探検記(その2:金剛峰寺)

いよいよ、高野山のメイン?である金剛峰寺である。


ご存知の通り、日本仏教界のスーパースターこと弘法大師が

開いた寺である。


ちなみに高野山金剛峰寺は高野山が山号で金剛峰寺が寺号である。

このワンセットで正式名称なのだ。


金剛峰寺前の駐車場は、無料なのだが、たいていいっぱいである。

無理かと思いつつ行くと、少し待つだけで止めることができた。


高野山は三回目のお参りであるが、毎回わくわくする。

熊野古道の一角として、世界遺産に登録されてからは、

初めての訪問である。

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三門をくぐった。

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相変わらず、どことなく迫力がある。

いよいよ中に潜入する。

見事な襖絵等があるが、あいにくの撮影禁止なので、

画像を納めることができなかった。

しばらく行くと、庭園が現れた。

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かなり大きな枯山水である。

日本最大の石庭だそうだ。

広間のようなところで、お茶とお菓子をいただける。

これはお得なサービスである。

よく見りゃ、隣でおっさんが大の字で寝てやがる。

休憩後、進むと、真然廟なるものが現れた。

真然とは、空海の甥で高野山第二世だそうだ。

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さらに進むと、台所が現れた。

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ここは今でも使われている。

すすが付いたりして、雰囲気がある。

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金剛峰寺の潜入を終え、次回はいよいよ

高野山の真のメイン奥の院を探検する。

ここは知る人ぞ知る魅惑のワンダーランドなのである。

ミステリアス高野山探検記(その1:丹生都比売神社)

平成19年9月23日


夏休みを利用し、実家に帰ったとき、

我が家の宗派が高野山真言宗なのを理由に、

両親と高野山へ行った。


もっとも信仰心というより単純に遊びに行ったのだ。

私はお寺が好きである。

お寺は仏教のテーマパークなのである。


高野山には車で行った。

阪神高速~阪和道~国道24号線と行き、

橋本から高野山へと上っていく。


高野山に上る途中、興味深いものを見つけた。

「世界文化遺産・丹生都比売神社」

思わずハンドルを切った。

この神社の縁起は、次の通りである。

神宮皇后が出兵の際、丹生都比売大神の信託を聞き、

勝利することができたらしい。

それで応神天皇が感謝し、神社を建てたらしい。

またもや神宮皇后である。

西日本の神社の縁起には必ずと言っていいほど、

彼女の名が出てくる。

藤原紀香が結婚式をした神戸の生田神社も

たしか神宮皇后が関係していた。

とにかく参拝する。

かなり古風な神社である。

あまり有名な神社ではないが、

素晴らしい神社である。

ちなみに旧官幣大社だそうだ。

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参拝を終え、お守りを買おうとしたが、

宮司さんがいない。

しかも、千円札が数枚机の上に置いたままである。

なんて、呑気なのだろう・・・。

こんなとこで金盗むやつはいないということか・・・。

いくら待ってもこないので、料金を机の上に置いて、

お守りをとった。

帰り際、宮司さんがいたので、

お守りの御代を置いておいたことを伝えると、

笑顔でありがとうって・・・。

ほんと呑気だ。

まだまだ紀州には、古き良き日本が残っているってことだね。

かなり寄り道したが、いよいよ次回は金剛峰寺である。

2008年1月16日 (水)

戦国ロマン!千畳閣。広島の旅(その7)

千畳閣エリアにやってきた。

千畳閣の隣には、五重塔がそびえ立つ。

室町時代中期建立と伝えられている。

美しいの外部だけでなく、内部も極彩色で、

龍や観音が描かれているらしい。

明治の神仏分離で仏像は、大願寺に移されているらしい。

一般公開されていないので、見れないのが残念だ。

この塔の立つ岡は、厳島合戦で陶軍が陣を敷いたらしい。

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続いて、千畳閣である。

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ここは豊臣秀吉が安国寺恵瓊(えけい)に命じて作らせた大経堂で、

広々とした建物である。

白石先生は安国寺にとても反応していた。

さすがは戦国マニアである。

秀吉がなくなったため、天井もなく、壁もない未完成なままなのである。

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明治の神仏分離で現在は豊国神社となっている。

中は非常に涼しい。

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宮島観光を終え、広島市内に戻ってきた。

最後に白石先生と前田グッズを物色したが、

すでに売り切れていた。

後日、インターネットでグッズを購入した。

私は記念ユニフォームを購入したが、

白石先生はリストにあったほとんどのグッズを買ったらしい。

ちなみに白石先生は近鉄ファンで阪神ファンである。

夕方、私はバスで博多へ、白石先生は新幹線で京都に帰った。

おしまい。

2008年1月15日 (火)

ワンダーランド大聖院!広島の旅(その6)

大聖院にやってきた。

そんなつもりは全くなかったのだが、

ここは相当な珍寺であった。

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仁王門はいかにも名刹であることを物語る。

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仁王門をくぐると、階段が続き、マニ車が延々と続いている。

とりあえず、ぐるぐる回す。

途中でアンパンマンの石像もあった。

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御成門である。いよいよメインが始まるのである。

上につくと、景色が一転し、趣のある建造物群が並ぶ。

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観音堂である。行基作と言われる十一面観音が祀られている。

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続いて、摩尼殿である。ここにも賓頭盧尊者がいる。

ちなみに二階は、怪しげに大群の仏様が祀られていた。

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大師堂である。そうここは真言宗(御室派)の名刹なのである。

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遍照窟である。四国八十八箇所の本尊が祀られ、

お砂踏みができる。

プチお遍路体験ができるのだ。

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11番札所藤井寺に大阪の藤井寺出身の白石先生は反応していた。

関係ないけどね。。。

大聖院の珍寺ぶりに、

これは、

「フェイバリットサイトである「珍寺大道場」に連絡だ。」

などと興奮してたが、

家に帰って、サイトチェックすると、既に紹介されていた。

さすが・・・。

2008年1月14日 (月)

宮島水族館。広島の旅(その5)

大願寺を見た後、昼食をとる。

蕎麦を食った、うまくなかった。

昼食後、宮島水族館へ行った。

白石先生は水族館巡りが好きで、

我が福岡県のマリンワールドもすでに行っておられる。

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宮島水族館に入る。

しょぼい・・・。

でも、こういうしょぼい水族館は嫌いじゃない。

しかし、メインの大水槽がエイのババだらけで汚かった。

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ミズクラゲの水槽があった。赤い光を当てていて、きれいだった。

白石先生曰く、普通青ライトとかで赤ライトというと珍しいらしい。

まあ、所詮はミズクラゲなのだが・・・。

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すげー!ボラの大遊泳である。

ここまでボラに力入れなくても・・・。

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北の魚の水槽だが、普通サケ科魚類とオオカミウオは一緒に入れない。

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すげー!アメリカンシクリッドとカイヤン(タイとか東南アジア)を一緒に入れてる。

水族館として、まったく異なる地域にいる魚を一緒に展示するのはいかがなものか?

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こちらはグラミィ(東南アジア)とアフリカンシクリッドの競演である。

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シロワニである。ワニとはサメの別の呼び方なのである。

他にもフカともいったりする。

とにかくこれはシロワニという種類なのである。

いかついが、おとなしいらしい。

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アザラシがいたり・・・。

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コツメカワウソがいたり、結構普通なのもいた。

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屋外に出ると、トドが暑そうであった。

客に水を浴びせて、顰蹙を買っていた。

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宮島水族館を出て、次の大聖院へ向かう途中、

「西の松原」という突堤内に「清盛神社」なるものを見つけた。

昭和29年創建とかなり新しい。

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いよいよ次回はワンダーランド大聖院へ・・・。

宮島・大願寺。広島の旅(その4)

厳島神社に参拝した後は、すぐ近くの大願寺に行った。

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三門があるが、なんか道路に置いてあるだけという感じがする。

門自体は、いいものなのに、周りとの調和が・・・。

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ここは、明治まで、厳島神社の普請奉行として、

千畳閣、五重塔などの大伽藍の中心をなしていた名刹なのである。

本尊は、秘仏厳島弁才天である。

江ノ島、竹生島と並んで、日本三大弁才天だそうである。

しかしながら、どうしても神社に眼が行くので、

存在感は薄い・・・。

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賓頭盧尊者がいたので、頭をなでた。

なんだか周りと調和が取れず、明らかに浮いた寺であった。

もったいないものである。

2008年1月12日 (土)

絶景!厳島神社。広島の旅(その3)

平和公園をあとにして、

次は広電に乗り、宮島に向かう。

目的はもちろん世界遺産厳島神社である。


宮島に行くのは、2003年3月第4次九州遠征の途中によったとき以来である。


宮島口で電車を降り、船で宮島に向かう。


しばらくすると、鳥居が見えてきた。

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港に着き、船を降りると、鹿だらけだった。

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そして、こんなのも・・・。

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そして、もみじ饅頭屋が立ち並ぶ。

こんなんで経営は成り立つのか?

しばらくあると、厳島神社に到着。

あいかわらず、不思議な神社である。

回廊の下が海で潮が満ちると、海の上に神社が浮かぶのである。

ちなみにボラが泳いでいた。

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本殿、平舞台、高舞台のいずれもが平安時代のもので国宝である。

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能舞台である。重要文化財になっており、江戸時代のものらしい。

ここ厳島神社は、平家の庇護のもと、隆盛を極めた。

今の原型は平清盛によるらしい。

平家が滅亡すると、厳島神社も寂れたが、

戦国になると、毛利家の援助を受け、再び栄えたのだ。

そして、豊臣秀吉も参詣しているのだ。

現在は、ご存知、世界文化遺産なのである。

海に浮かぶ神社として、その幽玄な姿から、

外国人観光客の受けもよいらしい。

素晴らしいものを見た後、少しディープな世界へ探検することになった・・・。

平和の祈り。広島の旅(その2)

平成19年9月2日


前日の興奮冷めやらず、早朝に起きた。


今日は白石先生を巻き込んで、広島観光をする。


まずはホテルからも近い平和公園へ行く。


そういえば、原爆ドームって、しっかり見たことがない。

前は車窓から垣間見たのみだ。


平和公園には平和を象徴するオブジェ群がかなりある。

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まずは原爆慰霊碑である。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから。」

刻まれた言葉が心に響く。

後ろに原爆ドームが見える。

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原爆の子の像である。

原爆投下から10年たち、白血病でなくなった方をきっかけに、

作られた像なのである。

次は、原爆供養塔である。

8月6日になると、この供養塔の前では、

宗教を越えて供養慰霊祭が行われる。

この供養塔の前では、仏教もキリスト教も神道も全て平等なのである。

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韓国人原爆犠牲者慰霊碑である。

故郷を離れ、原爆の犠牲となった方々はさぞ無念であったろう・・・。

台座は亀で、碑の上部は龍の彫刻がなされている。

朝鮮半島では、死者は亀の背に乗って、昇天するという伝説があるらしい。

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平和の鐘があった。

日本の音風景100選にも選ばれているらしい。

犠牲者の菩提を弔うために、打ち鳴らした。

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動員学徒慰霊塔である。

私もついこの間まで、学生だったので、

思わず自分と重ね合わせたてしまう。

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原爆ドームである。

川面に映る姿が物悲しくもあり、美しい。

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ドーム内部である。原爆投下のすさまじさを今に伝える。

今回、見た平和公園内のオブジェは、

不謹慎な表現かもしれないが、

どれも美しかった。

そして、心の奥になんとも言いようのない悲しみが・・・。

2008年1月10日 (木)

前田伝説!広島の旅(その1)

平成19年9月1日~2日に広島に行った。


平成19年8月14日の夜、

私は伊豆のとある旅館でくつろいでいた。

そのとき、携帯が鳴った。


電話の主は、大学院時代の友達の白石先生である。

「9月1日くらいに広島に行こうと思うけど、広島まで出て、

一緒に野球を見ないか?」

というお誘いだった。


この何気ない会話の中の9月1日が、

とんでもないことになろうとは思わなかった。


約束の日が近づくにつれて、前田が着々と金字塔に近づいていたのだ。


そして、8月31日時点で、通産1999安打となった。


9月1日朝。

天神バスセンターから広島バスに乗り込む。

一眠りしたら、すぐに広島に着いた。

広島のバス停留所は、広島球場のすぐ近くである。

もうすでに長蛇の列が並んでいる。

それを見た馬鹿者が理由を知らず、騒いでいた。

「阿呆か!前田の2000本安打も知らんのか!」と、

心の中で叫んだ。

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とりあえず、白石先生に電話する。

もうすでに白石先生は列に並んでいた。

今回は研究室の後輩2人も一緒だ。

もっとも私の去ったあとの世代なので、

あまり知らない。

しゃべりかけると、後輩が全然気づかないので、

「殺すぞ!」

と、脅すと、本気でびびっていた。

いよいよ球場に突入する。

すごい!初めての広島球場だが、やっぱり球場全体が興奮のるつぼである。

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そしてあれを見つけた。

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しばらくすると広島選手団が入ってきた。

前田は・・・?いたっ!

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試合は広島が高橋、中日が小笠原の選抜で開始した。

広島高橋を見た瞬間。今日は荒れると予想したが、

見事的中!

試合は両チーム7本のホームランが飛び交う乱打戦となった。

しかし、前田がなかなかヒットを打たない。

6回表には、フェルナンデスが登板。

白石先生はものすごく喜んでいた。

スタンドから見ると、ただのスローボールにしか見えない。

そして、普通に打たれている。

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そんな中、立浪がホームラン。。。

なんとこれが3500塁打達成の瞬間であった。

これはまずい・・・。

私は、今まで近鉄ローズのシーズン本塁打新記録を見に行こうとし、

オリックス谷のシーズン二塁打記録を見てしまったり、

西武カブレラのシーズン本塁打新記録を見に行こうとし、

西武西口の100勝目を見てしまったりしているからだ。

これは前田の記録が見れないパターンかな?

7回裏が始まる前に、元祖広島の風船あげを鑑賞した。

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7回裏に前田のアウトで終了し、8回表を終わって7-6で1点ビハインド。

これはあきらめた!

さて、今日はぱーっと飯でも食って、

明日は思いっきり観光するか!などと考えていると、

予想外のドラマが待っていた。

8回裏に広島が打つわ、打つわ!

とうとう前田まで回ってきた。

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そして達成・・・。

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あまりの興奮に目がしらが熱くなる。

周りの広島ファンたちとハイタッチした。

今日だけは、広島ファンである。

考えたら、私の子供のころからのスター選手では、

前田が最後の戦士かもしれない。

今の選手たちは、それほど思いいれがないからね。

14-7と広島が逆転し、最後は横山が抑えて、試合終了。

試合後のセレモニーでは、前田が男泣き。

私ももらい泣き。

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最高の一日であった。

街中お祭り騒ぎである。

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試合後はお好み村で、広島焼きを食す。

ここでも広島ファンと熱く語った。

たぶん向こうはこっちがばりばりの阪神ファンとは思ってないでしょう。

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ホテルに帰る途中。

うっちょから

「前田が2000安打達成したよ。」

とメールが入った。

てか、私は生で見たんだけど・・・。

しかも、私が前田に似てるとな?

それは光栄ですなと、白石先生に言われた。

私もそう思う。

ホテルに戻り、明日の広島観光に備えた。

P.S. こんなの食べました。

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